情欲は血の色をしている




 全身の血が沸き立つくらい春歌のことが好きだと思う瞬間はいくつかある。
 朝日の白の中キッチンに立つ後ろ姿とか、ピアノに向かっているときの横顔とか、優しい色の瞳が穏やかに緩むときとか、甘くとろけるチョコレートのような声が自分の名前を呼ぶときとか、並んでソファに座ったときに感じる淡い安堵感とか。そういうものを見たり感じたりすると堪らなく叫びたくなるのだ。沸き立つ血がテンションを刻む針を跳ね上げて、簡単には戻らなくなる。
 そういうときは我慢せず、素直に思いを口にするに限る。だから翔はよく春歌をびっくりさせてしまうのだが、きょとんとまあるくなった目が笑みの形に緩むのを見るのも、好きだ。春歌が微笑んだ瞬間に、沸騰した血が刻む単純なビートがメロウな旋律に、豊かな音楽に変わる。

 思えば、翔の春歌に対する思いが溢れて止まらなくなる瞬間は、非日常のものではない。
 勿論、何処かへ旅行に行くときや、共に新しいプロジェクトを発足させるとき、そういうときにだって春歌は可憐で、強くて、ああ、やっぱり俺はこいつのことが好きなんだと思う。輪郭があやふやな球に似た形の愛がすとん、と心に降りてくる。
 だが、普段の春歌が見せる些細な言動や仕種、ちょっとした思いに触れると、風船が膨らむように愛がはちきれそうになる。愛しい、愛しい、と心が叫ぶ。
 声に出して発散すなければいられぬほど、その衝動は強くて強大だ。しかもきっかけは些細なものばかりなのでいつ襲われるか自分でも予想できない。
 叫ぶことで上手く発散してはいるが、それだけでは収まりそうにないこともある。華奢な体躯に抱き着いて、抱きしめて、自分だけで埋めつくして。吐息も視線も、肌を触れる感触すら空気にさえ渡したくないと、暴走してしまいそうになる。思いに欲が混じり始めているのだろう。それは強い赤色をした情欲だ。

「……参った」

 すやすやと膝の上で眠る春歌を見下ろして翔はため息をつく。きちんと自分の力で自分に責任を持てる年になるまではと抑えてきた「それ」が、このところ暴れ出しそうになっている。「好きだ」と叫ぶだけでは発散に足りなさそうな愛の側面を、さてどうやって抑えようか。
 寝息がくすぐる膝に集まる熱を感じる。ああ、こんな些細なことで沸き立つ血は、そうだ情欲の赤と同じ色だったと思わず天を仰いだ。
 純粋に「好きだ」と思うだけで足りていた日々が妙に懐かしく感じられた。


Top



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -