チョコレート戦争1
※時代考証なんて無い



 その日留三郎は、四十度の高熱を出した。


***


「一体、どうしちゃったの?」

 ため息混じりに言う伊作からそっと目を逸らしたのは、留三郎ではなく文次郎だった。

「せっかくの休み明けに、いきなり風邪だなんて…」

 伊作は大げさに天井を仰いだ。
 その横で、文次郎は所在無さげに体を動かし始める。
 留三郎はと言うと、布団に横になったまま、大人しく伊作の話を聞いていた。

「言いたくないけどさ、健康管理には気を付けて欲しいって言うか、自覚を持って欲しいって言うか…」

 そう言われて睨み付けられても、留三郎には何と答えて良いかなんて分からない。
 再度文次郎の表情を窺うと、既に頬が赤らみ始めていた。

「留三郎も、それこそ文次郎を見習ってだね、」
「……俺なんだ」
「え?」

 急に発言した文次郎に伊作はぱちぱちと目を瞬かせた。

「…何が?」
「俺の所為なんだ」

 文次郎は繰り返した。
 これ以上は話したくない、しかし、罪悪感と責任を感じている…そんな口ぶりだった。
 伊作の眉が不思議そうに寄る。

「何で文次郎の所為なの?」
「いや……その…俺が…」
「あ、もしかして待ち合わせをすっぽかして表で何時間も待たせたとか?」
「いや…」
「じゃあ、風呂上りに買い物にでも行かせた?」
「違う…」

 伊作は益々不思議そうに首を傾げた。
 しかしいくら考えたって正解は出ないだろう。
 こればかりは、文次郎がちゃんと話すしかない。

「昨日…その、なんというか、俺はやろうと思ってやった訳じゃないんだが、第一覚えてないし、でもコイツが言うのと状況を合わせるとそうなのかもしれないという気もするし、なんと言うか、それでもイマイチ確証が無いというか、」

 普段は流暢に動く文次郎の舌が右往左往しまくっているのを見て、留三郎は頭を抱えた。

「悪気はなかったんだ…覚えてないんだが、多分悪気はなかったはずで、」
「昨日この部屋に文次郎が来たんだよ」

 いつまで経っても話が進みそうに無いので、留三郎は話に割り込ませて貰った。
 それにしても、我ながら酷いガラガラ声だ、と心の隅で思う。

「夜中に、酔ったままで押しかけて来てさ」

 昨晩は保健室に泊まっていた伊作が、合点がいったように頷いた。

「ああ、それで今朝来た時にもう居たんだ…文次郎、何しに来たの?」
「…俺、全然憶えて無いんだが…その…」
「襖を開けるなり、突然服を脱ぎ出したんだよ」

 留三郎が簡潔に言ってやると、二人とも気まずげに俯いた。
 文次郎は文字通り恥ずかしくて、伊作は多分聞いている方が痛い話であることを察知して。

「止める間もなく全裸になっちゃって…」
「お、俺は全然覚えて無いんだっ!」
「起きた時全裸だったろ?」
「そ、そうだけど…」
「で、何で留三郎の方が風邪引いてるの?」

 二人が無駄な言い争いをしないように割って入る伊作のタイミングは、さすが長年友人をやっているだけあって絶妙だった。
 留三郎は頷いて、先を続けた。

「自分だけ裸なのが不公平だと思ったのか“お前も脱げ”が始まってさ…」

 留三郎は、文次郎の為に言わないでおいてやったが、実際は全裸の文次郎に抱きつかれて誘惑されたのだった。

 “お前の好きなトコロ、舐めてやるから全裸になれ”と。

「なのに、俺が裸になった途端、暴れ始めてさ、」
「……」
「“何をしている、この変質者!”…言われたとおりにしただけなのに…」
「……」
「そんで、裸の俺に鋭い蹴りを浴びせながら部屋の外まで追い出したんだよ」
「……」
「そしたら、後ろから若干酔った仙蔵が突然現れて“どういうことだ、留三郎”と詰め寄られて…」
「……」
「弁明して貰おうとして、何度も文次郎の名前を呼んだんだけど、反応は無いし、」

 留三郎は、一呼吸置いて文次郎を見た。文次郎は耳まで赤くして俯いた。

「すまん………寝てた」
「で、そのまま一晩中仙蔵に追い立てられるはめになった上に、最終的には池に落ちた」

 …すっかり僕の不運が感染したね、と伊作は言いかけたが、そこは空気を読んで黙っておく。

「その後仙蔵は、六は長屋の襖の前にドンッと座って、うつらうつらし出すし…結局、後輩達に全裸で助けを求めて学園中の噂になるくらいなら我慢した方がマシだと判断して、朝まで待つことにした」
「…どこで?」
「長屋近くの木の上で。…とりあえず、朝までうずくまってた」
「…全裸で?」
「そう、全裸で」

 一同黙り込んだ。

 留三郎は、話しながらちょっと涙目になっていた。
 我ながら、涙を誘うストーリーである。

 不幸中の幸いは文次郎が早起きだったことだ。
 日が昇る前に目覚めた文次郎は、自分が六は長屋に一人でいることに気付いて焦ったらしい。
 朧気に誰かを蹴りまくったことを思い出し、慌てて外に出た。
 留三郎はその音を聞きつけて、自分が助かったことを悟った。

 正味丸三刻。

 凍え死ななかったのが不思議なくらいの、いわゆる奇跡の生還であった。

「だから…悪いのは俺なんだ…」

 そう言った文次郎の声は消え入りそうだった。
 留三郎と伊作は、多分同じ様なしょっぱい気分を味わっていた。
 大本を正せば悪いのは文次郎だが、責めるには忍びないと言うか…文次郎が今死ぬほど恥ずかしい思いをしている事が、ひしひしと伝わってくるからだった。

「……」
「……」
「……ゲホッ、」

 気まずい沈黙を破ったのは、留三郎の咳だった。
 激しく咳き込む留三郎の背中を擦りながら、伊作は取って付けたように呟いた。

「…うん、まあ…死ななくて良かったよね…」










 その下手なまとめに、留三郎の頭痛が増した。




←main