5(林檎と春歌の場合)




 それは、青年が頼まれていた写真の整理をしていた時のことだった。
 最初にその写真の説明をしておこう。彼が整理を任されたそれらは、写真界の暴れん坊プリンセスの異名を持つ月宮林檎によって撮影されたものである。空や海といった風景、人物が主な被写体で、写された時間も場所も状況も様々だ。
 スタジオの隅にある丸テーブルで、乱雑とも言えるそれらに向き合った彼は、ひとつため息を吐いた。代わりに整理するのは構わないけれど、どうしてこまめにやっておかなかったのか。そうすれば何百枚もある未整頓の写真の山などできるはずがないのに。今、目の前にある、こんな山が。
 空と海を写した一枚を手にして、テーブルに肘をついた。

「まぁ、忙しい人だから仕方ないか……」

 先々週から昨日にかけて林檎がこなした殺人的撮影スケジュールを思い返しながら、彼は山と積まれた写真に手を伸ばした。


 彼は三年ほど前から林檎のアシスタントをしている。月宮林檎というカメラマンはわがままで人を振り回すところもある人だが、面倒見が良い。キラリと光る才能と確かな技術、磨き抜かれたセンスに裏打ちされた腕前は、数年間ずっとそばにいるというのに、今日も彼を驚かせる。彼の写真家としての軸がぶれることはない。けれど、こちらに日々新しい感情を抱かせる、そんな写真を撮れる人だった。
 それは最早上手い、下手の問題ではないのだろう。人の心を掴む写真を撮ることができるカメラマン、それが月宮林檎だと彼は思っている。


 まず彼は、写真の山を大まかに風景ものと人物ものに仕分けするところから始めた。次は連続してシャッターを切ったと思われるもの、つまり写された時間帯が同じだと考えられるものに分類した。慣れた作業だ。彼の手に迷いはない。もちろん間違いもない。
 程なくして、エベレスト級だった山はいくつかの小さな山へ切り崩された。

「よし。じゃあ次は、と…………あれ?」

 大まかな仕分けが終わったとき、彼はその存在に気付いた。それは、どの山にも属さない、一枚の写真だった。
 分類を間違えたのだろうかと首をひねる。自慢になるかは分からないが、彼はこの作業で間違いを起こしたことはない。なんとなく負けたような気分でそれを手に取った。

「これは……テディベア、だな」

 切り取られた写真というフレームの中、女性の腕に抱かれたそれはチョコレート色の毛並みを持っていた。首にはお洒落な水色のリボンが巻かれている。リボンにはティアドロップと八分音符のチャームがついているのが見て取れた。
 一目見て、このテディベアは高いものだと察しがついた。おもちゃ屋やその辺りのデパートでは絶対に売っていないレベルのものに違いない。首元のチャームの輝きも高級さを醸し出している。

「……でもなんで、こんな写真が」

 他の写真と見比べ、彼は再び首をひねった。分類を間違えたわけではないことは写真を観察した時点で分かった。この写真には時間を思わせるものが写っていない。女性の腕に抱かれたテディベアのアップなのだから当然だ。
 同じように、どの写真とも共通する背景も写されていないし、他の写真にもこのテディベアが写ったものはなかった。
 彼が整理を任された写真たちはすべて、彼も同行した撮影先でのもの。記憶が確かなら、テディベアなんてどこの撮影先でも見なかったように思う。

「どういうことだ……?」
「あ、この写真、ここにあったんだ」
「!?」

 突如背後で響いた声に彼は椅子を揺らした。慌てて振り返ると、そこには大きなショルダーバッグを下げた上司の姿がある。

「り、林檎さん!おどかさないでくださいよ!」
「ごめんごめん。一応声はかけたんだけど聞こえてなかったみたいだから」

 つい忍び足で近付いてしまったのだとからから笑いながら、林檎はバッグを床に下ろした。そして青年の向かい側にあった椅子を引いてくると、そこへ座る。テーブルの上に目をやった林檎はひとつ頷いた。青年の仕事に満足している様子だった。
 そういえば今日も女装じゃないなと青年は気付く。前は撮影時はいつも女装だったのに、一年ほど前からだろうか、元の姿でも仕事に臨むことが増えている。月に一度が十日に一度になり、最近では週に二回はその姿だ。
 昨日は男の格好だったから今日は女装かなと思っていたのに、二日連続かとぼんやり考えていると、林檎がこちらを向いた。その目は青年が手にした写真に注がれている。

「ずいぶん真剣にその写真見てたね」
「へ?あ……まぁ、はい。あの、この写真って」
「ああ、うん。その写真はこっちとは何の関係もない。プライベートで撮ったやつだから……ここにあったのか」

 林檎は苦笑すると、青年に写真をこちらへ寄越すように頼んだ。青年から写真を受け取ると、しばらくそれを見つめる。そして、不意に柔らかく微笑んだ。

「ああ、やっぱり可愛いな」
「……それ、林檎さんのなんすか?」

 本当に愛しくて仕方ないといった調子で林檎が言うので、青年はそう尋ねていた。暴れん坊プリンセスと称される林檎なら、そのテディベアはぴったりの持ち物に思えたが、目の前にいる月宮林檎とは若干イメージに違和感がある。
 青年の言葉を受け、林檎はきょとんと目を丸くさせた。あ、変なこと聞いたかなと青年が焦った次の瞬間、林檎は満面の笑みを見せてこう言った。

「そう、この子は俺の大切な子。……欲しがっても絶対にあげないよ?」
「いや、いらないっすよ!」
「なら良いけどね」

 男がテディベアなんて、という言葉を飲み込んで、青年はコーヒーを淹れるべく椅子から立ち上がった。俺はカフェオレがいいなと背後からかけられた声に返事を投げる。
 才能があるだけに不思議なところの多い林檎だが、まさかテディベアを可愛がる趣味があったとは。これ以上この件は突っつかないようにしよう。上司の新たな一面を発見してしまった気でいた青年は、背後で林檎が笑いを堪えていることを知らないまま、苦い顔でコーヒーメーカーを眺めていた。




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