チョコレート戦争2



「…もういい」
「何が」

 伊作が部屋を出てからも、文次郎は留三郎のそばに居た。
 ただし世話を焼くでもなく、話しかけるでもなく、文字通り「居るだけ」だった。
 大体文次郎は、留三郎に対して謝ったり償ったりすることが得意ではない。
 だからこうして傍に居るというだけで、文次郎がすまない気持ちでいることは、留三郎には十分伝わっていた。
 なので“もう気にしなくても良いんだぞ”という意味で言ったのだが…文次郎はそれを曲解したらしかった。

「いいって…何がいいんだよ」

 ぶすっとした声で返されて、留三郎はため息を漏らす。

「もう気にしないで良い、って意味だ」
「へぇ?」
「…何か言いたそうだな」

 文次郎は答えずに鼻を鳴らした。
 プイっと横を向く仕草に、留三郎はげんなりする(内心少し可愛いと思ったのは内緒だ)。

「…逆切れかよ」
「別に…切れてねえし」
「そうか」
「…お前こそ怒ってんだろ」
「怒ってないぞ」
「怒ってる」
「怒ってない」
「嘘つけ!」

 文次郎は声を荒げた。

「普通怒るだろ、あんな目にあったら!」
「怒んないんだよ、俺は!慣れてるから!」

 怒鳴り返したら酷い頭痛がした。
 しかめっ面で黙り込む留三郎を、文次郎はまた曲解したらしかった。

「…不満があるなら、言えばいいのに」
「は?」
「嫌な思いするのは慣れてる、って意味で言ったんだろ」
「…………」

 文次郎、お前は…俺が弱ってる今この時にすら、喧嘩を吹っかけるのか…。

「違う、俺が言いたいのは、」

 留三郎は、それでも言葉を選びながら勤めて穏やかに伝えようとした。

「お前が俺に対して愛情の無い態度を取るのには慣れっこだから、俺は今更怒ったりしませんよ、ってことだ」
「……」
「分かったか?」
「分かった………やっぱり俺に不満があるんだな?」


 あぁ…あああぁ……!!!


 留三郎は心の中で絶叫した。

 今すぐ“きぃ!”と叫びたい。
 頭を掻き毟りたい。
 この分からず屋を校庭のど真ん中まで連れてって、下だけ脱がせて四つん這いにしてやりたい。
 そして、×××を入れたまま××して×××させたい。
 最終的には、学園中に響くくらい泣き叫ばせてやりたい。

「留三郎?」

 しかし、今の留三郎にそんな元気は無かった。

「…文次郎、こっち来い」
「はぁ?」
「いいからこっち来いっ!」
「っ、おまっ、何様だっ?」
「ごめんなさい」

 留三郎は、とりあえず謝ってみた。
 拍子抜けしたらしい文次郎の腕を掴んで引き寄せる。
 腰を残したまま上半身だけ布団に圧し掛かる格好になった文次郎は不満げな声を漏らした。
 留三郎は、それに構わず頭を抱いて目を閉じる。

 …ああ、ホッとする。

 どんな状態でも、どんなに腹が立っていても、こうすると安心するんだよ。

「…とめ、」
「しっ」
「………」

 文次郎のこの苛々は、罪悪感の裏返し。
 悪いと思っているのに、どうして良いか分からないから不機嫌な態度を取ってしまう。
 そんな自分に更に苛々して天邪鬼になる。
 悪循環だ。
 文次郎の一見男前な佇まいの裏には、こういう弱い部分が隠れているという事を、留三郎は良く理解していた。

「とにかく、俺は怒ってないし不満も持って無いから」

 そう言った留三郎は、文次郎の頭に口付けを落としてから、手を離す。
 文次郎は座りなおして両膝を抱えた。

「でも、愛情が無いとは思ってる」

 …今日はしつこいな。

「報われてないと思ってる…だろ?」

 うんまあ、それはある。

 留三郎は、心の中で相槌を打った。

 だって、俺の好きと文次郎の好きが全然釣り合ってないのは事実だから。
 たまに“もしかしてこの人、俺のこと凄く好き?”と思える瞬間があっても邪険な態度にすぐ否定されてしまう。
 だから、あまり期待しないようにはしている。

「…まあ、それは仕方ない」

 文次郎は何も答えなかった。
 部屋がしんと静まり返る。

 留三郎は、自分の目蓋が重くなるのを感じた。
 おそらく、薬の所為で急に眠気が襲ってきたのだろう。
 外から聞こえる、下級生達が騒ぐ声が遠くなる。
 このまま眠ってしまいたい。
 何だか身体が温かい。
 留三郎が目蓋を閉じると同時に、文次郎がぼそぼそと何か喋った。

「仕方ないってなんだよ」

 ………?

「なんだその態度は?何勝手に人のこと諦めてんだ?」
「………」
「じゃあ、何か?俺は愛情の無い冷血人間で、お前を虐待してるとでも言いたいのか?お前ばっかりが苦労してて、」
「あああああああ、もう!!!」

 留三郎は飛び起きる。
 飛び起きすぎて眩暈がした。

「何だってんだ、文次郎!?」
「何でもねぇ!」
「何でもなくないだろっ、どうしたんだよ!」
「お前が悪いんだろっ」
「いつからそうなった!?もともとは自分が悪いんだろ!?」
「ほら見ろ!」
「何がっ!?」
「やっぱり、怒ってた」

 吐き捨てるように言って、文次郎は目を逸らす。
 留三郎は本格的に具合が悪くなってきた。

 出来ることなら、今すぐこの分からず屋を裸にして縛り上げて猿轡噛ませて床に転がしておいてやりたい。
 で、文句言いたそうな素振りでも見せたら×××を無言で挿入してやる。

「留三郎?」

 …畜生、でもどんなに腹立っても邪険に出来ない…少し不安そうに“留三郎?”と呼ばれるだけですぐに怒りなんて萎えてしまう。

 留三郎は、そんな自分に溜息をついた。
 そして、そのまま横になって文次郎の顔を見上げた。

「じゃあ、文次郎は俺への愛情が溢れてるとでも言うわけ?」
「それは…」
「答えないならこの話、終わり。おやすみ」
「………す、好きじゃなきゃ、男となんか、あれだろ…」

 お、頑張って答えたぞ。
 しかも“俺はそんなことぐらい何でもありません”という顔でこっちを見ている。
 でも頬っぺた赤いし…おもしれぇ…。

「じゃあ俺の事すっごく好きだけど、愛情表現が上手く出来ないのか?」
「…すっごくって…」
「愛情に溢れてるんだろ?」
「……まあ、そんな感じと似ている、気もする」

 ぶはっ、どんな感じだ、やべ、何か面白くなってきた。

「本当は表現したいのに出来ないから逆に邪険になるのか?」
「俺は俺なりに表現している」
「例えば?」
「見たりとか」
「見…?」
「お前が見てない時に」

 何だそれ、お前どこの生娘だ。

「それに…その、房事の時だって…」
「俺を受け入れてるから、愛情一杯だってこと?」

 留三郎の辱めに文次郎はぐっと息を呑み込んだが、目を逸らさずに、

「お前には出来ないだろ」

と答えた。

「出来るぞ」
「は?」
「やりたきゃ、いつでもどうぞ」

 出来れば痛いのは嫌だけど。
 どうしてもと言われたら、多分受け入れるだろう。

「で?」

 複雑な顔で黙り込んだ文次郎を、留三郎は促した。

「え?」
「他にどんな表現してる?」
「……色々」
「色々…便利な言葉だな」

 留三郎は、にっこりと笑った。

「“愛情表現、色々してます”いやぁ、なかなか言えないぜ?」

 むっとした顔で口を開きかけた文次郎を、留三郎の手が制する。

「色々してたって、伝わらなきゃ意味が無い」
「………」
「もっと分かりやすく証明してくれないと、俺だって分かんねぇって」
「証明?」
「そう、俺がそうと分かる形で愛情表現してみろよ」

 ここからは計算だった。
 文次郎が留三郎の言うことに納得しないなら、無理難題でも吹っかけて黙らせるしかない。
 留三郎に対して、とことん腹を立てれば自分の罪悪感なんて忘れてしまうだろう。
 だから、留三郎はわざとニヤニヤしながら言った。

「もうすぐ、愛情表現の一大行事があるだろ?」

 たっぷり間を取って、文次郎が自分から答えるのを待つ。

「…“ばれんたいん”?」
「そうそう、それ。好きな男に愛情表現するにはピッタリの行事だと思わねぇ?」

 文次郎の唇がぴくりと歪んだ。
 留三郎は、ニヤニヤ笑いを広げる。

「買って来いよ、チョコレート」
「……」
「その辺の板チョコとかじゃあなくて、高級そうで、いかにもバレンタインっぽくて、包装も凝ってる奴。菓子屋特設のチョコ売り場とかで売ってるのが良いな。女の子に混じって前日に買うってのはどうだ?」
「………」
「そしたら信じてやるよ。文次郎が俺に十分愛情を持ってる、ってな」

 今度こそ文次郎は黙り込んだ。
 よし、これで終った…多分今、文次郎の腹の中は煮えくり返っている。

“ふざけるな、誰がそんなことするか”。

 そしたら、留三郎は自分が悪かったような、でも不満そうな顔をして布団を被れば、それでこの話は終わり。

 そしたら眠れ…

「……………分かった」

 眠れ…はい?

「それでいいんだな?そうすれば今日のことは全部チャラだな?」

 何?なんだって?

「そしたら俺の愛情が足りないとか何とか、金輪際言うなよ!」

 文次郎が勢い良く立ち上がった。
 留三郎はぽかんと口を開けて、仁王立ちする文次郎を見上げる。
 決意に溢れた表情は凛々しくて、嗚呼良い男だなと惚れ惚れするぐらいだ。

 しかし、その決意の内容が…

「待ってろよ、チョコ!」

 そう男らしく宣言して、文次郎はどすどす音を立てながら帰っていった。

「………」

 部屋が静かになって、やっと眠れるはずだったのに。
 文次郎が帰ってしまったあとも、留三郎は呆然と去り際の言葉を反芻する事しか出来なかった。


 チョコを?

 文次郎が?

 まさか。



 …まさか、な。




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