1(嶺二と春歌の場合)




 七海春歌は今をときめくアイドルだ。テレビでその顔を見ない日はないし、彼女の名前を知らない者はほとんどないと言っていい。名前を知らないとしても、彼女の歌を聞けば彼女が何者であるか理解するだろう。
 彼女のファン層はなかなかに広い。当然と言うべきか、10代20代の男性が多くを占めているが、次に続くのは20代の女性である。バラエティ番組で見せるひたむきで一生懸命だけれどどこか抜けているところや、心から音楽を愛し、様々なジャンルの歌を歌いこなす歌唱力、人々の共感をさらう曲と歌詞、彼女を形成するすべてが彼女をトップアイドル・七海春歌たらしめていた。

 彼女のファンは大人たちに限らない。老いも若きも彼女を支えている。
 勿論、幼いこどもたちも例外ではない。4月から始まったこども向けの特撮ヒーローものと変身少女アニメの主題歌をどちらも担当する春歌を、知らないこどもはいなかった。はっきり言おう。彼女はこどもたちに大人気である。
 たとえば、都内のとある保育園でこんなやり取りがされるくらいには。

「せんせ―せんせ―!あのね―、ちぃちゃんね―、おっきくなったらはるかちゃんみたいになりたい―!」
「きょ―ちゃんも!きょ―ちゃんもはるかちゃんみたいになるの―!あいどるになる―!」
「まいも―!それでね―、はるかちゃんといっしょにね―、おうたうたうの―」
「そっかぁ、みんなアイドルになりたいのか―!じゃあ歌の練習をいっぱいしないとね!」

 そう言って嶺二は元気よくきゃあきゃあと纏い付いてくるこどもたちに笑顔を向けた。アイドルにしろ何にしろ、こどもたちが夢を語るのは可愛らしい。
 最近は公務員になりたいとかそういう何とも複雑な気分にさせられる夢を語るこどもがいるだけに、アイドルに憧れる女の子たちは余計に可愛く見えた。はるかちゃんと一緒に歌うのは私だと主張し合い、争いに発展しかけているとしても可愛いものは可愛い。女の子たちの憧れが春歌だというのも嬉しかった。

 世間に知る人間はほとんどいないが、嶺二と春歌はお付き合いをしている。勿論、ひとりの男とひとりの女としてのお付き合いだ。一介の保育士である嶺二と今をときめくアイドルの春歌が何故そんな関係にあるのかは説明すると長くなる。それと同様に付き合いも長い。そろそろプロポーズしたいな―、なんて考えていたりもするのだが、まぁ、それは置いておくとして。
 世界でいちばん大切な女の子がアイドルとして頑張っているのを、職場でこんな形で知るのは嬉しいことだった。本人に教えたら喜ぶだろう。前に春歌が歌ったアニメ映画の主題歌が人気だと伝えたとき、とても嬉しそうに笑っていたから。

「れ―ちゃんせんせ―がにやにやしてる―」
「れ―ちゃんせんせ―へんなかお―」
「えっ!?本当に!?」

 危ない危ない、春歌の笑顔を思い出していたらつい顔が緩んでしまった。あくまで今は仕事中なのだ。しゃっきりしなければと頬を叩く。

「どう?男前になった?」
「え―」
「びみょ―」
「ひどっ!」
「うわぁあああああん!」

 なかなかシビアな園児の言葉にずっこけていると、突如園庭に泣き声が上がった。何事かと目をやれば、そこにはひとりの男の子と女の子がいる。
 泣き声を上げたのは女の子のようだった。その二人は園内公認と言っても過言ではないくらい仲良しさんで、喧嘩なんて珍しいと思っていると、いきなり女の子が男の子に殴りかかった。胸倉を掴んでがくがくと揺さぶっている。ぎょっとする。さすがにこれは見過ごせない。止めなければと嶺二は庭に走った。

「わぁあああああん!ばか―!」
「どうしたの!あ―、ほら、待った待った!」

 ぽかぽかと男の子の胸を叩いていた女の子を抱き上げる。はなして―と泣き暴れる彼女に話を聞くのは無理そうだと判断し、男の子に目を落とす。あんなに仲の良い二人の喧嘩の原因が分からない。犬も食わぬ類のやつかなとぼんやり考える。最近の子は進んでると、みゃあみゃあ泣いている女の子をあやしながら男の子の前に屈んだ。むっとした顔で地面を睨んでいる彼に声をかけると、返ってきたのは予想だにしなかった一言だった。

 曰く、ぼくは七海春歌ちゃんと結婚したいんだ、と。

「……………………えっ」
「なんで!?なんで!?ゆ―くん、わたしとけっこんしてくれるって、ゆってたのに!」
「だって……はるかちゃん、やさしいし、たたいたりしないもん」
「ちがうもん!ゆ―くんがはるかちゃんとけっこんするってゆったから、だからたたいただけだもん!わたし、はるかちゃんよりやさしいもん!ゆ―くんのことだって、はるかちゃんよりわたしのほうがずっとずっとすきだもん!」

 だから捨てないで!とはさすがに言わなかったが、泣き叫ぶ女の子に目を逸らし続ける男の子というその状況は立派に修羅場である。そしてそんな二人に挟まれて、嶺二は見事に固まっていた。
 相手が園児であり直接彼女と関係も面識もないとはいえ、愛する彼女が当事者に引き上げられたらさすがに動揺するだろう。彼女のことを深く愛しているだけに、動揺も凄まじかった。

「だめ―!ゆ―くんはるかちゃんとけっこんしちゃだめなの―!」
「う―……」
「うん、先生もそう思うな―。春歌ちゃんはぼくのだから誰にも渡さな……じゃなくて、ゆ―くんにはほら、あやちゃんがいるからね」
「でも……」
「考えてごらん、ゆ―くん。春歌ちゃんはアイドルだから、すごくお仕事が忙しいんだよ。あやちゃんとは毎日一緒にいられるけど、春歌ちゃんとはたま―にしか会えないんだ」
「あえない、の?」
「うん。週に一回会えればラッキーな方かな―。運が悪いと一ヶ月会えないときもあるし」
「……さみしいね」
「……うん、ものすごく寂しい」

 説明は不要かもしれないが、嶺二の言葉はすべて実体験である。話しているうちに自分が泣きそうになったのは秘密だ。こども相手に何を必死になっているんだろう自分は、的な意味でもあったし、次会えるのはいつかな、的な意味でも泣きそうになった。
 やっぱり早くプロポーズしよう。そうしよう……。
 そうして小さな恋人たちの喧嘩を収めた嶺二先生は、よっぽど悲しげな顔をしていたのか二人に慰められた、というのは全くの余談であり。
 彼が春歌にプロポーズしたのか否か、彼女がそのプロポーズを受けたか否かという話もまた、別の話である。



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