私の両親




 私が持っているいちばん古い記憶は、お父さんとお母さんにまつわるものだ。
 たぶん、私は二歳か三歳くらいだったと思う。場所は自宅だと思うけれど、はっきりしない。おぼろげに、大きな花束と、お兄ちゃんお姉ちゃんの「お母さん、ありがとう」という言葉を覚えているから、おそらくは母の日だったのだろう。暖かい日だまりの記憶だけは色褪せない。
 その記憶の中、私はお父さんの腕の中にいる。世界でいちばん安全な場所から、私はお父さんに促されるまま、感謝の言葉を口にした。きっと、ひどく拙い言葉だったと思う。ありがとう、の形にもなっていなかったかもしれない。
 でも記憶の中でお母さんは、笑っている。世界でいちばん可愛い笑顔で私を見ている。そうして、そんなお母さんを見てお父さんも笑う。テレビの中で見せるアイドルスマイルとは違う、自然でとても優しい笑顔。心の底から発露したそれを思い出す度、私はこう思うのだ。
 ああ、お父さんはお母さんのことを本当に愛しているんだな、と。
 
 
 お母さんのことについてもう少しだけ触れておこうと思う。私のお母さんはとても可愛い人だ。誰に聞いても概ねそういう意見をもらうから、世間から見ても可愛い人なのだろう。
 ちなみに、お母さんを可愛いと誉めそやす筆頭はお父さんだ。次が私たち。そしてお父さんとお母さんの友達や同僚、事務所のひとたちが続く。
 みんなお母さんのことを可愛いと思ってるんだなぁ、程度にしか考えていなかったけれど、クールで売っている聖川真斗や一ノ瀬トキヤがお母さんのことを可憐だと言い出したときはさすがに驚いた。テレビドラマの演技ならともかく、二人がとろけるような笑顔でそんなことを口にするイメージがなかったからだ。
 けれど、それは私が知らなかっただけで、二人は昔からそう言っていたらしい。お姉ちゃんが教えてくれた。そんな二人に対してお父さんが思いっきり苦い顔をしていたということも。
 
 私が初めて、お母さんを通して「可愛い」という言葉を知ったあの日から、少しだけ歳を取った今もその可憐さは変わらない。むしろ、歳をかさねる度におちゃめさとか、天然っぷりとか、そういうものに磨きがかかっている気がする。
 あと、お母さんは見た目にあまり変化が見られない。写真で見る学生時代のお母さんと今とで、変わった部分を見出だせないのだ。本人はそんなことないよと言うけれど、そんなことある。当時着ていた制服が今でも入るし、何より違和感がない。現役女子高生の私と並んでも姉妹にしか見られないのだから当然かもしれないけれど。
 
 いつまでも少女然としたお母さんだけど、やっぱりお母さんなんだと思う瞬間もたくさんある。ハンバーグを焦がしかけてわたわたと台所を右往左往する姿からは想像もできないくらい、事件が起こったときのお母さんはしっかりしている。
 昔、お父さんがとある番組の収録中に事故にあったときも、いちばん冷静だったのはお母さんだ。するべきことをきちんとして、不安に襲われている私たちに大丈夫よと微笑んで、背筋を伸ばして立っていた。
 本当はいちばん不安だったはずなのだ。けれど、その不安を悟らせなかった。家に押しかけてきた報道陣にも適切な、そう、伝説級とも言える適切な対応を行った。私はまだ小さかったから、お母さんが何を言ったのかは知らない。
 でも確かなのは、その一件以来、お母さんを褒める言葉が以前にも増して見られるようになったということ。お父さんのファンの過激派の態度すら和らいだというからびっくりだ。
 そう、うちのお母さんは格好良い。誰よりも可愛くて、誰よりも格好良いなんて反則っぽいけれど、事実なのだから仕方ない。お父さんも、あいつは強いやつだからなと笑っていた。

 互いに尊敬し合えている男女は円満な関係を築けるという話を聞いたことがある。身近にある例を見ると、私は確かにその通りだなと思う。互いを認め合い、かつ愛し合ってもいるうちのお父さんとお母さんは、この先何があっても揺らぐことのない関係を築いているからだ。
 私たち子どもの前でいちゃつかれるのは、まぁ正直に言うと時々呆れたりもするのだけれど、二人とも幸せそうだから良いやとも思える。仲が悪いのよりずっと、ず―っといい。それに私は、じゃれあう二人を見ることを、なんだか嬉しくも思う。
 世界で一番幸せそうに見える夫婦に、私はこれからも幸せでいてもらいたいと思っている。世界で一番頼れるお父さんと、世界で一番可愛いお母さん。私の尊敬する、大好きな二人。どうかいつまでも万年バカップルで素敵な夫婦でいてください。それが、娘である私の二人への願いだ。

 ただね、お父さん。お母さんに近付いてくる男の人へ嫉妬剥き出しにして威嚇するのはそろそろやめた方がいいんじゃない?いい年なのに小さい男だと思われちゃうよ?ただでさえ平均身長より小さいんだから気をつけた方がいいと思います。







「……」
「翔くん?」
 一枚の資料を手に固まった翔に、春歌は首を傾げた。話し掛けてみても何のレスポンスもない。二人向かい合って座る事務所のミーティングスペースは、周りの喧騒から切り離されたかのように静まり返った。
 資料に目を落としたまま呼吸すらも忘れていそうな翔を見て、春歌はそこに何が書かれているのか気になった。新曲の打ち合わせをそろそろ行おうかという会話の途中、事務所の人間から翔へと渡った一枚の紙。ごくごく普通のコピー用紙にしか見えないそれは見る見るうちに翔の顔を強張らせたのである。楽しげに新しい曲の話をしていた直後だったのでなおさら気になる。
 何が書かれているのか聞いてみたいが、聞いて良いものなのか否かの判断はできなかった。パートナーであるとはいえ、仕事に関することならば簡単に聞いてはいけないものもある。極秘で回るプロジェクトだとか、世間に未発表のものだとか、そういうものだとしたら、聞くのはマナー違反に当たる。翔に資料を渡しに来た事務所の人間はどちらかと言えば楽しげにしていたけれど、と、そわそわ落ち着かない心を感じながら、春歌は待った。
 どれだけ時間が経っただろうか。食い入るように資料を追っていた翔が低くうめき声を上げた。
「……つは……」
「えっ?」
「……あーいーつーはぁあああああっ!」
 わなわなと震えたかと思えば、突然大声を出して立ち上がる。何が何やらさっぱりわからない春歌は驚きに目を丸くするしかない。
「しょ、翔くん?」
「余計なお世話だっつーの!身長は関係ないだろ、じゃなかった、俺が威嚇しないで誰がするんだ!お前が言うように春歌は可愛いんだぞ!?変なのが寄ってきたら威嚇すんのが当然の行動だろ!つか、お前だって春歌に変な奴が近付いたら似たようなことしてるだろーが!!」
 どうやら翔はここにはいない誰かに対して怒りを覚えているらしい。ぶつぶつと怒りを吐き出しながら眉を釣り上げている。一体全体何が彼をそうさせるのかわからないまま、春歌は首を傾げ続けるしかなかった。
 翔が手にしているものが、とある番組の企画で彼らの娘がしたためた両親紹介であるということ、最後の一言に翔が爆発したこと、そして娘の思いを春歌が知るまで、あと一時間を待つことになる。


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 何年経っても円満な翔春夫婦。


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