最高のサプライズ




 蘭丸がそれを見つけたのは、九月も半ばに差し掛かったある日のことだった。


 まだ世界が目覚めていないような時刻に収録へと出、帰宅した夕方の家。疲れと空腹を供にドアベルを鳴らす。やがて玄関のドアが開き、春歌に迎えられた瞬間、違和感が蘭丸を支配した。
 春歌はいつもと同じようにエプロンを揺らしながら、ぺこりと一礼して微笑んで、お疲れさまですおかえりなさいと口にした。そこまではいい。だが、常であれば春歌と共に飛び出してくるはずの息子の姿がなかった。
「おい、春歌」
「はい」
「あいつはどうした」
 着ていたジャケットを預けながら尋ねる。春歌が準備をしていたらしい夕食の気配以外に、感じ取れるものがなかった。どこに行ったんだ、と眉間に皺が寄る。
「ああ、あの子なら二階ですよ」
 まさか、夕闇迫るこの時刻に遊び歩いているのだろうか。そんなことを考えていた蘭丸は、春歌の言葉に安堵した。深くなりかけていた眉間の皺を少しばかり緩める。だが、すぐに新たな疑問が沸き上がってきた。
「二階?二階で何してんだあいつは」
 思わず天井を見上げた。
 二階には蘭丸と春歌、そして息子の寝室がある。遊び道具もその寝室に片付けられているのだが、なぜか息子は二階では遊ぼうとしなかった。何度か寝室でいたずらをして、大目玉を食らったという経験もあるのだろう。(今では、二階から持って降りてきたおもちゃをリビングに散らかしては春歌に注意されていて、蘭丸が叱ったこともある、というのは蛇足だ。学んではいるらしいが懲りないやつだと思わなくもない。)
 そんな息子が、二階にいる。寝る時以外は二階に近づこうとしないのに、だ。これは何かあるな、と蘭丸は思った。蘭丸の帰宅に顔を見せないのは初めてのことではなかったが、過去にあったその数回、息子は必ず何かをやらかしていたのである。
 ちょっと見てくる、と二階へ続く階段へ向かった蘭丸に、もうすぐご飯ですとあの子にも伝えてくださいと春歌が言った。
「了解、今日はビーフシチューだな」
「ふふっ、あたりです!」




 その日最後の赤が照らす二階は、ひっそりと静まり返っていた。視線を巡らせると、寝室のドアが薄く開いている。ああ、あそこか。心持ち足音を潜ませ、近づく。
 微かに光が漏れている部屋の中を覗くと、そこには息子の小さな背中があった。廊下に背を向け、床に置いた画用紙に何かを描きつけているようだった。その足元にはクレヨンが散らばっている。とても熱心に、見ることはかなわないが恐らくは真剣な顔をしているに違いない。
(ん?画用紙?)
 一瞬、床に直接クレヨンで描きつけているのかと思ったが、色を変える際にちらりと見えたのは確かに真っ白な画用紙だった。となると、いたずらするためでなく、絵を描くために二階へ上ってきたということなのだろうか。
(なんでわざわざ……前は下で描いてたじゃねぇか)
 新たに発した疑問に、腕を組む。すると、気配を察知したのか、息子がいきなりこちらを振り返った。蘭丸と同じ色をした一揃いの瞳を見開く。
「わ―!!なにしてんだ!!」
「……それはこっちの台詞だ」
 見つかったなら仕方ない。扉を開いて部屋に入ろうとした蘭丸を、息子は叫びで止めた。
「わ―!!くるな―!!」
「てめぇ……まさかまた何かしたのか」
「してない!なにもしてない!だからくるな―!」
 来るなと言われて、さらに盛大に焦った様子を見せられて、行かない親がいるだろうか。蘭丸が一歩近づくと、転がるように息子が駆け寄ってくる。そしてそのまま蘭丸の両足にしがみついた。絶対にこの先には進ませないという意志をひしひしと感じるしがみつき方だった。
「……動けねぇじゃねぇか」
「だめだ!うごくな―!みるな―!」
「いたずらじゃねぇなら怒らねぇよ……ちょっと見るだけだ。ほら、どけって」
「いやだ!」
「……あのなぁ」
 何がおまえをそうさせるんだと、蘭丸は息子のつむじを見つめた。やはり、いたずらをしていたのだろうか。それにしてはいつもと反応が違う気がする。いたずらが見つかったときの息子は、もっとこう、そわそわと落ち着かない様子で蘭丸の前に来るはずだ。息子の感情が読めず、ひとつため息を吐きながら、その小さな頭を撫でた。
 蘭丸は、息子が描いていたものを見やった。それは、おそらくは人間の顔。中央に大きく一人目の顔があり、左右に小さくそれぞれ二人目と三人目の顔が描かれている。そして、その「一人目」の瞳の色と、「二人目」の髪の色が見えたとき、なんとなくその可能性に気づいた。

 今は九月中旬。もうすぐ九月末がやってくる。
 いたずらではないが、蘭丸に隠しておきたいらしい。
 描かれた「一人目」の瞳の色は不揃いで、「二人目」の髪の色はチョコレートブラウンだった。

「あ―……」
「みるなみるな―!」
「分かった分かった、もう見ねぇよ」
 ついにパンチで攻撃を始めた息子を止めながら、蘭丸は苦笑した。
「そろそろメシだから、片付けたら下に来い。おれは先に行ってる」
「お……お―」
「じゃあな」
 あっさりと身を翻した自分をぽかんと見つめる息子の視線を感じながら、蘭丸は部屋を出た。宣言した通り、階下に向かう。
 階段をひとつひとつ降りながら、やっぱり春歌とあいつは親子なんだなと考えていた。くくく、と笑い声を立てる。
「二人しておれの誕生日にサプライズを計画するとはな」
 だが残念ながら、息子が考えたサプライズは彼の知らないうちに失敗してしまった。まぁ、せっかく計画してくれたので、このことは胸にしまっておこうと思う。自分が驚く顔を見て、満面の笑みを浮かべる息子を見たいと思ったからだ。
「けどな」
 次からはもっと上手くやってくれよ?おまえの母さんがやったみたいに、おれを驚かせてみせろ。
 心の中でそうつぶやいて、蘭丸はリビングに続く扉を開いた。そして、温かい夕食の匂いが彼を迎えた。




 誕生日、当日。
 同僚と後輩による誕生日祝いという名の襲撃を受けつつも、蘭丸の誕生日は騒がしくも楽しく過ぎていった。
 真斗とレンに背中を押された息子から受けとったのは、二週間ほど前にちらりと見たあの似顔絵で。たんじょうびおめでとうと拙い字で書かれたそれを、蘭丸はこれ以上ないような笑顔で受け取った。
「たんじょうび、おめでとう!」
「おう、ありがとな」
 そんな父と子のやり取りを締めとして、誕生会はお開きとなったのである。


「そのプレゼント、びっくりしましたか?」
「ああ、驚いた」
 夜も更け、もうすぐ日も変わろうかという時刻。蘭丸と春歌はベッドに並んで座っていた。
 蘭丸の手には息子からのプレゼントである似顔絵があって、春歌は蘭丸にもたれ掛かりながらそれを見つめる。よく描けていますねと春歌が言うので、特におまえがそっくりだなと返した。
「春歌、コレはおまえの入れ知恵か?」
「えっ?」
「やり口がそっくりだったからな」
 なんとなく気になっていたことを尋ねると、春歌は目をうろうろさせる。離れようと動いた背中を、くっついていない方の横腹を捕まえることで引き寄せれば、春歌は観念したのかおっしゃる通りですと囁いた。
「やっぱりな」
「プレゼントをどうしようかと悩んでいたので……内緒で絵を描いてみたら、と……お、怒りましたか?」
「怒ってたらこんな顔してねぇよ。それに、あいつには悪いが、おまえがあの時仕掛けてきたサプライズに比べればかわいいモンだったしな」
「あ……あれは、結果としてサプライズになってしまったと言いますか、言い出すタイミングがちょうどあの時になってしまっただけと言いますか……」
「それでも、最高のサプライズだったぜ?……妊娠しました、って」
 蘭丸は引き寄せた春歌を抱き上げると、己の膝の上へ座らせた。春歌は少しだけ緊張したかのように身じろぎをする。結婚してもう何年も経つのに、未だにこういったスキンシップに対して初な反応を見せる妻がどうしようもなく愛しくて、蘭丸は春歌を強く抱きしめた。
 大切な宝物を、守るように。
「これ以上ないってくらいの、プレゼントだったな」
「蘭丸さん……」
「勿論、おまえがくれるものはなんだって……おれにとってかけがえのない物だ。歌も、感情も、世界に灯る色も、信じる心も。家族も……」
 大切なものは作らない方がいい。いつか失う日が来るのだから。そう思っていた。けれど、今は、増えていく大切なものが愛しいと思える。息子が仕掛けてきたサプライズも、プレゼントも、息子の笑顔も。そのひとつひとつを守ろうと、そう思える。
 そして、そう思えるようになったのは、春歌のおかげだった。
「……ありがとう、春歌」
 蘭丸が見つめ、そう伝えると。春歌は春の日だまりの中にあるように微笑んだ。ああ、これも最高のプレゼントだと微笑み返しながら、蘭丸は春歌にそっとキスをした。




 蛇足ではあるが。
 この年、蘭丸が春歌から受け取ったプレゼントはふたつあった。ひとつはこれから冬に掛けて必要になるマフラー。そしてもうひとつは。
 二度目になる、最高のサプライズプレゼントだったということを記しておきたいと思う。


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 蘭丸先輩誕生日おめでとう!



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