08
「金貨はそれ自体に価値がある点はとても優れていると思います。しかし、摩耗による価値の低下や運搬性を考えると、紙幣も有効な貨幣の一つだと思います」
「そうですか」
私は、財務担当におけるメイン業務の『紙幣の有用性』についての報告をしていた。月末精算や財務担当の通常業務に時間を割いていたが、もともとはこれのために私はこちらに移されたのだ。簡単とは言え、やっと報告ができ、すこしだけ肩の荷が下りた。
私の報告を聞き、ジャーファル様は口元に手を当て考え込んでいた。その姿はシンドリアの将来を憂うもので。今、彼の頭の中では、私が到底想像できないような先のことまで考えられているのだろう。
すごいな。
現在、私とジャーファル様がいる黒秤塔の資料閲覧室は、扉が閉められ、二人きりである。話が話なだけに、他の人の耳に入らず、すぐに資料をとり確認できるここが選ばれた。『長くなりそうですから』と勧められた椅子に座り、私はジャーファル様に他人行儀な感想を抱いていた。
政策を考え実行する文官としては非常に恥ずかしいことだが、私は先のことも見据えて仕事ができていない。現状のことで手一杯で、将来のことまで頭が回っていない。だから、先のことを考え、憂い、それに手を打とうと思案するジャーファル様は私にとって遙か遠くの存在に見える。月末精算や日々の業務でいくらか打ち解け親しみを感じるようになったが、やはりまだまだ遠い。
そんなことを思っているとジャーファル様は考えがまとまったのか、こちらをしっかり見て口を開いた。
「紙幣の有用性については分かりました。が、私はまだ君の意見を聞いていません。シノ、君はシンドリアに紙幣を導入すべきだと思いますか?」
「私の意見ですか」
「そうです、財務官としてのシノの意見です。この国には紙幣が必要ですか?」
先のことを考えられないと、数秒前まで考えていた私にこんな質問が来るとは思っていなかった。
しかし、答えなくては。ジャーファル様の眼は、私に生半可な答えは許さないと言っていた。今まで眼を逸らし、『まだ分かんないや』と見ないふりをしてきた将来。文官として考えなくてはならないもの。
私はそんな『将来』に考えを巡らせる。
が、どんなに考えても、やはり私は漠然とした将来のことは考えられない。
でも、ここで逃げちゃダメだ。
私をじっと見つめているこの視線にちゃんと答えたい。
漠然としたことが考えられないなら、私が考えられるレベルまで具体的にして考えよう。『将来』とかではなく、『今』についてなら考えられる。『将来』なんて『今』を積み重ねていった先にあるものだ。
無理にかっこよく答える必要はない。そんなもの、ジャーファル様だって求めていない。
私は頭の中に今まで報告してきたことや調べたことを思い描いた。すぐに結論は出たが、本当にそうなのかと再び考えた。
何度考えようと結論は変わらなかった。この答えが何をもたらすかなんて予想はできる。
それでも、私は変わることのない結論を伝えた。
「導入すべきだと思います。このままいけば我が国の金貨の価値が下がり、他国との取引が滞ります。そうなれば、交易から成り立っているシンドリアにとって致命的な事態になると思われます」
国民はまだ気づいていないだけで、すでに市場の金貨は摩耗し価値が下がっている。このまま摩耗し続けたら、他国との交易品は摩耗している分だけ値上がりする。我が国の金貨は貨幣としての信用が失われ、交易が滞る。資源を持たないシンドリアで、それは国としての終わりを示す。
「一般論ではたしかにそうですね。君は、本当にそう思いますか?」
念を押してくるジャーファル様に私は深く頷いた。この人は、私が普段先のことまであまり考えていないことを分かっているのだろう。そして、そういう時は一般論を口にして逃げていることさえお見通しなのだ。
でも、今回はちゃんと考えた。『将来』ではなく『今』のことだが、それでも自分なりの答えを出した。
頷く私を見てジャーファル様は真剣な表情を崩さず私に命じた。
「では、君に仕事を与えます。シンドリアに紙幣を導入しなさい。君が発案者となるのです」
ジャーファル様の言葉に『えっ』と、私の驚きが口から洩れた。
自分の意見を言えば、『紙幣の導入を』となることは予想していたが、まさか発案者に指名されるとは思わなかった。発案者とは言いだしっぺであり、まとめ役として陣頭指揮をとる立場にある。
私は寺子屋設置企画の時に発案者となったが、これとそれとは話が違う。貨幣とは国をまわしていく要であり、失敗なんて許されないのだ。紙幣導入の指揮をとるには経験・知識・人脈ありとあらゆるものが必要だ。私にそれがあるとはとうてい思えない。
私の戸惑いを感じて、ジャーファル様が試すように言った。
「紙幣導入に際して、発案側として私が表向きに関わることは一切ありません。私は財務担当長官ではなく、各担当を束ねる政務官として、すべての発案に対して判断する立場にいます」
探るようにジャーファル様が一旦言葉を切った。
「紙幣に関して、ここまで論じられるのは今のところ、このシンドリアではシノ、あなただけです。よって、発案できるのもシノをおいて他にいません。どうしますか?」
私がここで頷けば、シンドリアに紙幣は導入されるし、首を横に振ればされないのだろう。
今、私に判断がゆだねられているのだ。
事の重さに少しだけ身構えてしまう。
が、私は先ほど結論を出してしまった。何度考えようと変わらないのだ。
そしてジャーファル様に指摘されたとおり、紙幣についてここまで考えを述べられるのは前世の知識がある私だからだと思う。他の人には難しい。
それに、前世の知識というイレギュラーのおかげではあるが、ジャーファル様に『君だけです』と言われた言葉が嬉しい。
常日頃尊敬している上司からの言葉、そして今までどうしよもうなく持て余していたこの知識の使い道。
断る理由なんてどこにある?
不安なんて、何をしてもついて回るもの。そんなものに怯えて動けなくなるなんて嫌だ。
私は椅子から立ち、手を合わせて屈んだ。
目を閉じ、息を吸って。
開いた眼に映ったのは、私に将来を託そうとしてくれている上司の姿だった。
「謹んでお受けします」
私には前世の記憶がある。これを活かせるなら、それは私がこの世に生まれ落ちてから悩み続けたこの生や記憶への答えとなるのだろう。
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