チョコレート戦争3



 町の至る所で輝く桃色とハート型の飾りに、文次郎は早くも眩暈を覚えた。


***


 あの時の俺はどうかしていたんだ。
 そうとしか思えない。
 自分の所為で酷い風邪をひいて、でも一言も責めずに諦めた態度を取る留三郎についむきになってしまった。
 素直に謝って終わりにすれば良かったのに、いつの間にか話が“愛情問題”に発展して、良くわからないうちに自らペナルティを背負い込んでしまった。
 我ながら馬鹿だと思う。
 そして未だにそのそれを撤回できないのは、馬鹿の上塗りだと言う事も分かっている。
 でも俺にだって意地と言うか、譲れないものがあるんだ。
 コイツは俺のことを分かっているつもりで、全然分かっていない。
 自分ばかりが愛情いっぱいで頑張っていると思ってやがる。

 嗚呼、実に不愉快だ。


***


「やっぱ、やめた方がいいんじゃないか?」

 そう言いながら文次郎の隣に立つ留三郎の表情は、半笑いだった。

 “心配だから付いて行く”とは言っていたが、もちろん狙いはそこじゃない。

 留三郎は、文次郎が弱音を吐くのを待っているに違いない。
 そうだ、絶対そうに決まっている。
 それ見たことか、やっぱり俺のことなんて大事に思って無いんだろ、と結論を出す気なんだ。
 くそ、その手に乗ってたまるか…!

「男に二言は無い」

 文次郎の言葉に、留三郎がブッと吹き出した。

「…なんだよ」
「いやいやいや、男らしいと思ってな」

 上機嫌な横顔に拳をめり込ませてやりたい衝動に駆られた。
 今すぐコイツを、ぎゃふんと言わせてやりたい。

「そんなに見詰めるなよ、文次郎」
「………」
「俺が見てない時に、いつもそうやって見てんのか?」

 文次郎は、この前自分が言ったことを使って人の羞恥を煽る留三郎に対し、更に怒りが募った。
 しかし、お約束どおり赤面してしまう自分がもっと嫌だ。

 畜生。

 文次郎は店の看板を見る振りをして、顔を逸らした。

「文次郎からチョコが貰えるなんて夢みたいだなぁ」

 無視だ。

「それも恥ずかしさに震えながら買ってくれるなんて、サイコーじゃね?」

 変態は無視するに限る。

「きっと凄く甘いだろうなぁ…」

 無視だ、無視。

 しかし顎を掴んで引き戻され、無理やり目を合わされた。

「おい、ここ町中…」
「アレ、持って来れば良かったな」
「え?」
「今思いついた。何だっけ、アレ、ねこみみ?っていうのか?アレ付けたまま買いに行くって、良いアイディアじゃねぇ?」
「………」

 ……いっそ殺してやりたい。

「チョコ買う時に、ねこみみ付けた男がいたら変態もいいトコだろ?」
「変態はお前だ!」

 振り払った手が頬を撫ぜて引っ込んだ。
 留三郎のクスクス笑いに震えるくらいの怒りが湧く。

「どう?」
「何がだ!」
「俺に真心チョコをプレゼントしたい?」
「したいわけねぇだろ!」
「じゃあ、やめる?」
「あ、」

 文次郎は、ああそうするよ!と言いそうになって、寸のところで言葉を呑みこんだ。
 留三郎がその言葉を待っているのが目つきで分かる。
 突然留三郎の真意が呑み込めた。

 この野郎…。

「帰るか?」
「………」
「無理しなくて良いんだぞ?」
「黙れ!俺が買うっつったら買うんだよ!」

 留三郎の首ががくっと下がった。

「なんつー天邪鬼だ…」
「ああっ!?」
「なんでも無い。もう分かった」

 チラリと文次郎を見る目が、何とも言えない色を宿している。
 例えるなら喧嘩中の男が、聞き分けの無い女をため息混じりに見るような類の目つきだ。
 呆れているが愛情たっぷりという感じで、ムカつく事この上ない。
 他の男にこんな目で見られたとしたら、文次郎は間違いなくそいつを殴り倒しているだろう。


***


「分かってるとは思うけどな…」

 菓子屋から少し離れた木の下で、留三郎はぐだぐだと文次郎に注意を垂れた。

「十分気をつけろよ?こういう行事が絡んだ時の女は夜叉だと思え。揉みくちゃにされるぞ」
「……」
「なるべく目立たずに、さっと買って戻って来るんだぞ?俺はここで待ってるからな?」

 …はじめてのお使いか?

 留三郎が長々と言葉を紡いでいる間、文次郎は何も喋らなかった。
 文次郎も色々言いたいことはあったが、それは全部この忌々しい任務が終ってからだ。
 買って来いと言うなら、買って来てやる。

 しかしその後は、俺のお楽しみの時間だ。

「じゃあ、行ってくる」

 そう言って被りを振ると急に腕を掴まれ、唇を重ねられそうになる。
 瞬時それを手で防いでやると、留三郎はあからさまに傷付いた顔をした、ざまあみろ。

「留三郎」

 今度は嬉しそうな顔。

 名前呼んだくらいで喜ぶな、バカタレ。

「お前は俺のことを好きで思いやってるつもりだろうけど…俺だってちゃんと好きなんだからな!」

 何か言われる前に店の戸を閉めて、文次郎は店内に足を踏み入れた。



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