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貨幣の磨耗が思ったよりも早い。
私は手元の資料を見て眉を潜めた。
最近、我が国では貿易が盛んになってきた。根気良く哨戒船を出し続けたおかげで、南海生物が出現するシンドリアの海域でも安全に航行できることが他国に浸透してきたようだ。
それ自体は喜ばしいことなのだが、貿易が活発になればなるほど、金貨の磨耗が早くなる。すでに財務や造幣局が想像していたスピードを遥かに超えている。そのせいで鋳造量が回収量に追いついていない。
このままだと貨幣の供給と需要が釣り合わず、物価が下落してしまう。
残された時間はそう多くない。
ただでさえ、問題は山積みなのに時間だけが迫ってくる。
『確かに期間を限定することで手に取りやすくはなりますが、それだけで国民が紙幣を使うとでも?』
造幣局局長の冷たい視線が思い出された。
『国が保証すると言っても、本当にその紙幣とやらが使えるかどうかが重要なのです』
言われなくても分かっている。期間限定だけじゃ、国民の信用は得られない。もっと考えなくては。皆に手に取ってもらえるよう。
信用問題もあるが、それ以前に偽造対策もまだ解決していない。あちらの世界の偽造対策をそのままこちらでも使えないか考えてみるがどうにもうまく行きそうにない。
透かし技術を紙幣に導入した場合、本当に偽造対策になるか確信が持てない。煌初め、大陸の東方の地域は製紙技術に長けている。シンドリアのおままごとみたいな透かしはあっという間に真似されないだろうか。
現代だと信頼できる筋から透かしの技術を買うということもできるだろうが、こちらの世界では躊躇われる。
技術の売買が定着していないこちらで売買が可能だろうか。模倣できないほどの技術を擁しているものを探すことができるのか。
それに守秘義務は守られるのだろうか。金にものを言わせて守秘義務を課すには不安が残るし、それほどの予算はおりない。
また隠し文字を入れる場合、技術的には可能だろうが、銅板にかかる費用は計り知れない。他にも銅板作成に時間を要するという問題もある。
どう考えたって、全てにおいて予算が足りないし時間も足りない。いや、足りないのは技術力か。何か別の技術を。
そう考えて真っ先に思い浮かぶのは魔法。こちらにあってあちらにないもの。奇跡を体現するもの。
ヤムライハ様に依頼もしたが、しかし、魔法はあくまで一つの手段でしかない。全てを魔法に委ねることは私にはできない。
頼りない炎の明りで私は資料を読み続けた。
もっとしなきゃ。もっともっと。
私は頑張らなくちゃいけない。実力の伴わない人事に不満をもったから、この前の事件は起こったんだ。
彼女たちは現在辞職し家に戻っていると聞いた。シンドリア亡命と同時に王宮へ勤め始めた彼女たち。なかには家族もおらず、王宮が帰るべき家だったものもいる。そんな彼女たちから私は家を奪った。
大きな私が言う。もっともっとしなきゃ
小さな私が頷く。もっともっとするから。
「シノちゃんは文官なんだね、私と同じだね」
「私達は侍女だよ。よろしくね」
ほほ笑む友人達が見えた。
圧政や戦争から逃れようやくたどり着いたこのシンドリアで新たなスタートを切るんだ。事情は違えど、新たな生活に心を躍らす気持ちは一緒だった。
「なんで文官になったの?」
衣食住が確保されてるしお給料が高いから、なんてふざけた答えをしたっけ。
「シノちゃんよく面接受かったね」
苦笑していた友人。
まだできあがっていないシンドリアをこれから作っていこうという気持ちがみんなにあった。
「えっ、企画したい提案があるの?ならもっともっと頑張らなきゃね」
もっと頑張らなきゃ。
造幣局の局長や会議参加者のしらけた眼差しが蘇った。
「君は何をしたいのですか?」
金貨の磨耗対策をして、この国の経済的混乱を未然に防ぎたい。ただそれだけだ。
「どこを目指しているのですか?」
どこだろう。そう聞かれると困ってしまう。
別にあちらの世界の経済をシンドリアで再現したいわけではない。私はただシンドリアがよりよい方にいけたらと思っているだけ。
私を受け入れてくれたこの国が発展しますように。疲れ切って訪れる人たち、新たな土地に胸を膨らませ人たちに可能な限り優しくあれますように。それだけだ。
大きな私が言う。もっともっとしなきゃ
小さな私が頷く。もっともっとするから。
もっともっと。
目の前が霞んだ。体力が回復していない中でこんなことをしていれば仕方ない。目は酷使しているし、手足も重く怠い。それでも休んでいられない。
もっともっと。
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