「Joyeux Noël à tous」
今日はクリスマス。
僕、ピエール・ド・シャルティエは今日という日を首を長くしてずっと待っていた。というのも、フランスから日本に越してきて以来フィーデスと仲良くしてくれている楢崎海という子が我が家に来てくれたのだ。
親を早くに亡くした上に僕の仕事の関係で日本に来ざるを得ず、フィーデスが孤立する心配をしていたのだが杞憂だったらしい。フィーデスと仲良くしてくれている海への感謝も兼ねて、僕は二人が楽しく過ごせるように何でもすることにした。例えば。
「ほんとにピザたくさん頼んでいいの?うち破産するんじゃない?」
「お兄ちゃんが日頃頑張ってるから気にしなくていいよ。好きなだけ頼んだらどうだい?ほらほら、海ちゃんも!」
「……でも」
「いいんだよ、海ちゃん」
フィーデスが破産などと大袈裟なことを言うから余計に遠慮してしまったに違いない。海は躊躇を浮かべた栗色の瞳を此方に向けてくる。僕は彼女の隣に腰を下ろすと、満面の笑みを浮かべてみせた。
「海ちゃんには色々迷惑掛けてるし、そのお礼もしたいんだ。遠慮しなくていいよ」
「そうだよ、海ちゃん。いっぱい頼もうよ!」
「でも、破産……」
「海ちゃん、フィーデスが冗談で言っただけだから大丈夫。ピザとかデザートとか、好きなだけ頼むといいよ。今日はクリスマスだし、わざわざうちに来てもらったんだから」
「有り難うございます」
何と礼儀正しい子なのだろう。海はこたつから足を出すとわざわざ此方を向き、頭を下げてくれる。恐らく彼女の両親の躾がなっているに違いない。
僕は再度遠慮しないよう海に言ってから、二人が決めやすいように台所へ向かう。飲み物はココアでいいだろうか。ココアの他には緑茶しかないし、クリスマスに緑茶を飲む習慣はフランスにも日本にもない筈だ。
二人に承諾を取ろうかと思ったがやめ、僕はカップを三人分ひっくり返す。二つにココアの粉末を入れ湯を注ぐと、ふわりとした仕上がりになった。僕はコーヒーメーカーのスイッチを入れ、ココアをスプーンで混ぜながらコーヒーの完成を待つ。
楢崎海。フィーデスが時々テーブルに置いたままにしている小さな写真に載っている子がそうだとは知っていたが、写真と実物はやはり違う。ふわふわとした黒髪や栗色の瞳、つまり日本人の色合いを持つ彼女に興味があるのは事実だ。
仕事先にも勿論日本人女性はいるが海ちゃんは何かが違う。そうフィーデスに話せば、海ちゃんはイタリア人のクォーターだと教えてくれた。いいとこ取りだ。脚も長ければ肌も白めなのに、着物を着ればあっと言う間に人形のようになってしまうのだから。
知らぬうちにスプーンを持つ手は止まり、一人微笑んでいたことに気が付く。慌てて真顔に戻り二人の様子を窺ったが、二人はピザに夢中のようだ。
良かった。
フィーデスに見られるのも確かにショックだ。だが、海が友人の兄がココアを混ぜながら一人で笑うのを見てしまうのもショックだろう。もうフィーデスと仲良くしてもらえないかもしれない。真剣に其処まで考えてから、コーヒーメーカーの具合を目で確認した時だった。
明るい音が来客を告げる。
「お兄ちゃん出て!」
「分かった」
すかさず頼まれ、僕はココアを二人に渡してから玄関へと足を運ぶ。時は十九。勧誘は断れないのでいつもフィーデスに頼むのだが、こんな時間に勧誘が来るとも思えない。そもそも、僕がこんな性格なのだ、マンションの戸を叩く人の数も限られている筈である。
まさか、新手のテロリストか。
戸を開けた瞬間にナイフで切りつけられた、というニュースがひっきりなしにあるような時世だ。犯罪の多いフランスと違い日本は安全だと思ったが、どうやら違うらしい。僕はいつも隠し持っている剣を左手に持ち、背後に隠した。
海とフィーデスは女の子。更に戦う術を知らない。護れるのはこの僕、ピエール・ド・シャルティエだけ。
「……」
怖くないわけではない。僕は笑う膝を何とか落ち着かせながら、右手で戸の鍵を解いた。
新手のテロリストは切りつけても来なかったし、眉間に銃口を突きつけるようなこともして来なかった。だが、僕が目を見開き、今すぐ戸を閉めてしまいたい気になっているのはそれらが原因ではない。
気持ち程度に開けた扉の隙間。其処から覗くのはスーツを纏った男の姿。海とは似ても似つかない種類の黒髪。嘲りのみを浮かべた紫の瞳。
誰だか知らないわけがなかった。血相を変え扉を閉めるより早く、彼は扉の隙間に指を入れると今度は口で笑う。
「ボンソワール、ムッシュー・ド・シャルティエ」
「……帰って下さい」
「つれないな、お義兄さん」
「その呼び方もいい加減やめて下さいって言ってるでしょ」
「帰れ、と言われてしまったがどうする?クライス」
この世で一番大嫌いな男、リオン・イルヴェの紡いだ男の名に僕は思わず顔を強ばらせる。今まで力を以て戸を閉めようとしていたが、油断して力が緩んでしまった。リオンのものではない指がドアに現れると同時に、あっと言う間にドアが全開にさせられた。
身長百八十七センチ。後ろで束ねられた、緋色に近い髪。誕生日は三月三日のひな祭り。浮かべる感情はリオンのものと同じ。違う点は八重歯が嘲笑に野生っぽさを加えている点か。
クライス・アルフォード。リオン・イルヴェと同じぐらい、僕がこの世で一番大嫌いだと思っている男。
僕の身長が二人を上回っているならまだ良かっただろう。だが、言葉でいくら威嚇しようと脅迫しようと、身長が足りないのではただの負け犬の遠吠えだ。
今回とて例外ではない。
「ブオナセーラ!シニョール・ド・シャルティエ!」
「イタリア語は分かりません、帰って下さい」
「つれないこと言うんじゃねェよ!イタリア語とフランス語は家族なんだぜ?」
言葉に反し、クライスは妙に温かい笑顔を向けながら僕の襟元を掴み上げる。彼の隣で鼻で笑うリオンを余所に、僕は宙で両手を挙げると屈服の意を示す。
最悪だ。よりによってこの二人が来るなんて。
「それで、何をしに来たんですか?僕は貴方達二人に用なんかありませんよ」
「しらばくれんな、ピエール!お前、海とフィーデスの二人を独占するつもりなんだろ!?俺とこいつはお前がハーレムを開くのを阻みにきたって訳だ!」
「誰もハーレムなんか!貴方とは違いますからね!」
「オイオイ。いいのか?ピエール。お前、美波さんからの伝言聞いてねェだろ?」
「ミナミさん?」
はて、誰だったか。一瞬首を捻ったがすぐに分かり、僕はクライスの手を振り払うと彼に威嚇の目を向ける。
美波とは海の母親の名だ。フィーデスをよく可愛がってくれるとのことでいつか会ってみたいとは思っていたが、先にあちらから伝言を戴けるとは。僕は歪んだ襟元を直しながら拗ねた声で尋ねる。
「何なんです?伝言って」
「『ピエール・ド・シャルティエさんだったかしら?フィーデスさんのお兄さんということらしいけれど。うちの子にちょっとでも変なことしてみなさい』」
「……」
「『潰す』」
「……」
クライスの女声は普段なら笑いを誘ったかもしれないが、何せ言葉が言葉だ。最後の三文字に完璧に思考回路を止められた。一方で、リオンは僕が鍵に置いていた手を退かせると、僕と扉の隙間に入り込む。
「そういうことだ。入るぞ」
「俺、ピエールの家入るの初めてだぜ!高級なところに住んでンな」
「……」
最早何と返せばいいのか分からない。僕は生気を吸われたような表情で扉を閉め鍵をかけると、二人の消えた廊下に目をやる。
リオン・イルヴェのこともクライス・アルフォードのことも今はどうでもいい。今は、余計なことをすれば潰してくる存在の方が脅威だ。僕は大きな、重い溜め息を玄関に残し諦めたように去る。
「……」
海を躾たのは美波さんなのだろうか。会ってみたいと思っていたが、会った直後に病院送りにされそうな気がするのは何故だろう。イタリアとドイツから来た天敵が現れれば、居間が混沌に呑まれるのも当然の話だ。
フィーデスと二人暮らしというのもあり、テーブルはかなり小さめだ。僕が居間に戻れば、その四つの側面には既に人が座っていた。海は招待客だしフィーデスは妹だからいい。
だが。
こたつに足を入れ、海達とピザの話に花を咲かせている“招かれざる客”の近くに僕は立つと一喝した。
「帰って下さい。家庭訪問は春に終えたはずです」
「まだ冷たいことを言っているのか?シャルティエ。三人より五人の方が“楽しいクリスマス”を過ごせるだろう」
「男だらけのクリスマス!冗談じゃない!!気色悪い!最低だ!帰って下さい!」
「ほらよ、ピエール。ピザの注文票だ」
リオンに文句を叩きつける一方で、クライスは我関せずと言わんばかりに、和やかな表情で此方にメモを渡してくる。海とフィーデスの意見をまとめてくれたのかもしれない、などとクライスを密かに好意的に思ったのが間違いだったようだ。
「……ベーコソとヂースのピザ、卵とテソやキチキソのピザ、ツーフードピザ、みょうたいしともちのピザ、トマトとMozzarellaのピザ、辛すぎて幸せヒザ、ナゲットセット、ビール、ワイン、みっちゃんオレンジ、性格の黒い烏龍茶」
「おう、よろしく頼むぜ」
「クライス。貴方片仮名の勉強したらどうですか?リとソとンが滅茶苦茶でしょ!痛風のピザなんか食べたくありませんけど!それから“みょうたいし”じゃなくて“めんたいこ”です!辛すぎて幸せ膝とか気持ち悪いでしょ!丸をちゃんと付けて下さいよ!それからビールとワイン要らないでしょリオン貴方一応設定は未成年なんですからッ!」
ああ、何故此処まで僕が細かく訂正を入れなくちゃいけないんだろう。メモを片手に怒鳴ったものの、不安そうなのは無関係な海だけだ。僕の言葉にリオンは片眉を上げると、当然と言わんばかりの声で告ぐ。
「ドイツといえばビールだろう」
「ああ。そしてイタリアはワインだ。そして俺がビールもワインも飲む」
「此処はドイツでもイタリアでもありませんよ!」
「おフランスか」
「そうですそうです……って、違います!もう黙ってて下さい!」
駄目だ、この二人に構っている暇はない。僕は海とフィーデスのそばに寄ると赤ペンを手に取る。
「海ちゃんはどれを頼んだんだい?」
「私は辛すぎて幸せピザです」
「えっ?海ちゃんが辛すぎて幸せピザ──」
「それから、ベーコンとチーズもだし、トマトとモッツァレッラも、明太子とお餅のピザも頼みました」
「……」
「私、卵と照り焼きピザとシーフード頼んだよ!」
フィーデスから、海はよく食べるのにいつまで経っても細いままだとは聞いた。だが、まさかピザを四つも頼んだ上に、てっきりクライスが勝手に注文したと思っていた辛すぎて幸せピザを海が頼んでいたとは。
財布の紐を締めたいわけではない、ただ単に男二人にピザを振る舞いたくないだけだ。だから海とフィーデスの分だけ頼もうと思ったのに、このままでは意味が無くなってしまう。嫌がらせのしようのない注文に、僕はただ二回目の溜め息を漏らすしか出来なかった。
勝手にテレビをつけ騒ぎ出す四人。海とフィーデスは許そう。それは女の子だからという差別に因るものじゃない、二人は初めからいたのだから。
僕は一人、寒い廊下に出ると携帯電話を片手で開く。待ち受けに設定している、海とフィーデスの写真が暗い廊下と心に僅かな光を灯す。プリ……何だったか。よく分からないが、写真に文字を書き込めるらしい。笑顔の二人の下にはピンクのペンで仲良し、と書いてある。
「赤外線でこっそり僕の携帯に送ったなんて知ったら、フィーデスも海ちゃんも美波さんも僕を張り倒しに来るだろうな……」
美波。危うく忘れかけていた脅威の名に僕は気を引き締める。実際は僕は加害者になることはない、なるとしたらあのイタリア人ハーフの男だろうに。ピザも全て届き、余計な二人も含めた五人でテーブルを囲んだ。ピザ代が恐ろしいことになったが、フィーデスの冗談にも顔を強ばらせるような海の前でそんな話をするわけにもいかない。
三度目の溜め息を漏らしながらフィーデスと海の間に座ろうとしたのだが、無理矢理クライスとリオンの間に座らせられた。別に両手に花をしたかったわけでなく単に“天敵のそばに寄りたくない”だけだったのだが、妹の前で敵意を剥き出しにするわけにもいかない。何故か二度も文句を押し殺し、僕はこたつに足を入れずピザに手を伸ばした。こたつに足を入れクライスの足を蹴りでもしたら大変だ。
僕がこの世の終わりを迎えたような表情をする一方で、僕のやや左にいるフィーデスが海に笑いかける。
「海ちゃん!明太子とおもちのピザ、すごくおいしいね!」
「でしょ!私、フィーちゃんに食べてもらいたかったんだ!はい、フィーちゃん、あーん」
「あーん」
僕が目を見張るのも構わず、海は笑顔でフィーデスにベーコンとチーズのピザを食べさせる。そんな僕にクライスが、ナゲットをフォークに刺したまま説明を加えた。
「勘違いすンなよ、あの年の女子はああいうことをするもんなンだぜ。遊びでな」
「……」
「ピエール、お前にもやってやろうか?」
「気色悪いからやめて下さい。大体、いつになったら帰るんですか?貴方達二人共、僕は呼んだ覚えがないんですけど!」
フィーデスが美味しいと言っていた明太子と餅のピザに“和”を感じつつ、僕はリオンとクライスに冷たい目を向ける。リオンはピザを食べながらテレビを見ているし、クライスに至ってはナゲットばかり食べながら女の子達を舐め回すように見つめているのだ。
本来なら、アルコールの入っていないシャンパンでも開けて振る舞おうと思っていた。それだけじゃない、純粋に日本に興味のあるフランス人として、日本人たる海の話も色々聞いてみたかったのだ。だが、この二人がいてはシャンパンを開けることすら出来ない。海に話し掛ければすぐに美波さんにチクられるだろう。
ああ、強迫観念。
「そうだ、忘れていた」
「どうしたンだよ、リオン」
ふと、リオンが短い声を上げるものだから僕は思わず警戒する。相手はこの二人なのだ、警戒しておいて何も悪いことはない。
僕が身構える一方で、リオンは彼の荷物に手を伸ばすと、少し大きめの白い箱をテーブルの上に置いた。
「楢崎。お前の母親からの差し入れだ。夫婦の共同製作のケーキと聞いた」
「お母さんが?もう、昨日食べたからいいって言ったのに……!」
「美波さんと海翔さんの共同製作か!ククク……二人が愛を重ねた結果グッ──」
「クライスは黙って!!」
内容が内容だ。海は目にうっすらと涙を浮かべクライスの腰に蹴り技を入れたのだった。結果は言うまでもない、倒れる際どさくさに紛れフィーデスに寄りかかったものだから、僕と海の制裁が更に下る。
床に倒れ呻き声を上げる餓狼を余所に、丁度立ち上がっていた海がケーキを箱から取り出してくれた。
ふわふわと散りばめられた生クリームの蕾。ふんだんに使われた苺やキウイ、葡萄、オレンジ。それまではまだ普通だ。
ケーキの中心には、砂糖菓子で出来た五つの人形が並んでいた。黒髪の女の子と茶髪の女の子。赤髪の男の子と黒髪の男の子、そして金髪の男の子の五つ。
「これは……」
「楢崎。僕らはまだしも、何故シャルティエまでいる?」
「フィーちゃんから聞いたの!昨日のケーキになかったからおかしいなとは思ってたんだけど、今日作ったみたい」
「すごいね!美波さんに海翔さん!さすが楢崎一家だよ!」
「私、イルヴェ家が好きだよ!」
「海ちゃん!」
「フィーちゃん!」
すっかり話をねじ曲げ、謎の感動の再会を果たしたが如く僕らの前で抱き合う海とフィーデス。海が“イルヴェ家も好き”と言った際にスーツ男が僅かに反応したのが癪に障ったが、仕方がない。事情が事情なのだから。
ピザが名残惜しそうに箱の中で冷たくなっている一方で、僕らは海の両親の作ってくれたケーキを食した。甘さ控えめの特製クリスマスケーキは、甘いものがあまり好きではない海は勿論、僕の舌をも満足させてくれた。。
クライスが身を起こした時には既に皆ケーキを食べ終え、残されたケーキに五体の砂糖菓子が並んでいた。勿論やったのは僕じゃない、加害趣味のある人々である。
結局クライスもリオンも海と居たかっただけなのだろうか。彼らは夕食を終え一段落した後、海を連れて帰ってしまったのだ。小さなプレゼントを用意していただけに、盗られてしまったようなむかつくような、妙な虚無感と静かなる怒りが燻る。
フィーデスがお風呂に入っている間、僕は散らかったテーブルの上を片付けていた。
ピザは結局海が殆ど食べてしまい、余っているのはシーフードピザとテリヤキのピザが一つずつだ。ナゲットは余っているわけがない。餓狼の女子鑑賞会の供に付き合わされたのだから。
ピザを皿に載せラップをかける。空になった箱は全て潰し捨て、片付いたテーブルを布巾で清潔にする。あれだけひしめいていたテーブルだったが、いざ皆が帰ってしまうと寂しいものだ。
「……」
海。
結局、僕はピザの注文を聞く時しか話せなかった。人形のように美しい彼女の記憶に僕という存在を残したかったのに、結局上手く行かなかったのは全て天敵二人のせいである。フィーデスはいい、フィーデスは海の友達なのだから話して当然なのだから。
最早何度目か分からない溜め息を吐く。知らぬうちにテーブルを拭く手が止まり、視界にはテーブルしかない。
「……」
もし海とフィーデスと僕の三人だったとしたらどうなっていただろう。
確かに不服だったが、あのように楽しい一時を過ごすことが出来たのは天敵のおかげであるのも事実。僕一人では空回りばかりしていただろうし、海やフィーデスが楽しそうにしている光景も見られなかっただろう。自分が場を盛り上げられるような性格でないと自認しているだけに、僕は彼らを完璧に責め立てることは出来なかった。
結局こうなのだろう。男とは、女の子がふと心からこぼす笑みに弱いのだ。
「……」
僕は携帯を開け、フィーデスの携帯からこっそり盗んだ写真の待ち受けを見る。
決して恵まれているとは言えない環境だった。親がいないということは僕が動かなくてはならなかったし、それがフィーデスの心に影を落としていた。
また、海も以前は寂しさ故に闇の世界に手を染めていたと聞いた。名残があるのは登校時のバイクのみで、以前とは打って変わったと参観日に噂で聞いた。今でこそ普通の可愛らしい女の子だが、見かけは美しくとも本当は寂しくて仕方なかったに違いない。それなら、二人を友とし結び付けたのは孤独感か。
それなら、僕がリオンやクライスを悪くないと思い、もっと知りたいと思う気持ちも、孤独感から来るのだろうか。
「お兄ちゃん、まだ拭いてたの?」
「あ、い、いや、違うんだ、テーブルを拭いてた」
「……意味分かんない」
タオルで髪を拭きながらやって来たフィーデスの姿に、僕は慌てて携帯を閉じた。待ち受けを見られたら加害者は一人ではないのだ。僕は携帯をジーンズのポケットに滑り込ませると、再びテーブルを拭きながら問う。
「フィーデス。海ちゃんは楽しかったと言ってたかい?」
「うん、さっきメール来てたんだ。また機会があったらお邪魔させて下さいって。それから、海ちゃん家にも来てほしいって!」
「ついに美波さんと対峙か……」
「何言ってんのさ?」
「いや、何でもない」
フィーデスは女の子だ、この恐怖が分かるわけがあるまい。僕が小さく首を振れば、フィーデスは明るい声で話を継ぐ。
「リオン先生とクラフォードが来た時、お兄ちゃん楽しそうだったよね」
「……」
「……良かった」
「……」
「みんないい人だよね。リオン先生も、クラフォードも、海ちゃんも美波さんも海翔さんも」
「……」
「日本に来て良かった。海ちゃんとクラフォードに逢えて良かった」
「……うん」
「……いけない。私、今から海ちゃんとウィルフォンして来なきゃ!皿洗い私やるから!」
足音を立て居間から去っていくフィーデス。ウィルフォンが欲しいと言い出したときは恋人でも出来たのかと思ったが、違ったらしい。大切な友達だからと何度も繰り返すフィーデスに拒否のみを返せるわけもなく、僕は海の存在に感謝しながらウィルフォンを買ってやったのだ。
懐かしみ思わず笑顔を浮かべながらテーブルの上で布巾を働かせれば、ふと、携帯が震えた。フィーデスがいないことを確認してから携帯を開けば、知らない人からのメール。
──クライスだ。フィーデスから勝手に聞いた。悪ィな!今日はピザうまかったぜ……イタリアのピザに比べりゃアレだけどよ。
でな、言いたかったのはお前もウィルフォン買えよ、俺達四人みんな持ってンだからな!ってのだ。
「またこの人は急にこういうことを……」
そう呟く僕の声に怒りはなく、鼻の奥がつんとしたのも本当だ。僕はメールを閉じ待ち受けを見てから、片手で携帯を閉じる。
クライス。美波さん。海翔さん。リオン。そして海ちゃん。
フィーデスと同じく、僕も日本に来て良かったと思っています。口に出すことはないだろうから、想いだけを空に載せて。
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