優しい人の名を



「おい!どうしたんだ!まさか逃げたんじゃないだろうな?!」


そんな王都兵の大声に私はハッと目を開く。どうやら目を閉じて、いつの間にかそのまま時間が経ってしまっていたようだ。勢いよく顔を上げるとシャワーを思い切り顔面に浴びてしまい、呼吸ができなくなってしまう。落ち着け、落ち着け自分。


「い、います!ここに!今出ます!」


なんとかシャワーの雨から抜け出して、ドア一枚の向こうにいる王都兵に向けて答えるように大声を出す。それを聞いて安心したのか、ドアの向こうから気配が消える。私はほっと安堵か疲労かわからない溜息をついて、シャワーの蛇口をきつく締めた。
まさか隠れてはいないだろうとは思いつつ、浴室のドアをほんの少しだけ開いて念入りに周りを見回してみるが、どうやらいないようで私は浴室から躊躇うように出る。王都兵から受け取ったタオルで体や髪の水分を拭き取っていると、ふとシャワーを浴びる前に自分の衣服を畳んで入れたカゴに視線を向けた。なんということだろう。そこには血の一滴もついていない新品同様に洗濯された自分の衣服があったのだ。あの王都兵が全部やってくれたのだろうか。私は嬉しくなって、ふふっと笑い声を漏らした。
一通り水分を拭き取ってからその衣服を身に纏い部屋を出ると、そのすぐ隣に腕を組んで壁に寄り掛かっている例の王都兵がいた。私は予想もつかず気配も感じ取ることが出来なかったので、ひっと音を立てて息を吸い込む。


「うひゃあ?!ど、どうしてここに?!」

「お前が勝手な行動をしないように、だ」


私は跳び上がる勢いで驚いたが、その私を驚かせた張本人である王都兵はいたって冷静だった。本気で驚いた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまうような反応に、私は「はあ…」と曖昧そうに息を吐き出すように声を出した。あっと私は思い出すように、曲げていた腰を真っ直ぐにして王都兵と向かい合うように立つ。


「あの、私の服洗濯してくれたんですよね。ありがとうございます。他にもいっぱい、ありがとうございます」


そう言って腰を何度か起き上がらせて折り曲げると、王都兵が少なからず動揺したのを感じた。私はそれが嬉しくて頭を上げて、その王都兵を真っ直ぐに見つめる。王都兵は照れ臭くなったのか帽子を更に深くかぶって少し俯く。


「それで、名前伺ってもよろしいですか?」


あなたのことがもっと知りたい。そしていつか、お礼をしたい。その思いでそう王都兵に問いかけると、王都兵は俯いていた顔を上げて、私を鋭く睨みつけてきた。私は思わず怯む。それは、戦争を幾度となく越えて来たであろう、獣の目だった。
王都兵が私から視線を逸らすまで、私は蛇に睨みつけられた蛙のように固まってしまっていた。私は視線を逸らされたことで、無意識のうちに緊張状態だったらしい体の力が抜けるのを感じた。


「今のこの時代だ。名前なんて知っていたところで明日、早くて今日にでも、その名前を呼べなくなるかもしれない。だから、名前を教えるのも知るのも無意味だ」


そう言った王都兵の目には何かが映っていた。きっと、彼は体験したのだ。大切な人の名前を呼べなくなったことを一度だけではなく、何度も、何度も。
私は思わず俯く。彼のことを知らないで私は自分勝手な奴だ。それでも。
顔を上げて王都兵の顔を見つめる。目は合わなくても、それでもじっと。


「じゃあ、私はあなたのこと優しい王都兵さんって呼びます。それならいいですよね?」


私の言葉に王都兵は思わず私と目を合わせる。それはとても滑稽な表情で、目を見開いていて呆気にとられた。そんな表情をしていた。
それから王都兵はこみ上げてきたそれに堪えきれなくなったのか、声を上げて笑い出す。今度は私が目を見開く番となる。


「面白いやつだな、お前。きっと俺はお前のことを、もう忘れようにも忘れられないだろう」


とうとう腹を抱えて笑い出した王都兵に私は納得がいかないように、でも嬉しそうに笑う。いつか絶対にお礼をしてやる。そう決意して私と王都兵は二人で声を合わせて笑っていた。
すると、突然船の汽笛が船内に重く響く。王都兵は笑うのをふっと止め、私も釣られて笑うのを止めた。王都兵はさっきまでの出来事が嘘のようにそっけなく私に背を向ける。


「もう少しで目的地に着く。転生者研究所というところだ」


研究所。異能者捕縛適応法で捕まった者はその研究所とやらに集められているのだろうか。そこで一体何が行われているのだろうか。そもそも、研究所だと。私たちを人と見てはいないのだろうか。私は思い出す。船に乗せられる前の言葉、視線、表情。そうだ、私たちは、悪魔なんだ。
私が小さく「そっか」と漏らしたのを聞いて王都兵は私に向き直る。少しの間黙ってから、王都兵は「おい」と私を呼んだ。私は王都兵の言葉を待っていると、また王都兵は黙る。どうやら言葉を選んでいるようだった。


「大丈夫だ」


たくさん考えてくれた割に、たった一言だけを私にくれた王都兵。私は虚を衝かれてぽかんと王都兵の顔を眺める。それが彼にとっての精一杯の言葉なのだろう。私は思わず笑顔になって、そんな王都兵に「ありがとう」とそれだけを告げた。
それから間もなく他の王都兵数名が私のところまで駆けてきて、ここに連れてこられた時同様に私の両肩を掴み上げる。私は優しい王都兵さんに向けて最後に笑いかけてから、彼を残してどこかへと連れて行かれる。どこかではない。私はもう目的地を、連れて行かれる場所を知っている。
私はそちらを見据えながら重い右足を、左足を動かしていった。

 


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