あまやかしておくれ | ナノ





「もう会わないから」



俯いたままそう告げたわたしには、沈黙を守るジョットがどんな顔をしていたのだかわからなかった。なぜ?とか、どうしてだよって肩を揺さぶりながら問いただされるかと思っていたのに。
いいえ、慌てて問いただして欲しかったのは、わたし。怒っているのか、それともちょうど潮時だと思ってせいせいしているのか、何となくこわくて顔を上げられないまま、ぴかぴかに磨かれたエナメルの靴をひたすら穴があくくらいに見つめ続けた。ジョットの靴は、見るたびに洗練されたものになっていくから、屋根裏でちいさな秘密をたくさん作って遊んでいた子供の頃とは大違いだと思うと胸がきゅうっと痛くなる。だけどもう、これ以上二人の間に秘密が増えることはなくなってしまったのだ。

「それじゃあ、元気でいてね」

どうか危ないことに巻き込まれてケガなんかしませんように。結局わたしは顔を上げないまま、逃げるようにして踵を返す。
いまや知らない人も少なくなったボンゴレのボスであるジョットと親しくすることを、パパンは絶対に許さないと言った。俺の財産を狙って世間知らずのおまえをたぶらかしているんだ、とも言った。でもそれは違う。わたしの方がジョットを好きで好きでたまらなくなってしまったのだから。街で有名な資産家でもあるパパンは、次にジョットと会ったら彼を殺すためにお金を使うことになるだろうと言ってわたしを教会に連れて行った。名付け親の牧師さまの前で彼とはもう会わないと無理矢理誓わされたけど、わたしはこころの中でいばらの冠をした神さまに彼を生涯愛し続けますとこっそり誓った。いくらわたしが世間知らずだって、マフィアが何たるかを知らないわけじゃない。だけど、小さな頃から一つだってわたしのいやがることをしたことのないジョットを危険な目にあわせるわけにはいかないから、こちらからさようならと告げることにした。
明日の18の誕生日にはわたしの大好きな薔薇を年の数、それから同じ色のドレスを贈るからパーティーを開こうと言ってくれた彼の、とかしたバターみたいに優しい色をした瞳が大好きだった。結局友だちと同じようなキスやハグをしただけだったのに、わたしが勝手に彼も好きでいてくれてるのかもしれないなんて舞い上がっていたのだ。だから結局ジョットは何も言わなかったし、わたしも振り返らなかった。これでいいんだ、たとえ会えなくともこの想いだけはずっと抱いてゆけばいいのだから。明日は今まで生きてきた中で一番高価で手に入らないものをパパンにおねだりして困らせてやろう。ピンぼけした街を歩きながら、行ったこともない国の物語に出てくるような宝物を思い浮かべてリストアップしておくことにした。










大好きな野いちごのジャムをたっぷりとかしたロシアンティーも今夜は味がしない。ずっと楽しみだった誕生日に開いてもらったパーティーも、甘くてかわいらしいマカロンも、シフォンが幾重にもあしらわれた妖精のようなドレスも、まぶしいくらい鮮やかな東洋の花もなぜだかぐんと色褪せて見えた。きっと今のわたしがほしいものがそこには何もなかったからだ。パパンがおまえの婚約者だと言って連れてきた男の人の顔も全く覚えていない。自分から会わないと言っておきながら、今日一日やわらかな金色を身にまとった男のことしか頭になかったわたしの中からは色も味も枯れてしまうような気がして切なくなった。このまま何を見ても、何を食べても笑えない女になるのかしら。



「お邪魔してもいいだろうか?」

ラベンダーの香りのキャンドルの炎が揺らめいたのは大きなため息のせいだと思ったのに、それは間違いだった。テラスから音もなく忍んできたのは、月明かりを背負ったしなやかな影。頭の中から抜け出してきたような、昨日別れた時のままのジョットがそこにいた。もう会えないと思っていた人が手の届くところにいるなんて信じられない。言葉をなくしたわたしのくちびるに、少しだけひんやりとした人差し指がそうっと触れる。

「君のお父さんの愛犬には少しの間眠ってもらってるけど、あまり時間がないんだ」
「…どうして?」
「特別な今日がもうすぐ終わってしまうから」

誕生日おめでとう。
小さくひそやかにささやかれたその言葉が、差し出された一輪の薔薇の色と香りをたちまちわたしの中から呼び起こす。待ち焦がれていたジョットからの言葉に全身が喜びで震えた。もしかすると、都合のいい夢を見ているのかもしれない。少しこわくなったわたしに気付いたのか、ジョットは優しい眼差しを送る。

「俺は今日、初めて自らならず者になろうと思ったよ」

ボンゴレは今でこそ一目置かれる一大マフィアだけれど、そのはじまりは自警団だ。ジョットが決して私利私欲のためにボンゴレを組織したのでも、街のみんなを脅かすために作ったのでもないことをわたしは知っている。元々の思惑と違った方向に歩み始めたその行く末に、人知れず悩んでいることだって知っている。わたしはただその優しい瞳を見つめ返すだけだった。

「あれからうんと考えてみたんだ。どうしてあんなことを君が言ったのか、どうしてあの時俺の顔を見ようともしなかったのか、どうして誕生日を祝わせてくれる気がなくなったのか」

一日じゃとても答えは導き出せなかった、そう言うと彼はわたしの手を引いてテラスへと向かった。月の光以外、わたしたちを見ているものは誰もいない。振り向いたジョットは真っ直ぐにわたしを見ながら、どこか苦しげに口を開いた。

「だけど、君が俺の知らない男と婚約したらしいと聞いたら、考えていることすら馬鹿らしくなってしまった」
「……」
「俺は自分で思っていたよりもずっと諦めが悪いんだなって、今日初めて知ったよ。だけど、欲しいものをこんな風にして手に入れるのは、きっといけないことだ」
「えっ?」
「…これから本当のならず者になろうとする男に、今夜さらわれてはくれないだろうか?」

ジョットと会うなと言われた日から何度夢にみた光景だろう。差し出された大きな手の先、テラスの手すりには縄ばしごが結わえられていた。ぴかぴかだったエナメルの靴はくすんでいくつも傷がついている。外にはすぐに牙をむく番犬が何匹もいるというのに、こんな危険を冒してまで心やさしいジョットがわたしの為にならず者の汚名を着ようというのだ。こくこくと頷いたわたしに夜の帳を織り上げたようなマントを羽織らせると、手早く自分の肩に担ぎ上げてテラスを乗り越える。早くしろという押し殺した声に下を見れば、いつもジョットと共にいるGの姿が見えた。今夜も同じように苦虫を噛み潰した少し怖い顔でわたしを見るのかしら?

「さあ急ごう、君のための残り17本の薔薇とささやかなパーティーが待っているから」

ゆっくりわたしを地上に下ろしてくれたジョットの手をとった途端に世界のすべてが輝いて見えるなんてこれはやっぱり夢だったのかと不安になってしまったけれど、ぎゅっと握り返してくれた手は泣きたいほどにあたたかだった。こんなに素敵なならず者の仲間になれるのなら、他にわたしが欲しいものなんて何一つありはしない。




Buon Compleanno!



110505 紅緒
大好きな唯さまのお誕生日と、この企画の一周年をお祝いしまして。

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