09
「お前が今朝潰したカエルの呪いだな」
「マジですか。でも苦手なのを我慢して、水に入れて介抱してあげましたよ」
先ほどからお腹が痛い。それはもう、じくじくと痛んで集中が途切れてしまう。おかげでさっきから計算書類が遅々として進まない。
前かがみになっている私に、腹痛なんてものとは縁がなさそうな筋肉達磨の先輩、ヴィゴさんが声をかけてきた。『お腹が痛いんですよ―』と言うと、今朝方、私が寝がえりを打って潰してしまったカエルの呪いが原因だと言いきられてしまった。そう、カエルがベッドにいたんだよね。で、中庭の池に返してあげているところをヴィゴさんに見られたのだ。
なんで、カエルがベッドにいたって?なんでだろーね。
「もしくは、あれだな。カエルの菌にでもあたったんだろ」
「手、洗いましたよー」
そんな会話をしながらも、私は痛みを増すお腹を押さえた。今日はまだ仕事がたくさんあるのにどうしたものか。そう悩んでいると、部屋の扉を開けジャーファル様が入ってきた。
「シノ、このあとの打合せですが…って、どうしたのです?」
「下痢みたいですね」
「ちょっ、適当なこと言わないでください。カエルの呪いはどこにいったんですか!」
そもそも下痢じゃないし!
ヴィゴさんのいきなりの発言に、カッと言い返すが痛みが増し、私は机の上に突っ伏した。
「こいつ、一夜を共にしたカエルを潰して、その呪いで下痢になったみたいですよ」
「はぁ、シノはカエルを飼っているんですか?」
『人の趣味に文句はいいませんが、君王宮住まいでしょう。ペットは禁止されていますよ』と普通に続けるジャーファル様に、『ペットじゃないですから!』と返した。
「えっと、この後の打合せですよね」
先ほど何かを言いかけていたジャーファル様に先を促した。おそらくこの後、黒秤塔の資料閲覧室ですることになっていた紙幣導入の打ち合わせのことだろう。まぁ、打合せと言ってもジャーファル様が私の発案書の手直しをしてくれるというもので、他の参加者はいない。
痛むお腹を押さえ、『何ですか?』と問えば―
「そんな状態でしても意味ありませんよ。打合せと言っても二人だけなのですし、体調がよくなってからにしましょう。幸い今日はもう、私も打ち合わせや外出の予定ありませんので」
その言葉に私は『申し訳ありません』と返した。自分の体調管理ができていなくて、仕事を遅らせたあげく、上司のスケジュールまで変更させるとは。早く治ってくれ。
しばらく突っ伏していると机にこつりと何かが置かれた。
「シノ、そのまま倒れていてもよくなりませんよ、薬です」
ジャーファル様の声に『えっ』と思って顔を上げると、この世界では見慣れた深緑の飲み薬が強烈な臭いを放ちながら私の机の上に鎮座していた。
さっき置いたのはこれか!
お腹の痛みも忘れて、私は薬から距離を置いた。
「ジャーファル様、私、薬、ダメ」
「何、子供みたいなこと言ってるんですか、さっさと飲んでください」
「いや、ほんと無理です」
この世界では一般的な飲み薬だが、私はどうもこの薬がダメである。
実は、私の前世の記憶と現在の感覚は深くリンクしている。そのためこちらに生まれてから、前世とこちらの違いで色々苦労した。トイレの仕方、お風呂の入り方、靴を脱がない生活に、米のない食卓。最初は違和感があり、とてもつらかったが無理やり慣らしていった。
だって、慣れないと生活できない。
でも、どうしても慣れることのできなかったものがあった。それがこの『薬』だ。現代日本の錠剤や粉薬とは違い、大抵何かを直接すりつぶして作られているこの薬は非常に苦い、不味い、臭い、良いとこなしである。
別に私だって年に1、2回飲むくらいなら耐えられた。でも残念なことに、こちらの母はいわゆるサプリオタクだった。よく『これを飲んだら頭がよくなる、身体が良くなる』と様々な薬を飲まされた。その全てが須らく不味かった。
だから、薬だけは無理。なんで錠剤じゃないだ!なんで匂うんだ。喉に絡むし、量多いよ。
しかし、私がどれほどプライドを捨て『いやいや』と首を振り、真剣な思いで薬を拒否しようとも―
「いいから、さっさと飲みなさい!」
と、ジャーファル様は飲ます気満々だ。私の頭をがっしり押さえ、口元に器を当ててくる。そのせいで直に臭いを嗅いでしまう。
く さ い
『飲め!』『無理です!』そんなやり取りが何度か続く横で、『ちびすけ元気だな、おい』とヴィゴさんが呟いていた。
結局、無理やりジャーファル様に薬を飲まさせられ、私は見事に仕事場である財務担当部屋でもどした。私がもどす原因を作ったとはいえ、さすがに上司に吐きつけるわけにはいかない。頑張ってジャーファル様を汚さないよう気を使ったら、昨日新しいのに替えたばかりの私の官服に飛び散った。
あぁ…インク避けの布が悲惨なことに。
私の行動に驚いたジャーファル様が謝罪をしながらも『そんなに嫌ですか』と言わんばかりに見てくる。
「ごめんなさい、薬無理です」
ぷるぷると首をふる私にジャーファル様は、『はぁ』とため息をついた。
「分かりました。ちょっと待っていてください」
そう言葉を置いて、ジャーファル様は部屋から出て行った。数分後に戻ってきた彼の手にはお茶のセットと甘いお菓子、濡れ布巾がのったお盆が握られていた。
「まずは服をふいでください。そのあとは、これ。このお茶と一緒に飲んだら、多少苦味はマシです。飲めたらお菓子をあげますから、頑張りましょう」
すごく、すごく、子供扱いをされている。自分の年齢を考え泣きたくなった。が、正直薬は苦手だし、お腹が痛いのも嫌な私には助かる。隣で鼻で笑っているヴィゴさんを一睨みし、私はお盆を受け取った。
ちなみに、この対処法は、小さい頃味覚が鋭く、あらゆる薬から逃げまくったマスルール様のために編み出されたらしい。
私の中で一気にマスルール様への親近感が増した。
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