「…………」

一瞬、呆気に取られ無言になる。後から
本人に聞いた話では、どうやらこの時は
ド派手に登場したかったらしい。雑誌や
テレビ等、メディアを通してでしか見る
機会が少ない外車を運転し、助手席側の
ドアを手動で開け、青年が降りて来たが
随分と自信に満ちた立ち姿にドン引き。





「やぁ、雫!」
「――純さん」

俺の恋人に馴れ馴れしく呼び捨てにした
“純”という男。それは、未だかつて雫
の口から聞いた事の無い名前だ。しかも
俺以外に下の名前を普通に呼び合う仲の
男がいるとは、ちくりと胸の奥が痛む。

「この人、誰?」
「この間変わった、新しい担当の人」

担当が変わる事すら知らなかった。取り
残された感に陥る俺の隣では、親しげに
話す雫の姿。目に写り込む二人を横目で
見て眺めてみたが、会話に夢中で俺には
気付かれない。軽い嫉妬から、膨らんだ
寂しさは怒りへと変貌し、尾を引いた。

「良い漫画を描くには、色々と恋愛して
経験豊富にならなきゃ……ね?」

この奴の発言によって、火に大量の油が
注がれてしまうと、太く鋭い一筋の矢は
女々しい俺の心に刺さった。色々と恋愛
って何だよ。俺だけでは駄目だとでも?
遠回しに嫌味を言われた気分だ。それは
雫にとって俺が初めての人で――。故に
余計に見下され、存在すらも否定された
と、頭からそんな考えが抜け出せない。

「くそっ!」

無意味に地面を蹴ってに八つ当たり。髪
をぐしゃぐしゃに掻き乱しても、上手く
言葉には出来ず、このモヤモヤは一向に
消えない。心の隅に、ぽっかりと空いた
大きな穴の傷。簡単には癒えなかった。





「今日、雫の家に寄っても良いか?」

次の日の帰り道。首を横では無く、縦に
振らない事は、聞く前に端から分かる。
それでも、頷いて応えてくれる可能性を
彼氏として願わせて欲しいだけなんだ。

「駄目だよ。休日分の漫画も描かなきゃ
いけないし……って、何かあった?」

俺は突然立ち止まって、長い間一緒には
居られない、悔しさをぶつけるかの様に
わざと強く抱きしめる。そして少しだけ
力を緩ませ、今度は指を絡めさせながら
唇を重ね合わせた。しかも、角度を変え
何度も、何度も。このまま時が止まれば
良い。そしたら二度と、あの男に会わず
に済むのに。……不安だから心配する。
だからと言って、雫を信用しない訳では
無い。そんな矛盾が俺に襲い掛かった。

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