チョコレート戦争4



 キラキラしている……女子達のきゃっきゃと楽しそうな声、甘い匂い、桃色の乱舞…あの中でどうやって目立たずにいられるのか分からない…。

 文次郎がここに立ち尽くしてから数分は経つ。

 菓子屋の特設チョコ売り場から離れること数十歩の位置、文次郎はそこから一歩も動けずにいた。

 あの場所との間には、目に見えない壁がある。
 この壁は女の下着売り場や、お洒落な甘味処にも存在している。
 文次郎には、果てしなく高い壁だった。

 どうしよう…女装した田村にでも頼むか?
 こっそり呼んで買わせるか?
 ダメだ、そんな時間はない。
 しかも絶対ばれる。
 何だかんだ言って、ペラペラ喋りそうだ。

「…くそっ」

 文次郎は自分を叱咤して歩き出した。

 そして、心の中で自己暗示をかける。

 難しくない。
 あそこまで行って適当なチョコを手にとって会計する。
 それだけのことだ。
 自分はチョコが大好きな“スイーツ男子”なんだ。
 チョコを食べたくなって買いに行くんだ。
 プレゼントとかじゃなくて、ただ食べたいだけだ。
 だからちっとも恥ずかしくなんてない…大丈夫…恥ずかしくなんて………会計にずらっと並ぶ女子達が目に入った。

 途端に来た道を一目散に戻りたくなった。
 絶対にそんなはずはないのに、女子がみんな自分を見ている気がする。
 文次郎は逃げ帰りはしなかったものの、微妙にコースを変えてふらふらと売り場の周りをさ迷った。
 さっきの列に二十人くらいの人が並んでいるのが見える。

 並ぶのか?あそこに?
 いやいや、無理だろう…。

 しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。
 手ぶらで帰れば、それ見たことかと笑われるのがオチだ。
 どうにかしなくては……文次郎はその時、売り場の端っこに比較的空いている会計がある事に気がついた。
 なぜだか分からないが、そこにはあまり人がいない。

 よし。

 文次郎はそこに向かった。
 死地に赴く、戦忍にでもなった気分である。
 文次郎は、会計の手前にあるチョコを掴んで持っていこうとして、やめた。
 その会計にはいくつかチョコが置いてあり、その中から欲しいものを選ぶらしい。
 文次郎の前に1人だけ客が居て、その子は丁度会計を終えて帰るところだった。

「お待たせいたし…」

 文次郎の姿を見て、店員の笑顔が強張る。
 瞬時、文次郎は俯いた。
 早くも、どろんと消えてしまいたくなった。

「い、いらっしゃいませ、お決まりですか?」

 店員は気を取り直したように元気よく言う。
 文次郎は机に置いてあるチョコを見た。
 何だかナマっぽい塊やら味気無い茶色いのが並んでいて、どれを選んで良いか分からない…。

「お客様?」

 あいつ、何か言ってたな…高級そうで包装にも凝っていて…。

「あの、一番高い奴、下さい」
「はい、それですとチョコレートケーキタイプになりますが?」
「ちょ、ちょこれーとけーきたいぷ…?ええっと…それでいいです」

 というより何でもいいです。

「包装はいかがいたしますか?ご自分でされるならこちらに別売りもございます」
「あの、そっちでやって貰えると助かります」
「かしこまりました…では、包装代金込みで……五十文になります」

 高ッ!

 文次郎は、そそくさと金を払った。
 一刻も早く品物を受け取りたい気持ちで顔を上げると、商売用の笑みが張り付いた唇がなにやら言っていた。

「お名前は何とお入れしますか?」
「……は?オナマエ?」
「チョコにお入れするお名前です」
「はい?」
「上のハート型のチョコにホワイトチョコで相手の男性…えっと女性でも良いのですが、そのお名前をお入れするんです」
「チョ、チョコに名前!?何そのダサくて余計なオプション!?」

 文次郎は、思わず言ってしまってから慌てて口を噤んだ。
 店員が、ぴくりと口元を歪ませた事が分かった。

「こちら、そういった売り場ですが?」

 ……なるほど。

 それでチョコが質素だったり飾りの別売りがあったりして、包装も色々と選べるのか。
 つまりニセ手作り売り場……怖い…これを“私の手作りなの”と言って平気な顔で渡す女子達が怖い…。

「それで…如何いたしますか?」

 店員は少しイライラした口調で催促した。

「や…名前は…いいです…」
「でもそれですとココが空いてしまって素っ気無い感じに、」
「いや…いいです…」
「じゃあメッセージをお入れしましょうか?」
「え?」
「“ラブ”とか…」
「…らぶ…?」
「ええ、ラブ」

 死にたい。

「それとも日本語で“ダイスキ”なんかも人気が、」
「な、何でも良いんで早くして下さい!」

 店員は今や明らかに憮然としていた。
 抑揚無く“かしこまりました”と言って文次郎のチョコケーキを隣の職人風の女に渡してなにやら指示を出す。

「ではそちらで少々お待ち下さい」

 結局待つ羽目に…!

 文次郎は、なるべく隅っこに立って遠くを見ていた。
 そのうち後ろに人が並び始める。
 さっき空いていたのは偶々で、“ニセ手作りチョコ売り場”は意外と盛況らしかった。
 文次郎は、心の中であきれ返る。

 せっかくなら自分で作れよ、女たち…俺もこれならいっそ家で自分で手作りした方がマシだ。
 そうすりゃ少なくともこんな恥ずかしい思いで待たされることはない。

「お客様お待たせいたしました…お客様?」
「あ、はい」

 文次郎は、慌てて手を伸ばす。
 しかしケーキはまだ包装されていなかった。

「こちらでよろしいですか?」
「……………」

 真っ白なチョコ文字で“ジュ・テーム”と書いてある。

 ……ジュテーム…よりにもよって仏語…おフランスかよ…畜生…この店員は明らかに俺を辱めようとしている。

 バレンタイン売り場に並ぶ男なんて、ヘコませてやって当然だと思っているに違いない。
 しかしここでキレてしまったら最初からやり直しだ。

「…それで…いいです……」

 どうにかそう言った文次郎に、追い討ちをかけるように後ろで誰かが囁いた。

「え、男…?男なのに、チョコあげるのかな?」
「友チョコじゃない?」
「でも“ジュ・テーム”って書いてあるよ?」
「うそぉ…」

 振り向けなかった。
 死んでしまいたい。
 いっそのこと、綾部あたりに穴を掘って貰って埋められたい。
 彼女の言ってることはある意味正しかった。
 留三郎と出来てる時点でその言葉は的を射ている。
 否定なんて出来ない。
 しかし、いそいそと男にチョコを買うような奴だと思われるのは、どうにも辛かった。

「しかも“ジュ・テーム”…ぷっ」
「しっ、聞こえるよ」

 体が熱くなって眩暈がする。

 文次郎は今確信した。

 人は恥ずかしさで死ねる。
 あと数秒でもここにいたら、俺は死ぬ。
 恥ずかしさで体が溶け出す。

 ああ、間違いない…。

 そう思うと同時に、急に沢山の視線を感じた。
 食い入るように見られている。
 この野郎、そんなに男が珍しいのか…睨み付けてやると、今度は真逆の位置から、こんな言葉が聞こえてきた。

「ねえ、あれってもしかして、学園一ギンギンに忍者していると噂の…潮江先輩じゃない?」

 嘘だろ…。
 まさかこんな所に…学園のくのたまが紛れているなんて。

 文次郎は、自分の体温がすっと下がるのが分かった。

「え、そうなの?こっからじゃ良く顔見えない…」

 やばい。まずい。

「絶対そうだって」
「アンタ、声掛けてみなよ」

 やめろ、声なんて掛けるな、頼む放って置いてくれ、

「大変お待たせいたしました。こちらの商品大変解けやすくなっておりますので…あっ」

 文次郎は店員の手からケーキをもぎ取った。
 逃げ帰ろうと振り向いて、ぎょっとする。
 いつの間にか十人くらいの女子が並んでいて、それが全員此方を見ていた。
 どれも見た事のある顔で、学園のくのたまが集団で“お買い物”に来ているのだという事が分かる。
 くのたま達の目前に立たされ、文次郎は蛇に睨まれた蛙の様に固まった。

「やっぱりそうだ!」

その中の一人が叫んだ。

「潮江先輩だ!」
「マジ?何でこんな所にいるの?」
「え、何?」
「潮江先輩だって!」

「ち、ちがう、俺はあの、ただのしがない一般人で、」

「あ、潮江先輩何か持ってるよ!」
「え、もしかしてチョコ?」
「うそ!あの三禁三禁煩い、潮江先輩が?」

 誰も聞いちゃいない。
 どうしよう。
 どうしたら良い?
 こんな場所でこんなもの買ってる所を見られて、どうしたら…。

 途端、誰かが文次郎の上衣の裾を掴んだ。
 それが合図の様に別の誰かが腕を掴む。
 数本の腕が顔に伸びてきた。
 文次郎はぞっとしてケーキの箱で顔を覆った。

 やばい、もみくちゃにされる、しかし女相手だから迂闊に手も出せない…誰か、誰か助けてくれ…仙蔵、伊作、小平太、長次、ドラ●もん、誰でもいいから…っ!











「はい、そこまでー」

 のんびりした、しかし、はっきりと大きな声が聞こえた。
 全員が動きを止めて、声の方を見る。
 チョコ売り場の仕切りの向こうには、爽やかな笑顔を湛えた留三郎が立っていた。

「え…」
「あ、食満留三郎先輩だ!」
「きゃあ!カッコ良い!」
「はいはい、慌てなくていいぞー」

 近寄ろうとするくのたま達を笑顔で制して、留三郎は此方に歩いて来る。

「はい、ちょっとゴメンな」

 留三郎はスルリスルリとくのたま達を笑顔でかわしながら、文次郎の傍まで来た。
 そしてくのたま達を見回して、更ににっこり笑った。

「とめ…」
「どうもー、どっきりでしたー」

 はい?どっきり?

「学園長先生のいつもの急な思いつき企画、題して“潮江文次郎☆バレンタインどっきり”!ちなみに、カメラはあそこだ」

 留三郎の指差す先には確かにカメラ…と言うか、防犯カメラがあった。

 時代考証?いまさら知るか。

「え、カメラ!?」
「おう、カメラだ」

 留三郎はしれっと答えた。

「がんがん写ってるからな!いい子にしてろよ」

 数人のくのたまが、きゃっ!と叫ぶ。

「せっかくだから一緒にやるか。俺が合図したら、カメラ目線で“大成功!”そしてカットの声が掛かるまでそのままで待機!分かったか?」

 くのたま達は、いっせいに“ハイ!”と元気良く答えた。

「それじゃあ、行くぞー!せーのっ」



“大成功!”



 そして、ピース。

 アホだこいつら……。

 呆然と見詰める文次郎の手を、誰かが強く握った。

「あ…、」
「しっ、」

 留三郎だった。

 悪戯っぽい笑顔を浮かべて文次郎の手を引いている。
 唇が“逃げるぞ”と動いたように見えて、文次郎は素直に頷いた。
 ピース+カメラ目線で動かないくのたま達の後ろを、留三郎に引かれるまま早足で擦り抜ける。
 さっきの店員が、うっとりと留三郎を見ているのが目に入った。
 他の客達も何事かと集まり始めていたが、むしろくのたま達の方に視線が集まっている。

 こうして二人は、難なくチョコ売り場を脱出した。
 店の外に向かって一目散に走り出しながら振り返ると、まだ防犯カメラに向かってピースするくのたま達の後姿が人込みの間に見え隠れしていた。




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