消える人生、黒に没する

たった今言われた言葉がどこか遠く他人事のように感じた。現実感を感じられずにボクはただぼんやりとその人の顔を眺める。ああ、今日もその人の顔は歪みに歪みきっていた。ボクもそんなふうに笑ってみたいよ。


『そ、か…』


納得したようにそう言ってボクは笑った、つもりでいる。首に提げられた音のならない鈴が揺れた。カクリ、と人形のように首を傾けたボクは目を伏せる。
これがボクの物語の終わり。いつそうなってもいいように過ごしてきたつもりだ。つもり、だけれど。
ボクは天を仰いで『はは』と声を漏らす。笑える。でも、笑えないや。


『ボクはもう用済み、てことね』


その人は肯定であることを表すために頷いてみせる。悲しくなんてなかった。元々、悲しいなんて感情もない。
その人がボクに近づいてくる。ボクはそのまま突っ立ったままその人がここまで来るのを待つ。
早く来い、やっぱり来ないで。思考はくるくる回って、回って、落ちる。

ボクの目の前で立ち止まるその人はいつものように気味の悪い笑みを浮かべてボクを見ている。ボクもその人を真似ようと口の端を上げてみた。きっとボクは今、とっても醜い顔をしている。
その人の手がボクの額に触れた。もう終わりか。
喉元に何かが詰まったような感覚に陥る。なんだこれは。これは一体何なのだ。

(ボクは、ボクは、ボクは…)

消えたく、ない――


衝撃。
ボクはそのまま後ろに倒れる。全身に力が入らなくて受け身なんて取れないままに、重い音を立てて倒れた。
呆気ないな。そんなことを考えながらボクは目を閉じる。
今までボクが生きてきた分の記憶が頭を巡っては黒くなって消えていく。今まで一度も笑ったこともなくて、泣いたこともなくて、怒ったことも、悲しんだことも、何もない薄っぺらい記憶がボクから消えていく。
呆気ないな。ボクの今まで生きてきたちっぽけな人生は。

キミの後ろ姿が見える。もう最後の記憶か。あっという間だったな。
キミが笑ってる。キミが泣いてる。キミがそこにいる。キミがボクのそばにいる。
無くしたくない。ボクはキミとの記憶を無くしたくない。キミを忘れたくは、ない。
キミが黒くなって霞んでいく。行かないで。ずっと、ずっと、ボクのそばに居て。キミを離したくない。キミがいなくなったら、ボクは――

沈む。深く深く沈む。ボクの記憶の中のキミをきつく抱きしめて沈む。
ここにいればきっと安全だ。そうボクは思って君を愛おしそうに抱きしめる。そんなボクの目からは出るはずのない涙がこぼれる。
キミはボク。ボクはキミ。これからも、ずっと一緒だ。


ボクは黒に消える。
でも、キミがいるならボクはまだ。まだ、消えはしない。
おまえの思い通りになりはしない。


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