不良品、記憶は喪失

しばらくヴァニタスを抱き締めていたわけだが解放するタイミングも見つからなかったボクにヴァニタスはいい加減痺れを切らしたのか「放せ」と一言。内心助かったと思いながらヴァニタスを解放する。
流れる沈黙にボクはどうしたら良いのかわからなくなってきた。ボクが話題を作るべきなのかな。生憎、ヴァニタスに話せるような話題は持ち合わせていない。どんな些細なことでも良いから、とも思うが元々ボクは誰かとちゃんとした言葉のキャッチボールをあまりしたことない。どうしようか、と頭を抱えているとヴァニタスがまたもや痺れを切らしたのか「おい」とボクを呼んだ。


「な、何?」


「何もないなら俺は行くぞ」


このままでは本気で行ってしまう。ボクは彼とちゃんとした言葉のキャッチボールをしてみたい。


「ヴァニタス」


「何だ?」


「一緒におしゃべりしようよ」


ボクの言葉にヴァニタスはほんの少し首をかしげた。決してあの黄色いの教祖様の台詞を抜粋したわけではない、と言い訳にもならない言い訳をしてみる。
すると、ヴァニタスはボクを嘲るような笑い声を漏らす。この笑い方がヴァニタスの笑い方なんだろう。それ以前にヴァニタスの笑い声を初めて聞いた。こんな笑い方するんだ。


「良いだろう。暇潰しとして付き合ってやるよ」


上から目線かこの野郎。きっと素直になれないだけだろう、と考えてみると何だかかわいく思えた。


「座ろうよ」


ボクが膝を抱えて座ってから手招きをすると、ヴァニタスは隣に無言だが座ってくれた。


「前は全然無言だったのにね」


「話す必要もなかったからだ。会話程度で無駄な力を使いたくなかったからな」


「じゃあ今は必要なんだ?」


それから黙り込んでしまったヴァニタスにふ、と笑い声に似た息を漏らす。だが口許は落ちたまま。やっぱり、笑えないや。


「その鈴」


「ん?」


「音が鳴らないな、不良品か?」


「ち、違う!」


いつの間にかコートの外に出ていたチェーンを通した音の鳴らない鈴を強く握った。不審そうに首を傾けたヴァニタスにもう見られないようにコートの中に傷が付かないようにそっと入れる。


「そんなに大切か?」


「大切」


「誰からもらったんだ?」


「覚えてない」


「覚えてもいないのに大切なのか」


そう言って鼻で笑ったヴァニタス。ムッとしたボクはヴァニタスのヘルメットみたいな仮面を右手で殴ってやった。ガツンとかゴツンとかガコンとか音をたててボクの拳に大ダメージ。


「痛い」


「当たり前だろ」


じんじんと心臓が脈を打つのに合わせて痛むボクの黄金の右手。意外と固かった仮面にもう殴らないと心に強く決めた。

だって本当に覚えてないのだから。
いつの間にかマスター・エラクゥスの元にいて、いつの間にかボクの首には中身が空の鈴が提げられていて。よくわからないけれど、その鈴が本当に大切なものなんだって記憶の中にあったから今も大切にしていて。
ボクはヴェントゥス同様に、記憶喪失であった。そのことを知っているのはマスター・エラクゥスと何故かゼアノートとその他少数のみ。
この鈴を持っていればいつか思い出せるだろうと信じて、今までこんな必死に生き延びてきた。強さを欲して闇の力に溺れ、もう何年がたったのだろう。

と、会話が途切れた時にヴァニタスは何かに気付いたようにどこか虚空を見てからボクの未だ痛む右手を掴んで立ち上がった。

(い、痛いんですけど…これ本気)

ボクも立たされてからヴァニタスはボクを置いて歩き出す。


「どこ、行くの?」


「おまえに関係ない」


いきなりの突き放すような言い方にボクは頬を膨らませた。無表情で膨らんだ頬にはなんのかわいげもない。


「おまえじゃない。スペース」


スタスタと歩いていくヴァニタスはあの時と同じように闇の回廊の出口を開き、足を踏み入れた。それからまた出口が閉じる前にこちらを見て、仮面越しにボクを見たヴァニタスはこう言ったのだ。


「スペース」


閉じてしまって消えた闇の回廊ではなく、ヴァニタスを見ながらボクは目を細める。

(素直じゃないか)

もっと仲良くなりたいな。ヴァニタスもそう思ってくれてるだろうか。

ボクの方も開いたらしい闇の回廊の出口へ歩を進ませながら、彼との繋がりのようなものを感じた。


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