自分は国を裏切り、死んだ大罪人だと。
しかしその経緯や事情を詳しく話すはずもなく。
海は静かに話す坊ちゃんの低い声に耳を傾け真っ直ぐに坊ちゃんの瞳の色をそれは珍しそうに見つめていました。
逆に坊ちゃんも、きっと海の瞳の色を珍しそうに見つめていたでしょう。
本人ははぐらかしてましたが、海は坊っちゃんに新しい世界と色を与えた初めての人だった。
坊ちゃんが坊ちゃんの世界の話をした時、海は戸惑いながらも受け入れてくれたから…海は気付かない、寂しがり屋な坊ちゃんはどれだけ救われたのか。
ヒューゴとのあの屋敷での冷えきった暮らし、マリアンは坊ちゃんの寂しさを見抜いていたけど、それだけだった。
マリアンの中には哀れみがあった。
海の中には坊ちゃんの過去を肌で知らないから逆に踏み込んでいけた。
憐憫や哀れみや同情なんかじゃない、話を聞けば聞くほど、坊ちゃんを…本当の意味で愛してくれる人が現れたんだと僕は、そう思いました。坊ちゃんはあの冷酷なリオンではなく、優しさと強さを併せ持ったエミリオとして腹を抱えて笑っていました。
海、一目で良いから逢ってみたかった。
僅かでも良い、僕からもきちんとお礼がしたかった。
気付けば周囲はすっかり夕方になり海とリオンは難しい話をして頭を悩ませていた。
「本当に、知らない場所だ。何もかもが違う。違いすぎる」
「で、でも、まだわからないよ、」
「いや、違う、僕のいた世界に無いものばかりだし、何よりもこの地形はありえない」
異世界の、自分が気を失っていた間の経緯を聞けば聞くほど酷く絶望に暮れ、海も全く異なる世界からやってきたと聞けば聞くほど納得せざるを得なくなり知恵熱が出そうになった。
そんな中でスマートフォンと呼ばれるリオンには物珍しいこの世界の連絡手段であるスワロフスキーやリボンでデザインされたリンゴマークの薄っぺらい端末を物珍しげに見つめ男臭いのとは違う、また違う女特有の染み着いた甘い香りの漂う部屋で彼女はのんびりした口調でこう告げたのだ。
「この現実には同じ時間軸の、でも全く違った世界がある、それを平行世界、パラレルワールドかなぁ、そう言うんだって、Siriが教えてくれたよ。あ、Siriって分かる?」
「知るか、馬鹿」
馬鹿と鼻で悪態突かれ彼女は盛大に息を思い切り吸い呼吸を落ち着けた。
明らかな年下の美少年に馬鹿呼ばわりされてたまらなく憎しみを抱いたのだろう、仕返しだと言わんばかりに海も言い返した。
「Siriを知らない・・・リオン君、馬鹿ですか?」
もちろんシャルティエがあったら彼女の首は今度こそ飛んでいたかもしれない。
ただならぬ怒りにわなわなと肩を震わせながら
「貴様っ!!いい加減にしろ!!」
「きゃ・・・っ!」
ふわふわとした柔らかく優しい声調だが、言葉や建前は以外にも辛辣で、確かに甘さや優しさを纏いながらも裏表のない率直なストレートで自分の意志を伝えてくる。
どうやら善人ぶってるわけではないらしいが悪人なわけでもなさそうだ・・・
まさか、突然知らない、しかも彼女の話が本当ならここは異世界で。
リオンは全く先の見えないこの現状に内心苛立っていた。
だからといって自分には帰る場所なんてない。
もう怒る気力もなかった。それに、元の世界へ帰ったとしても自分という存在は最早女を守るために世間を敵に回した極悪人の犯罪者だ。
眼前の女の助けを借りながらこんな日々を延々と続けていくのか?そんな果てしなき尋問を一人で悶々と考えていた。
「えっと・・・でも、やっぱりリオン君は異世界の人、なのね。」
「まさか本当に僕を信じるのか?」
何とも信じがたい次元の話なのにそんなあっさり。リオンは目の前の海をそれはまるで汚いものでも見るかの様な眼でまじまじと見つめる。
しかし、汚いと呼ぶには海は眩し過ぎるその手は、自分とは違い紅には染まっていない。
此処はモンスターも居ない、治安も法も富もある。
戦いとはかけ離れた平和な世界だから。
「うんっ。もちろん、でも私も正直これがまだ夢なんじゃないかって、そう思っててどうすればいいか戸惑ってるところ」
「僕も、出来るなら夢だと信じたい」
再び二人の間に静寂が流れるが…夢だと思いこむことで何とかこの危うげな状態は保たれているかの様な気がした。
しかし、これは紛れもない現実だ。
海も困惑していたが海は必死に冷静を保ち笑みを絶やさずに彼に接していた。
彼女の比ではないくらい彼も困惑している、ましてや彼は死んだと確かに意味深な言葉を口にしていた。
この世界に彼は知り合いも家族も恋人さえ居ない本当に天涯孤独なのだ。独りぼっちで震えて、傷ついて彼をこのままになんて。
海は何かを秘めた眼差しで彼を見つめていた。
その眼には憐憫や哀れみは全く感じられない。
ただ真っ直ぐに心から彼の平穏を願った。
「お前の世界は最初にファミリーネームが来るのか、これは?」
「漢字って言うんだよ。中国って国から伝わったいろんな意味が重なって・・・こういう風に、文字になるの」
「難しいな。意味が分からない。」
「ほら、ここはね」
「触るな!」
「ご、ごめんなさい」
触れた海の優しい手を自分の汚い手が汚してしまいそうな気がしたから拒んだのだ。
しかし、拒みながらも海は拒絶された事実に傷ついた素振りは見せず、そっと携帯を床に置いた。
ふわりと流れる様な香り立つ艶やかな揺る髪、始めて見た不思議な顔立ちの海にマリアンの面影を見出そうとしている自分にリオンは内心苛立ちを隠せずに。
実際に海もそうだったのだが。
互いは互いの求めた存在の面影を探していた、
2人は無自覚なほどよく似ていた。
「取り敢えず難しい話はこれで終わりにして休もうよ、ね?そうだ、リオン君、プリンとヨーグルトだったら、どっちが食べたい?」
そして話は再び彼女が主導権を握った事により再び切り替わった。
しかし、夢だ夢だと互いに言い聞かせてはいたが胸に残る温もりも、重ねた唇の温度も、確かに現実で。デザートだけは同じらしい。
リオンの服を見れば所々に血が付いているのが伺えた。
まず先に風呂にも入れてやった方がいいようだ。
確かに彼は異世界の人間だ。
話せば話すほどに理解できた自分が居た。
本当に異世界から来たかの様な一昔前の王子様の様な服装をしているのだから。
「5秒前…4…3…コーヒーゼリーにしちゃうよ?…2…にっがーいコーヒーゼリー…1…「…プリン、でいい」
真っ赤な顔で、今にも消えてしまいそうな声でぽつりと呟いた彼が酷く可愛らしくて。先程までただならぬ覇気を醸し出していた彼の年相応な姿に海もつられて笑みを浮かべた。
「うん、じゃあコンビニで買ってくるね、
あ、コンビニって言うのは食料品や日用品が手軽に買える小型のお店の事、24時間開いてるんだよ」
「24時間だと?馬鹿なそんな店、従業員を殺す気か」
「ふふっ、ちゃんと交代して働いてるよ。24時間も休みなかったら倒れちゃう。あ、お風呂一応沸かしてたんだけど潮や血だらけなのお風呂で流してきたら?」
「風呂かそれは僕の世界にもある。」
「そっか、もしかしたら共通点あるかもね。
でも、リオン君はお城の剣士様なんだよね、お屋敷よりお風呂すごく狭いけど我慢してね。」
「フン、(狭すぎて逆に落ち着くのはどうしてだろうな。)
今では"元"だ僕は結局お前のお荷物なんだからな?」
その言葉はまるで拗ねた子供の様な仕草に感じられて。しかし、リオンが思う以上に彼女は内面から落ち着き始めていた。
「いいよ、リオン君が良ければ、この家には私しか住んでいないし。もしそのまま外に出ても悪い人に絡まれたりリオン君は顔が綺麗だから危ないよ」
「本当に貴様は馬鹿な女だ…正気か?」
しかし、それが塗り固めた虚勢の様にも感じられた…強がっても海は優しかった。
優しく手を差し伸べてくれた…自分にはもう帰る場所なんて無い、のだ。
しかし、海はその経緯さえ知らないのだ。
きっとこれ以上自分が余計なことを話さなければ海は余計な詮索なんてしてこないはずだ。
それが良かった、海は自分が冷酷で非情な裏切り者だと知らないのだから、きっと親切にしてくれている。
夢ならば夢が覚めるまでは…彼女の好意に甘えるとしよう。
綺麗な髪だけはマリアンによく似ている海に。
そう言えば…ルーティも細くてスレンダーだったが海もまた違う、色白で華奢で小柄で、…折れてしまいそうな体躯をしていた。
「あ、それなら一緒に入ろうか?シャンプーとかシャワーとか使い方わからないでしょ?」
「な…!?」
意表を突かれリオンはますます顔を赤くした。
「ふふっ、なんて、冗談だよ。
一緒だなんて私が恥ずかしいもん。それに、洗うくらいなら服のままでも出来るもん。」
「…っ」
鋏を突き立てたのに、今ではにこにこと笑い、しかも一緒に入ろうだなんて優しい笑顔で言うものだから…リオンは意表を突かれ驚きに余計に熱が上がった気がしてたまらず毛布を口元まで覆う。
冗談とは言われたが激しく胸を揺さぶられた。
「そうだ、リオン君の着替えも借りてこないと、だね。待っててね、プリン買いながらちょっと出掛けてくるから。
たぶんサイズとかMで大丈夫だと思う。
それと、やっぱり心配だからもう一眠りしててね。起こしてあげるから、」
そんな中で明らかだろう。
リオンは不思議でたまらないと言った感じの表情で海を引き留めた。
「おい、" "」
声はなくとも唇が微かに"海"の名を呟いていた。
掴んだ海の手首はうっかり離してしまいそうな程リオンの片手に易々と収まった。
「あの・・・」
「貴様は何故其処まで僕に親切にする?何の得もないのに何故だ?」
束の間の静寂が訪れる。
海は束の間の沈黙だったがすぐに笑みを浮かべる。
確かにそうだろう。
見ず知らずの人間に海はふと睫毛を伏せた。
笑顔だけじゃない、その裏には確かに海なりの気遣いがあった。
それに加えて彼はあまり気が長い方ではないらしい。
これ以上怒らせたくないと必死だったから。
また危害を加えられたらたまらない、彼の世界の中心国となりつつあった城の客員剣士、そして将軍候補。その言葉が本当ならば・・・確かに彼は気配に敏感すぎた。
それでも
「だって、放っておけないよ。」
その言葉にリオンはかつて自分を友だと仲間だと呼んだ太陽のような男を思い出し、片眉をぴくりと歪めた。
また哀れまれるのか・・・見くびるなよ。
ふつふつと青白い炎にも似た怒りがまたこみ上げ始める。
「リオン君がもし私の立場だったら私をどうするの?」
小さな声が微かに震えていたのを誰も知らない。次に海はもういつもの笑顔を浮かべていたから。
その笑顔が悲しくもあり、儚くも感じられて…リオンの長い前髪で遮られた双眼に確かに刻まれた。
「たまたま海に行って、そしてたまたま海で倒れてた貴方を見つけたから」
「それが・・・理由か?」
その言葉に今度は迷わず、海は笑顔を浮かべた。
「・・・うん、」
「そうか、それがお前の本音か、」
「うーん、本音というか何というか・・・普通人が倒れてたらそれなりに何かはするでしょ?」
束の間の沈黙、頬杖を着いたリオンが口にしたのは意外な言葉だった。
「呆れるくらいお前の言葉は綺麗事ばかりだな。まぁいい・・・夢ならいつか覚める、それまでだ」
「あの…」
「寝る、」
フッ、と柔らかく口角をつり上げたニヒルな笑みに、海は頬が熱くなるのを感じると彼が壁際に寝返りを打ったのと同時にひらりとワンピースを翻し財布と愛車のキーと携帯を持ちまた外に飛び出し車に乗り込むと力なくハンドルにもたれかかった。
「あぁ怖かった。緊張したよ〜」
押し寄せるどうしようもないやるせない感情に思わずこみ上げた。
そして恐怖心に煽られて彼の鋭い紫紺が弓の様に細められた瞬間の高揚感、胸が確かに締め付けられた。
かつて存在した甘い感情。
怖い。一瞬だけ彼を別の意味でも怖く感じたから。
とにかく気分を落ち着かせようと職場で仲良くなった今では大事な親友の彼女に電話をすれば長いコールの後、漸く繋がった。
おかしい・・・どうかしている。
泣くだなんてらしくない。しかし、無意識の涙が頬を伝うのを押さえることが出来ずリオンはまた涙を浮かべた。
「・・・シャル・・・
・・・マリアン」
そっと呟いた相棒と、心から血を流すほどに求めた彼女の名前。最期の濁流に飲まれる時までずっと一緒だった相棒でもあり友でもあったソーディアン・シャルティエは辺りを見渡しても見当たらなかった。
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