Felice anno nuovo!
言い訳をするとすれば、年末の彼女は忙しすぎたのである。
幸いなことに、秋頃から島全体を巻き込みそうな外的脅威の声は聞かれなかったのだが、内的小競り合いつまりファミリー内での喧嘩や、街において派手にやらかす捕物とその後始末、そういうものに彼女は奔走していた。だからと言って通常業務であるドンナの仕事が減るわけではない。アカデミアの件もある。学校関係の問題が解決したと思えば、ファミリーの方で顔を出さなければならない仕事が降ってくる。派手に屋根や壁をぶち抜いた輩にお説教が済んだらカジノでいざこざが起こる。
街で起こるすべてに彼女が顔を出していると思えるくらい、彼女は様々な場所へ出向き、ドンナとして采配を取った。中にはファミリーのトップであるフェリチータがわざわざ出てこなくともよさそうな懸案もあった。しかし、たまたま通り掛かった・場を収めるべき幹部が巻き込まれていた・ドンナを名指しされた・個人的に顔を出しておくべきものだった、などの理由があったのである。己の運の悪さを嘆きたかったが、嘆く暇もなく彼女は走り出さざるを得なかった。フェリチータは目の前で困っているひとがいるのに目を逸らせるような人間ではない。
そんなこんなで平和だが平和ではない日々が明けて暮れてまた明けてを繰り返すうち、年の瀬を迎えていたのである。
「しまった…!」
メイド・トリアーデによってその小包が部屋に運ばれてきた瞬間、彼女は自分の失態に気がついた。いつも冷静な彼女だったが、このときばかりは落ち着いていられなかった。それまでかかりきりだった書類の内容が吹き飛んで、頭が真っ白になる。ドンナ専用のデスクからがたりと立ち上がり、顔を青くさせた己たちの主人に、メイド・トリアーデは何かを悟ったらしい。お嬢様、がんばってください、と心配そうな顔でフェリチータに荷物を渡すと、振り返り振り返り退室していった。
なんとか彼女たちに謝辞を述べたフェリチータは、すとん、と椅子に崩れ落ちるように座った。手を伸ばせば届くその場所に置かれた、小さな包み。20センチ四方ほどのそれを、見つめる。ひとりでいたときは気にならなかった静寂がフェリチータを襲う。
贈り主の名前は見なくてもわかった。メイド・トリアーデがその名を口にしていなかったとしても、フェリチータはすぐその名にたどり着いていただろう。
毎年この時期にフェリチータの元へと運ばれてくるそれは、セラフィーノからの贈り物である。ノルディアの新年の習わしに「赤い小物を贈りあう」というものがある。これは、その習わしにしたがって送られてきたものだ。
「……どうしよう」
フェリチータはうめいた。贈り物そのものに対してではない。こうして遠く離れた自分へ贈り物をしてくれることが嬉しくないはずがないのだ。それが、愛しい恋人からのものならなおさら。だからこそ、フェリチータは己の失態に対して頭を悩ませていた。
――セラに贈るものを、用意していない。
頭を抱える。年末の忙しさで今の今まですっかり忘れていた。ノルディアの新年の習わしは、赤い小物を「贈りあう」というものだ。フェリチータからセラフィーノへ贈るものがなければ「贈りあう」ことにならない。君はレガーロの人間なのだから気にしないでくれ、俺が贈りたいから贈るんだと彼に言われたことがあるが、それはそれなのだ。11月の初めの頃には確かに覚えていたのに、とあまり意味のない後悔をする。
「しかも、今年に限って忘れてたなんて……」
そう、今年は特別な年だった。セラフィーノと恋人になってから初めて迎える新年だったのである。去年までとは色んな面で違う。
再びうめいたフェリチータは、机の上に乗せられた小包に手を伸ばした。そろそろと引き寄せたそれを開封する。幾重にも重ねられた緩衝材代わりの紙を分け入っていく。やがてフェリチータの手は小さな箱へ行き着いた。
「わぁ…!」
かわいい、と思わず声が漏れた。小さな木の箱に収められていたのは、赤い小物入れだった。宝石箱を思わせる造りのそれは、緻密な模様によって彩られ、右端には蝶のモチーフが留まっている。ガラスでできていることから察するに、これはセラフィーノの作だろう。一目でフェリチータを虜にしてしまったのだ、そうに違いない。
「…………って、そうじゃなくて…!」
手の平に乗せて様々な角度から眺めていたフェリチータは、ふるりと首を降った。素敵な贈り物にうっとり我を忘れている場合ではない。緩んでいた顔を引き締める。小物入れはそうっと机の上に下ろした。
「贈り物をどうするか考えないと……」
ちらちらと小物入れに視線をやりながら(ああやっぱりかわいいな、もっと間近で眺めていたいなと思ってしまう。仕方のないことだ)、フェリチータは考え始めた。少し遅くなってしまったけれど、今から街に出て贈り物を探そう。こんなに素敵なものを貰ってお返しをしないのは失礼だ。幸い今日は(まだ)事件も問題も起きていないし、書類もあと数枚で目を通し終わる。急いで街に出よう。
よし、と姿勢を正し、ペンを手に取る。脇に避けてあった書類に手を伸ばした瞬間、部屋にノックが響いた。その音を聞いたとき、ふるりと背中が震えた。そんなに寒くないのに、と背後に感じる陽射しを思いながら声を上げる。
「はい」
「ドンナ、失礼いたします。お客様をお連れしました」
「……………………はい」
そしてフェリチータは理解した。さっきの悪寒は、これだ、と。
「ごめんなさい!」
開口一番頭を下げたフェリチータに、セラフィーノは疑問符を浮かべるしかなかった。そこまで必死に謝られる覚えがなかったからだ。放っておくとそのまま頭を下げ続けそうなフェリチータに声をかける。数ヶ月ぶりに会えたのだ、恋人の顔を見られないのは寂しい。
おずおずと顔を上げたフェリチータは、しかし視線を落としてしまう。何があったと言うのか。原因がわからない。
「フェリチータ、一体何があった?」
セラフィーノがそう問うと、フェリチータはぴくりと肩を揺らした。そして眉を八の字にしてそっとこちらを窺ってくる。その顔はとてつもなく可愛いということを本人は理解していないのだろうなと考えながら、話してくれと促した。
「実は……」
「……」
「……用意、してないの」
「用意?」
「…………その、お返しを」
フェリチータの視線が机へと向かった。向かい合って座るソファから少々離れたところにあるそれ。落ち着いた茶色の重厚なデスクの上にちょこんと乗った、小さな箱。
ああ、そういうことかと合点がいく。思わず漏れたのは苦笑だった。
「それでいきなり謝ったのか」
「う、ん……」
「突然だったから何事かと思ったよ」
「ごめんなさい……」
身を縮こまらせたフェリチータに、セラフィーノが感じたのは小さな喜びだった。しょんぼりと肩を落とす彼女にはもしかしたら怒られてしまうかもしれないが、こうして真剣に自分のことを考えてくれることが何よりも嬉しい。それは彼女の想いを何よりも表したものだと思えた。自分は彼女に愛されている。それを確認できただけでも十分だった。
「前にも言ったが、赤い小物を贈りあうのはノルディアの風習だ。それに俺が贈りたいから贈った。君は気にしなくていい」
「でも…っ」
満足していた。久々にフェリチータの顔を見られたし、彼女の想いを知ることもできた。まだ笑顔を見ることができていないのは気になるが、今回の滞在は一週間。その中に機会はあるだろう。そう思っていた。
「私とセラは恋人だから…!私だけもらってばかりなのは嫌。私もセラに何か贈りたい!」
「フェリチータ……」
「何か、欲しいものはない?私にあげられるものならなんでも――」
あげるから、と。なんとも情熱的な言葉だと思った。潤んだ瞳でそう言われて落ちない男はいないだろう。たとえ本人にその気がなくても。
ああ、そうだ。欲しいものはある。満足しているなんて、それは嘘だ。何よりも求めているものがあったではないか。
そう意識した瞬間、小さく火が灯った。それが情欲であることを意識する。セラフィーノはがたりと立ち上がり、フェリチータの隣へ移動した。
セラフィーノの動きを目で追っていたフェリチータが目を丸くする。セラフィーノが豊かに広がる苺色の髪を一筋手にして、ちゅ、と口づけたからだ。
「セ、ラ…?」
「そうだな。もらえると言うなら、もらっておかない手はない」
「! うん、何が欲しい?」
ぱあっと顔を輝かせたフェリチータに、近づく。ひとつ微笑みかけて、セラフィーノはこう願った。
「俺は、君が欲しい。世界で一番愛しい赤である、君が欲しい」
「!!」
至近距離で見つめ合う。彼女は次第に頬を染めていく。ゆらりと揺れるエメラルドの中に火がつくまで、あと少しだろう。
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