「瞳の先にいるあなたを」
それはある昼、俺が海と共に家の留守を預かっていたときのことだ。
フィーデスは兄と外出し、イルヴェの野郎は何処に行ったのか俺も知らない。どうもあいつは俺を相方として認めてくれる気配がない。今回も、俺にも海にも行き先を告げず一人姿をくらましてしまったのだった。
別に俺はあいつのストーカーをしたいわけじゃないし、いつも一緒にいないと落ち着かないわけじゃない。相方として信用してもらえているなら、あいつの役にも立てる行動が出来るだろう。何処に何をしに行く。情報が何もないんじゃ俺も動けないから、こうして海と二人でこたつに足を入れているのだった。
テレビに映し出されているのはゲーム画面。
「くくく!遅ェよ海!」
「ちょっと!マリサさんが真掌壁に引っかかっちゃったでしょ!」
「知るかよ。俺にアロベロを操作させたお前が悪ぃんだよ!たーッ!」
「もう、クライス!ガッツが無くなるまで斬りつけるのやめて!」
「アロベロに言え。斬っているのは僕じゃない」
「それ、リオンの真似?全然似てな──あーっ、もう!マリサさん死んじゃったでしょ!?」
「後はケリフだけだな。俺に任しとけ!」
「ケリフさん可哀想……」
海の独言を余所に、俺は大人気ない技を金髪のキャラクターにかける。大人気ない、もとい効果的な技だ。俺が操作するキャラクターがいる時はケリフを入れなければ落ち着かない。
ケリフの断末魔が上がり、俺が一人で両手の拳を挙げたときだった。
「あ、お帰りなさい」
戸が開き、行方不明者が疲労を浮かべ入ってくる。海がアロベロの勝利セリフを聞くこともなくあいつに駆け寄るものだから、俺は思わず口を尖らせてしまった。団長より隊長ってか?刀より大剣ってか?
「ゼッテー日本刀団長の方がかっこいいだろうがァァァ!」
「……海、フィーデスは出掛けたのか?」
「うん。一時間前ぐらいかな。それからずっとクライスとパシフィックオーシャンしてたの!」
「またパシフィックオーシャンか。買って正解だったようだな」
「でもね、クライスったらずっとアロベロを操作するから、私、アロベロに出来ないの」
「そういう時は色を──」
「お、前、ら、は、ヒ、ト、の、ハ、ナ、シ、を、聞けーッ!」
何だ、この苛めコンビは!リオンはまだ元からそうだからいいが、海。フィーデスといる時は二人で仲良くし守ってもらっているくせに、俺にだけは守ってもらいたくないと言わんばかりの態度!海が上から目線の残念な女になる前に遠ざけねば。
俺が考えていることなどつゆ知らず。リオンは俺の叫びに一瞥すると、それ以上は何も言うこともなく、部屋へと吸い込まれるように消えていったのだった。
「……何だ?あれ」
「クライスがパシフィックオーシャンでアロベロばっかり使うから怒ったんじゃないの?」
「畜生!あいつは海の何なんだ!?」
「私のボディーガードだよ」
「ン、な、こ、と、聞いてねえ!」
何だ、このメンバーは。冷徹軍人に天然記憶喪失、勝手に家出記憶喪失、そして素晴らしき俺。俺が一番まともじゃねえか。自画自賛をしながらも思わず重い溜め息を吐けば、海が不思議そうな眼差しを此方に向けてきたのだった。
海が此方に視線を投げかけたのは俺を気遣っているからだと思ったが、耳に入ってきた音に、俺は海の労りが勘違いの産物だと思い知った。
あいつの部屋から声が洩れだしていたのだ。
海が傷心を抱えた俺よりもリオンの声に気を向けたのは確かに悲しいが、謎に包まれたリオンの電話を聞いておいて損はない筈だ。俺は海と目配せしてから、冷気でも漏れ出してきそうなリオンの部屋の戸に張り付き耳を澄ませる。
『──分かった。それでいい。そのまま溺愛しているふりでもしていろ』
「……」
『文句は要らないといつも言っているだろう』
「……」
『ああ、そうだ。分かったならいい』
「……」
『……愛している』
「!」
リオンの言葉に、俺と海は反射的に飛び上がると、まずい言葉でも聞いてしまったかの如く扉から離れた。そして海と目を合わせる。こいつの目……驚きすぎだ。
「ねえ、クライス」
「ああ」
「誰を愛してるんだろう?」
「ンなもん、フィーデスに決まってんだろ?」
「でもわざわざ大きい声で言うことじゃないよ!」
「おいおい、何で海が怒るんだ」
「いいの!」
「もしかして」
俺に背を向け口を尖らせる海。俺は立ち上がると彼女の正面に移動した。
リオンの声が微かに聞こえる。
「分かってンだぜ。お前」
「な、何がよ!」
「お前、フィーデスとリオンがいちゃいちゃしちゃ寂しいから怒ってんだろ?可愛い奴だな。何なら俺がお前の恋人になってやってもいいんだ──」
「クライシスローゼント!」
「うぐあッ──!」
何せ女心を知り尽くした俺だから間違いは無いはずだ。過信は己を滅ぼすとは誰の言葉だっただろうか、思い出そうにも咄嗟に立ち上がった海が爆転をした時には既に手遅れだった。彼女の白い爪先が凶器となり、俺の顎を全力で蹴り、衝撃で俺を壁まで吹っ飛ばしたのだった。
鼻血を出し呻く狼に人魚姫が一言。
「クライスの馬鹿ッ!」
なあ、神様。俺の、海への思いはいつ伝わるんだろうか。
知らぬうちに浮かぶ失笑。壁に寄りかかった男が一人で笑っているのだから、電話を終えた相方が不気味がっても不思議ではない。
* *
翌日。
フィーデスは相変わらず家出中だ。今日には帰ってくるらしい。リオンも相変わらず無断外出中。此方も当然だが今日には帰ってくる。
俺と海はというと、追跡中だ。
追跡対象なんて言う必要もないだろう。俺と海は帽子を深く被り、サングラスを掛け、親子のように手を繋いで、道を進む黒いスーツの後ろ姿を追っていたのだった。
勿論誘い出したのは俺だ。あいつが何をしに行くか知らないし知りたくもないが、もし“愛の密会”だったのなら海は完璧にリオンを諦めるだろう。もし違ったとしても、相棒として行き先を把握する分には丁度いい。
海は昨日のことを引きずり機嫌を損ねていたが、気になるものは気になるようだ。断られた俺が一人で行くと宣言した矢先、準備を整え玄関で仁王立ちしていたのである。
全く、可愛い奴め。せいぜいふられて泡になってしまわなければいいが。
「クライス!」
「おう、何だ?俺の可愛い海ちゃま」
「気持ち悪いこと言わないで!」
「ぶっ──」
手を繋いでくれているのがあまりに嬉しくて、つい口に弧を描き甘い声で囁けば海のバッグが顔面にめり込んだ。顔面を叩かれる父親もといボディーガードもどうだろう。
海が俺を呼んだのは、リオンが右に曲がったからだったらしい。突然彼の姿が消えたものだから慌てて曲がったのだが、目の前の光景に再び慌てて電柱の陰に隠れた。何も知らない海がそのまま飛び出そうとするものだから、咄嗟に首根っこを掴まえる。
リオンはフィーデスとデートの待ち合わせをしているわけでも、怪しげな奴らと会っている訳でもなかった。
彼が話しているのは一人の店員。店の看板には村木ミルクヴラントと書かれている。その下には。
「村木とろーり濃厚プリン……」
「もしかして、プリンを買いに来ただけなの?」
「俺達には秘密で、か?」
「リオンは甘いものが好きなのかな」
「おう、海は知らなかったか。あいつの甘いもの好きは尋常じゃないぜ」
「……」
気分悪そうにする海。もし海がリオンと付き合い始めたとしても、甘いものに振り回され気疲れするだけな気がするのは気のせいだろうか。
海はさておき、俺はリオンの声に耳を澄ませる。あいつが頼むものなんて栗が載っているものに決まっている。
「濃厚プリンの栗味が一つ欲しい」
ほら来た。
「それから、そうだな……普通の濃厚プリンを一つ」
「?」
「それと、激甘プリン、女性用を一つ」
「!」
「あと、濃厚プリンにネギと福神漬けを載せたものを一つ頼む」
「……」
やけに大きな声で為される注文に、俺は気分悪そうな海と目を見合わせた。間違いなくあいつにバレている。そして、明らかにプリンに薬味は要らないだろう。海じゃないが考えるだけで気持ちが悪い。俺も電柱に縋りつきながら顔を顰めた、刹那。
リオンが顎を引き、此方に鋭い視線を向けたのだ。
「海!クライス!」
「……」
「出て来い」
「……」
「聞こえなかったか!?出て来い!楢崎!アルフォード大尉!」
「……はい」
まるで悪行をなした奴らのように、俺と海は両手を挙げリオンの前に姿を見せる。初めからつけられていたことに気付いていたのかどうなのかは知らないが、俺達の前で堂々と村木プリンを買うリオンもどうだろう。
俺は海に目をやる。
一番分からないのはこいつだ。こんな奴を好きになるなんて人生を無駄にしているようなものだ。俺は辛いものも食べられるし、海をプリン地獄に落とすようなことなどないのに。
「……」
誰のせいでこうなった?自問してから、俺は再び大きな溜め息を吐いた。
……俺じゃねえかよ。
「あははは!それで薬味プリンなんだね!」
「抜け駆けさせるかよ!」
「うっわ、ネギ載せないでよ要らないから!」
その日の晩。
完璧に打ちひしがれてしまった海は部屋の中、リオンは何をしているのか知らないが部屋の中。俺は帰ってきたフィーデスと一緒にプリンを食していた。
薬味さえなければ最高に美味いのかもしれないが、やはりリオンの嫌がらせが台無しにしている。俺が、美味そうに濃厚プリンを食べるフィーデスに薬味を分けてやれば、彼女はそれをご丁寧にスプーンで戻してくる。
「でも、何でリオンの嫌がらせを受けたのさ?何かしたんじゃないの?」
「ああ、まあな。あいつが愛している、なんて言うから、お前とのデートだと思ってつけていったんだよ」
「うーん、確かにそうだけどさ、デートはないよ」
「そうか……いや待て、何て言ったお前!?確かにそうだけどと言ったのか!?」
「うん」
衝撃的なことを平気で言うフィーデスに、俺は思わず目を見開いたまま動きを止めてしまった。
リオンはフィーデスに愛していると言った。だが、フィーデスが何をしていたのかは知らないが、リオンとのデートは有り得ないと言ったのだ。本当にフィーデスがリオンのことを愛しているのなら少しは恥じらうだろうし、デートは有り得ないなど堂々と言うわけがない。
──まさかあの隊長、片思い中なのか?
人生順風満帆だと言わんばかりに余裕な表情をしている割には、片思いをしているとは。だが、彼の思いは、フィーデスが心変わりでもしなければ叶うことがないわけだ。それに気付きもせず、愛している、だと。
「ぶっははははは!気色わりィ!気色悪すぎる!」
「何笑ってんのさ?ネギ落ちちゃうよ」
「あぁ?ネギぐらいいいんだよ、こんなのおかずにもなんねえ」
「……クラフォードが言うと嫌らしく聞こえる」
「何だ、ヤられてえのか?」
「……」
「いや、待て。何で黙る」
「……」
「おいおい……」
「クライスアルフォード!聞いてください!」
まさかこいつにそういう欲求があったとは。有り得ないとは分かってはいたが、妙な沈黙が逆に不気味だった。
フィーデスは食べかけのプリンをテーブルに置くと、ふと顔を真っ赤にし泣きそうな声で……予想外の言葉を紡ぐ。
「私クライスアルフォードが好きだ!」
「……はあ!?」
「変なこと考えないでよ!?一人の人として好きなの!」
「いや、でも俺は──」
「リオンはどうするのかって!?悪いけど、私はリオンをただのボディーガードとしか見れないんだよ!」
「……」
だから、リオンとのデートが有り得ない、と。
だが、そんなリオンを海は愛している。俺は海が好きだ。そして、フィーデスは俺が好きらしい。
平穏だったはずの共同生活の波があっと言う間に崩れ去っていく。俺はてっきりリオンとフィーデスが、そして俺と海がくっつくものだと思っていたのに。
「四人とも片思いじゃねェかよ……」
四つに分かれた部屋の扉を目で辿り相関図を描きながら俺は思わず呟く。海とフィーデスの記憶も、リオンが追っている奴も、リオンのいない平穏な生活への夢も最早どうでもいい。恐らく絡み合った複雑な関係を解ける者もいなければ、今までのような生活を送ることも無理になるのだろう。
フィーデスが小さくなっている一方で、俺は額に手を当て、何度目か知れぬ溜め息を吐くしか出来なかった。
「……って夢だったンだよ」
恐ろしい夢を話し終え改めてリオンの方を見れば、彼は嘲笑も浮かべていなければ冷めた目をしているわけでもなかった。彼の表情に掛ける言葉がなく、俺はマフラーを調整するふりをして彼から目を逸らした。
朝の取締。門の前に立ち凍える空気の中生徒を待っていたのだが、二人して寒さに耐えきれなくなったのだ。リオンに何か面白い話をしろと言われ、内心抗いながらも口にしたのが今朝見た夢の話だったのだった。
再びリオンの方を窺う。
スーツの上に纏った上着。其処に溶ける雪。掌の中の缶珈琲。白くなり消える息。
彼の沈黙に俺は既視感を覚えていた。妙な沈黙の後には必ず何かがあるものだ。夢の中でさえそうだったのだから、現実だってそうだろう。予想通り、リオンは噤んでいた口を開く。
「強ち間違いでもないかもしれないな」
「……は?何言ってンだお前。教師と生徒の恋愛なんか有り得ねェだろ」
「なら、クライス、お前は何故海の尻を執拗に触る?お前のセクハラは愛情表現なのだろう?」
「そう言うお前だってそうじゃねェのか?フィーデスにはやけに優しいもんな」
「……」
「けどよ、考えてみろ。生徒だぜ?高校生だぜ?」
「何故一歩下がろうとする?生徒だろうと何だろうと好きなものは好きなのだろう?まさか、ふられると分かっているから奥手になっているのか?」
「お、ま、え、も、な!」
たっぷり嫌みを残してから再び前を向く。
だが、リオンの言うことにも一理ある。俺としたことが海に惚れた。だが、叶わぬ恋と分かっているからこそ、教師と生徒の恋など気色悪いと片付けてしまう。
もし、海が俺のことを好きだと仮定すれば、確かに話は進む。フィーデスはリオンに任せ、成績の話を装い近くのカフェにでも誘えばいい。夜遅くなったときはそのまま。
「へへ……へへへ……」
「おい、変態。今日もバイクでご登場だぞ」
「俺は変態じゃねェって言ってンだろーが!」
「議論は後にしよう。行くぞ」
リオンの言葉を皮切りに、俺は此方に向かってくる黒いバイクに備え木刀を取り出す。雪は降っているものの殆ど雨のようなものだ、それをいいことに今日もご丁寧にバイク登校して下さったのだろう。
此方にしてみれば、構って欲しいように見えて仕方がない。
「うわ、リオンとクラフォードまたいるし!」
「突っ込むよ、フィーデスちゃん!掴まってて!」
「うん!」
二人の声に、俺とリオンは目を見合わせ嘲笑を浮かべる。
愛する姫の暴走は、不屈の騎士が止めてみせよう。
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