私ではなく君になりなさい | ナノ

 ――あれは、悪夢の始まりだったのかもしれない。
 走り出したくなるほど気持ちのよい日だった。空には雲一つなく、高く上がった太陽の光が降り注いでいる。偶に風が吹いて、髪を揺らした。乱れた前髪を押さえると、目にかかった。
「これじゃ怒られるなあ」
 後ろ髪にも触れながら、今度ランピーに散髪を頼もうと決める。たくさんの資格を持つ彼のことだ。理容師の資格もきっと持っているだろう。今日のお守りのお礼にしようと続けて決め、海辺に視線を戻した。
 海辺では子供たちがはしゃいでいた。カドルスの頭にギグルスの打ったビーチボールが当たり、スナフティは何か得体の知れない生物を観察し、ハンディは砂のお城を作っていた。他の子供たちもそれぞれ楽しんでいるようだった。
 皆の荷物が置いてあるビーチパラソルの下で持参したスポーツ飲料水を飲んでいると、こちらに近づいてくる子がいた。フレイキーだ。赤髪の小さな女の子は、ぼさぼさの髪を振り水を飛ばし、耳の中に水が入ったようでとんとんと二三回小さく飛び水を出していた。
「どうぞ」
 手が届く距離にまでなったとき、タオルを渡す。個人によって色が違っていたから、フレイキーのものを渡すのは簡単だった。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 隣に座ったフレイキーの髪の端から水が落ちるのを見る。水気のあるものが近くにあるせいか、ビーチパラソルの下が急に蒸し暑く感じた。
「アイス、食べない?」
 アイスキャンデーと書かれた旗を指差しながら提案すると、フレイキーはぱちくりと目を大きく開いた。
「いいの?」
 おどおどと尋ね返されれば、安心させるように微笑んだ後、小指を出しフレイキーのものと絡ませる。
「皆には内緒だよ?」
「うん!」
 二本買い、一本を手渡す。クーラーボックスから出された瞬間に溶け始めたアイスキャンデーは、一刻も早く食べなければいけなかった。もうすでに手に垂れてきたアイスキャンデーを口に入れると、甘さと冷たさが広がった。少しだけ蒸し暑さが解消されるような気がしたが、首に流れる汗は先ほどと何も変わらなかった。横を見ると、フレイキーが無言だが嬉しげにアイスキャンデーを頬張っていた。
「ぼくはフリッピーさんみたいになりたいな」
 何ともないように呟かれた言葉に息を呑む。隣に座る赤髪の小さな女の子は無邪気に、なれるかなあなんて、頬を赤らめ笑っていた。
「おれみたいに?」
「うん」
 ――ぼくは隊長のようになりたいです。
 ずきりと頭の奥が痛む。「っう、あ」激痛に耐えられず、頭を抱えたまま倒れ込むと、驚きや不安を詰め込んだぐちゃぐちゃの表情をしたフレイキーが見えた。
「フリッピー! フリッピーさん!」
 ――隊長! 隊長!
「大丈夫!? ねえ!」
 ――大丈夫なんですか!? 敵はもう、そこまで……!
 ぱーん、近くで銃声が聞こえた。ぱーんばーん、声に出してみると随分間抜けな音だ。銃声に混じって叫び声が聞こえる。部下のものか敵のものか。どちらにしろ耳障りなものには変わりなかった。
「うるせえな」
 ゆっくり上体を起こし、部下の肩を掴む。びくりと揺れたが、気にせず常に身につけているはずのナイフを探した。
「フリッピー、さん?」
 ――隊長?
「敵だろ、分かってんだよ」
 ようやく目的のものを見つけ、笑う。寝ていた際に落ちたようだ。刃がこぼれてないか確かめるために、今度は試し斬りできるものを探す。しばらくそうしていると、目の前にいいものがあったことを思い出した。
「あるじゃねえか」
「え……?」
 いくぞー、点呼を取るときのように軽く声をかけ、ナイフを目玉に突き刺す。いつもと違った感触に首を傾げ、それをすぐに抜き取った。
「いやあああああああああ! いたい、いたいいたいっいたい、いたいよお!」
「あー? 切れ味悪くねえか?」
 想像以上に使えなかったナイフを捨て、他のものを探す。ポケットそこらへんカバンまたポケット。いくら探しても、どこにも見つからなかった。
「なーお前持ってねえ?」
 質問しても答えず、まだ騒いでいる部下に溜め息を吐く。
「覚悟決めて来たんだろ? それぐらいでぴーぴー言うなよ」
「やだ、や、たすけて、……!」
 ――夢を見た。それは悪夢だった。
 敵が数人近づいてくるのが見えた。一人がナイフを持っていた。ちょうどいいと笑い、それを奪った。後は、単調な仕事だった。向かって来るものを消し、銃を取り出したものもいたがあっさり殺すことができた。敵が目の前から誰一人いなくなったとき、おれになりたいと言っていた部下が、あなたはだれと不思議なことを言っているのが聞こえた。
「おれは、おれだ」
 目が覚めると、太陽が沈むところだった。真っ赤な夕日が海岸を照らしていた。
「フレイキー? あれ、どこ行っちゃったんだろ。……言わないといけないことがあったのになあ」
 愚痴をこぼしながら、帰る準備をする。ものが散乱している状態に眉を寄せるが、寝ている間に子供たちがいたずらしたのだろうと結論づける。立ち上がるとき、鉄のにおいがしたが、気のせいだったのだろう。体中のどこにも怪我は、なかった。
2012/06/21
私ではなく君になりなさい

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