rock-a-bye,baby




 それは、とても優しい響きを持っていました。

 はじめは夢の続きにいるのかと、わたしは思いました。その日見ていた夢は本当に幸せな夢で、覚醒を促したその声の主も夢に出てきてくれたひとでしたから。
 けれど、それは夢の中のものではなくて、現実のもののようです。どこか曖昧でふわふわしていた世界や感覚が、すとん、と地に足を着けたような、夢から覚めるときのあの独特の感触を、その声はもたらしました。
 先程まで漂っていた夢も幸せでしたが、戻ってきた今もなんだか幸せです。布団に包まれる感触も、朝の淡い光を感じるのも、背中に回された腕の力強さや優しさも。幸せだなぁと小さく頬が緩みました。
 それを見ていたのでしょうか。聴こえていた歌声が止まります。起こしちまったか、と彼は独り言のように呟きました。できるだけ空気を騒がせないようにとひそめられた言葉は、わたしの耳を震わせます。いつもよりも甘く掠れた声でした。
 今まぶたを開いたら、きっと視界いっぱいに大好きな彼の、蘭丸さんの顔があるのでしょう。呼吸も鼓動も、そのひとつひとつを数えられるくらい、近くに感じます。わたしを何よりも安心させてくれる体温が、すぐそこにありました。
 わたしは迷いました。ここで目を開けて、起きていることを知らせた方がいいのでしょうか。もう少しだけ、このままでいたい気もします。世界の誰よりも早く、おはようございますと彼に伝えようか、この緩やかな時間を楽しもうか、どちらもとても魅力的で、悩んでしまいました。
 わたしが迷っていると、蘭丸さんは小さく息を整え、歌い始めました。わたしが眠っていると判断したのでしょう。それは、彼がさっきまで歌っていた、あの歌の続きでした。
 包みこむように優しい、甘く低い声が旋律をひとつひとつ確かめるように歌を紡ぎます。ときどきつっかえそうになったり、声が更に小さくなるのは、そういった歌を歌うことに慣れていないからなのかもしれません。気恥ずかしさもあるのでしょうか。だって、その歌は優しい子守唄でしたから。けれど、その響きはとても優しくて、愛に溢れていました。

「――起きてるのか?」

 子守唄が二度目の終わりを迎え、わたしがその余韻に身を任せていると、そう問い掛けられました。今度は素直に目を開けます。

「はい、今……目が覚めました」
「悪ぃ……起こしたか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「そうか」

 そうして互いに朝の挨拶を交わすと、蘭丸さんが近付いてきます。そして、額にキスをくださいました。くすぐったくて少しだけ笑ってしまうと、彼も微かに笑いました。

「そんでどうする、おまえ今日はオフだろ?」
「そうですね……」
「おれは今日午後からだし、少しのんびり……まだ眠そうだな」

 実は蘭丸さんの言う通りでした。完全に覚醒したつもりなのですが、まぶたがまだ重くて、気を抜くとそのまま夢の淵へ戻ってしまいそうです。

「だいじょうぶ、です……起きます……」
「無理すんな。おまえ最近あんま調子良くないだろうが」

 それも彼の言う通り。体調には気をつけているつもりなのですが、軽い風邪をひいてしまったのか、ここのところ微熱……と言うのはおおげさなのですが……体温がいつもよりも少しだけ高い状態が続いているのです。
 仕事に影響はないのですが、そんな状態だからか眠気を感じることも多い気がします。
 でも、せっかく蘭丸さんとゆっくり過ごせるのに、眠ってばかりいるのは勿体ないです。そう主張しようと思ったのですが、うまく口が開きません。

「いいから、ほら。寝ろって」
「うう……」
「たまにはこんな風に過ごすのも悪かねぇ」

 そう言って彼はわたしの背中に回した手で、あやすようにリズムを取り始めました。うう、ずるいです。そんな風にされたら、まぶた、が。ああ、これは落ちてしまいます。

「ら、んまるさん……」
「ん?」
「わがまま、言ってもいいですか……?」
「ん。言ってみろ」

 彼の指が頬を滑ります。髪を、払ってくれたのでしょうか。

「うた、うたって……ください……さっきの、うた……」
「さっきのって……聞こえてたのかよっ」
「ふふっ……練習、なさってたんですよね……?」
「は?練習?いや、別に意味は……おい、春歌?」

 あれ?わたしは今なんで練習、だなんて言ったんでしょうか。自分でも無意識でした。でも、なんとなくそう思ったんです。これは練習なんだろうなって。そう遠くない未来のための、練習なんだって。
 だんだんと蘭丸さんの声が遠くなっていきます。何かおっしゃっているようですが、ああ、もう判別できません。ごめんなさい。今はもう、その声ですら子守唄に聞こえます。
 やがて、あのメロディが聞こえてきました。話し声よりもずっと小さな、ほろほろと空気に溶けるような甘い歌声。優しい優しい、子守唄。

(いつか、「あなた」も歌ってもらいましょうね)

 ふわりと浮かび上がったその言葉を最後に、わたしの意識は夢へと落ちていきました。



__________



 その寝息が規則正しいものに変わったのを確認して、歌を止め、息をつく。どうやら無事に眠ったようだ。おれの腕の中で春歌は幸せに笑っている。昔はなんて脳天気な笑い方だと思っていたが、今はたまらなく可愛く思えた。
 この笑顔はおれが春歌へ与えられたものだと思うと嬉しくもなった。
 少しずれた布団を引き上げる。わずかに出ていた華奢な肩を覆った。

「ん?」

 その時に気付いた。春歌は腹を抱えるようにして眠っている。腹が痛いのか?普段はこんな体勢で寝る奴じゃない。けれど顔色は悪くない。寝顔も穏やかそのものだった。具合が悪いわけではなさそうだ。抱えるというより、なんつーか、守るって表現のが合う気もする。大事に大事にしてる感じだ。
 と言っても、春歌が最近調子を崩しているのは事実だ。もしかしたらその影響かもしれねぇ。

「目が覚めたら病院に連れて行くか……」

 そんなことを考えながら、おれももうひと眠りするべく目を閉じる。そしてあっさりと夢に落ちたおれはその時、知るよしもなかった。
 春歌がこのところ調子を崩していた理由も、無意識に練習だと言った理由も、おれが無意識に子守唄を歌った理由も、春歌が腹を大事に抱えていた理由も。

 そしてそのすべてが明らかになるのは、おれたちが眠りに就いてから数時間後のことになる。



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