それを始まりと呼ぶには



生物の体の半分以上が水分でなんだと聞いたことがある。それは天上に住む神様である私たちにも同じことなのだろうか。
以前そのことについて彼に問い質そうとしたことがあるが、彼はそんな私を見て口元に笑みを浮かべたまま「わからない」と首を振るばかりだった。彼がわからないのなら、私もわからなくてもいいやと今までを過ごしてきた。
だが、今猛烈に同じ問いを、彼に問い返したい。

私はこのまま死んでしまうのか?

それでも良いかもしれないな、と霞んでいく視界を細めた。
貴方のいない世界。温もりを失った世界。こんな世界に私の在る場所は、ない。
ああ、これが彼の言っていた走馬灯というものだろうか。貴方との出会いが、貴方の背中が、貴方の笑顔が、貴方との大切な思い出が、過ぎていってはどこかに消えて行くような感覚に襲われる。手を伸ばしても届かないところへ行ってしまったのだ。彼も、彼との思い出も。
さっきまで締め付けられるように苦しかった胸も、さっきまでヒリヒリと痛かった目も、両手も喉も頬も、全部全部遠退いて行く気がして。

ふと天を仰ぐ。
霞みがかった視界が青色で染まる。今日は空がいつもより青い。


「は、はは…」


私の口から漏れたのは、笑い声だった。掠れていて嗄れていて、とても聞けるような声ではなかった。
それでも、私は笑った。腹から笑った。空に向かって。貴方に見えるように、聞こえるように、出来るだけ大声で。
辛かったことも、悲しかったことも、辛いことも、悲しいことも、全部何もかも笑い飛ばしてやる。ここに私のいる場所がないのなら、全部残さず天へ還そう。
――だから。


「…な、あ。そこに、いるんだ、ろう…?」


途切れ途切れでしか言葉を紡げない私が、背後にいるやつに問いかけてみても、そいつは黙り込んだままだ。気配を消したまま私の背後に立ち尽くしている。気配を消している、というより存在することを諦めているような、そういう感情が背中越しに伝わってきた。
だが、そいつがどうだろうと私には関係ない。私の質問に答えてくれるのならば。


「…貴様、に、問う」


そいつはまだ何も言わない。それでも構わない。私の質問に答えてくれるのならば。


「……あの、人、を、殺した、のは、誰…?」


頭がぼんやりと霧がかっているような感覚に陥る。ああ、もうそろそろか。全身の力が抜けていって、自分の意識さえも遠くへと行ってしまいそうになる。
だけど、もう少しだけ待って。あの悪魔の答えを聞くまでは。あと、もう少しだけ。


アスラ


そいつも久しく言葉を声にしていなかったような、掠れた囁くような声で答えをわたしに落とした。私はその答えを聞いて目を閉じる。「そう、か」とだけこぼして、とうとう私はその場に倒れ込んでしまう。もう起き上がる力なんてない。そもそも、私はもう起き上がろうとも思わないが。
それから私は、残った最後の力で自分の歯を噛み締める。そして、憎悪の目をそこにはいないあいつに向けた。ああ、憎い。あいつが憎くて憎くて、たまらない。


「来世。来世だ。来世にて、殺して、やる……っ」


縦横無尽に蹂躙して、魂までも木端微塵にしてやる。もう貴様に次なんて与えてやるものか。与えさせてやるものか。
全ての憎悪を込めて、その名を口にする。


「――アスラ……っ!!」


私は今日もそんな夢で目が覚めた。

 


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