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新しく支給された官服に袖を通せば、のりがきいていてどこかくすぐった気持ちになった。だいぶよれた服を着ていたし、それに気づかないくらい余裕がなくっていたらしい。
すぐによれて肌になじむとは言え、その新しさが気持ちごと一新している自分と同じようで、自然と口の端が上がった。
久しぶりの職場に起きた時からずっと心拍数が高い気がする。
お医者様に言わせたら、まだまだ療養しなければいけないらしいが、部屋にいても暇だし、何より仕事が回っていない。ジャーファル様の隈を見れば明らかだ。下っ端である私が資料を運んだり、書類を運んでいたりしたのだから仕方ない。ルーチンワークをすすめて、早く皆の負担を減らしたい。
それに何より、私はまだ成果をだしていない。誰もが納得できる成果を出して皆に認められたい。
ちがう、誰もじゃない。
友人に認められたい。
今回の問題はそれでしか解決できないと思う。
だから、私は医者に無理を言って仕事に復帰させてもらうことにした。おかげで定期的に医務室に顔を出さないといけないが、部屋でただ寝ているよりかはずっといい。ジャーファル様が御殿医に頭をさげてくれたらしい。
『絶対に無理はさせません。細心の注意を払いますので』
ジャーファル様の顔に泥を塗らないためにも、健康な生活を送りつつ、しっかり成果を出す。財務部に所属していれば、到底不可能に思える目標だが確固たる気持ちを持って挑んでいる。
「おはようございます」
私が療養中に、財務部は手狭な部屋から大部屋に移ったらしい。見慣れぬ扉が時間の経過を感じさせて悔しかった。深呼吸を一回、気合を入れて扉を叩いて入室すれば、職場のあちこちから心配する声や待っていたとの声が上がった。
部屋は変わっていても、そこはずっと働いてきた財務室だった。
多少壁際の棚の収納スペースが拡大されているとは言え、机の配置は変わっていないし、出しっぱなしの資料や部屋の片隅にうず高く積まれた掛布、何より中で働く人達の温かさはそのままだった。視界が滲みそうになるのを目じりに力を入れて堪えた。
周りに挨拶をしながら、この部屋の長であるジャーファル様のところへ向かった。一番奥の窓を背にしている机が財務部長官であるジャーファル様の定位置だった。
何度もお見舞いに来てくれていたのだが、職場でのジャーファル様はあの時とは違う笑みをたたえている。久しぶりに帰ってきたという緊張感と、待っていてくれたんだという喜びがこみ上げてくる。
このピリッとした空気、私好きだ。
「長い間お休みをいただきありがとうございました。今日から復帰いたします」
鼻の奥がツンとするのを耐えるようにうつむいた。視線が地面を這っていると、頭上から随分と優し気な声色でば『お帰りなさい』と降ってきた。
「待っていましたよ」
お見舞いの時のように柔らかくほほ笑むのではなく、威厳さを感じさせる顔に、ぎりぎりだった涙腺が決壊した。ぽろりぽろりと零れる涙はどうしても止めようがなく、思わず顔を覆った。
すると、近づいてくる人の気配を感じた。
私の涙を予想していたのか、ジャーファル様がすぐ近くで『何泣いてるんですか』と袖で目尻をぬぐってくれる。動作は流れるようだったが、拭き慣れてないらしく、肌が擦れて少し痛い。
「あーあー、だめですよ、ジャーファル様、泣かしちゃ。せっかくシノちゃん耐えてたのに」
「わ、私ですか! シノ、泣き止んでください!」
焦ってごしごし顔をこすってくるジャーファル様から顔を逸らせば、がしりと頭を掴まれた。全然スマートじゃないその行動に思わず笑いが零れてくる。なおも囃し立てるように騒ぐ先輩たちと焦るジャーファル様に声が漏れていた。
私帰ってきたんだ。
ありがたいことにジャーファル様は病み上がりに関係なく私にガツンと仕事をふってくれた。それでも、期限が比較的遠いものばかりを選んでくれているのは彼のなけなしの優しさだと思う。
復帰初日から机の上にうず高く積まれた書類を処理していると、あっという間に時間は経つもので、気がついたら昼になっていた。
「シノさん、食事に行きましょう」
誘ってくれた先輩の言葉に動きを止めた。気持ちとしては行きたいのだが悩ましい。私はまだ胃が治りきっておらず、固形物がろくに食べられなかった。お医者様いわく『胃に穴があいたのだから当たり前でしょう。少しずつ慣らしていってください。まずは飲み物です』とのことだ。
一緒に食堂で食事を取ると気を使わせてしまうし、何より私が食べれるものがあるだろうかと悩んでいると、『大丈夫ですよ、食堂に伝えてありますので。いってらっしゃい』とジャーファル様から声がかかった。私の状態を知らない先輩が不思議そうな顔をしているのを流して食堂へ向かえば、待ってたよと言わんばかりに食堂のおばさまに柔らかい流動食を出された。
それを見た先輩は興味深々で突っ込んで色々聞いてくる。
「食事くえねーなら、部屋にいる時どうしてたんだよ」
「ジャーファル様がパパゴレッヤのジュース作ってきてくれました。あのせいで、職場復帰が遅れたと言っても過言ではないですね」
けらけら笑う先輩はジュースしか飲まない後輩も特に特別扱いしたりはしない。だからこそ、すごく楽だった。
「ジャーファル様えこひいきしすぎだろ」
腹がよじれるように笑っている先輩の発言を否定できない。というか、自分も随分と大切にされてるなって思う。だから、否定せず、ただ笑みを返した。
願うなら、ジャーファル様が私を特別扱いしていると自覚していればいいな。
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