感染
藤袴の藤波様から頂物



六年は組の善法寺伊作の行く先には、毎度とてつもない不運が待っている、という輩も少なくはない。が、それは少々間違っているのではないか、と、同じく六年は組、伊作と同じ部屋で寝食を共にして六年になる食満留三郎は思っている。
伊作の行くところに不運が待ち構えている訳ではなく、伊作自身が、不運を、これはまこと衣のように纏っているに違いない。
そしてその、不運、からなる禍が己の身にまでにじり寄っていることに、留三郎もまた気付かぬ訳でもない。

朝陽が昇ったことを知らせるように、ちゅん、とひとつ、雀が鳴いた。
その声が聞こえているだろうに、留三郎に起きる気配はないし、起きようとする素振りもないのはどうしたものか。
ここでここぞとばかりに留三郎の耳元に大声を吹き込んだのは、徹夜でこもっていた保健室から帰って来た伊作であるが、そんな同室の友の声にも、留三郎は起きる素振りすら見せず
「留三郎、きみ、授業はどうする気だい」
問いかける伊作にも無視を決め込む始末である。
「まったくもう」
伊作はそう言って制服に着替えると、常のように何かを踏みつけたのか、はたまた何かにぶつかったか、文次郎が聞いていたならば「忍たる者云々」とまた始まりそうながしゃがしゃと騒がしい音を立てて食堂へと向かっていった。
その耳に煩わしい音を、掛けた布団の中から気付いてはいるものの、芋虫のような態の留三郎は依然として身動き一つせず、目を瞑るばかりである。

――さて、話は変わるが。

いくら城主の甚兵衛であっても、少人を弄ぶ、などとのたまうことは、雑渡昆奈門にとっては甚だ不愉快であるに違いない。
雑渡は途方もない恋情に身を焦がしているのだ。それをそのような噂話でもって汚されるようなことは、三千世界の誰が許したとて雑渡は許す訳にはいかぬ。それは、己のいとおしきあの少年を汚すことと、何等相違がないからである。
とはいえ、こう、恋情と言ってしまえば些か綺麗な響きではあるが、言うてしまえば、それは物欲に近い。更に言うなれば、物欲と性欲を兼ね備えた支配欲にさえ似たものにさえ感じてしまう。
要は欲なのだ。
欲、といえば聞こえは悪い。けれど、この気持ちを言葉にするにあたって、これ以上に相応しい言葉というものを、生憎雑渡は持ち合わせていない。
雑渡は途方もない欲に暮れながら、少人を見やる己の心持ちの中に、真午の陽射しの微睡みにも似た穏やかな風をまとう様というのを存外気に入っている。
思い返してみれば、己の干からびた性欲を、この身体にその身体をもって思い出させたのもまた、伊作へと向かう欲であった。
真午の微睡みにせよ、己には似つかわしくないものである、ということは雑渡自身、重々承知の上であるのだろう。
ましてや、部下にまでそう言われ呆れた顔をされる始末であるから、自覚するに難しい話ではない。
その、忍組頭、という肩書きを持つ雑渡にはおよそ『似つかわしからぬ』このような風を送ってくる人物というのが、甚兵衛も口にした、忍術学園の忍たま、善法寺伊作という少人である。

さて、とある秋の夜、というよりは、昨夜の話であった。
保健室からひょこりと顔を出し、月の様子を眺めているのは、伊作である。
ごりごりと薬草を煎じる手を止めて、外を見やってはまた薬草を煎じ、かと思えばまた手を止めて外を見やる伊作の姿というのは端から見て、お前は何をしたいのだ、と問われたとておかしくはない動作である。
しかし、夜半の保健室に閉じ籠もる物好きというのは伊作のみであるから、この保健委員長の忙しない動きを咎める者などありはしないのだが。
そんな姿を見やり、天井裏からふっと息をこぼして、笑みを浮かべたのは雑渡で、恐らく己の来訪を待ちかねているに違いない、そう感じる胸にはまた、伊作の送る温かな風が吹く。
雑渡は音も立てぬように、保健室の、伊作の真後ろに立ち、そっと、これはまたしても音を立てぬままに、伊作の身体を抱き寄せた。
はっ、となったのは伊作である。
いずれ来るよ、また来るよ、そう言いながら、雑渡の来訪というのは常から突然で、布団に入り、寝入ったばかりの伊作の顔を覗き込んでいたり、酷いときには、まだ委員会の下級生たちも散らぬ内から、息をひそめて衝立の裏に隠れていることもある。なにをしているんですか。
困ったように眉を下げ、時には、頬を膨らませて、むう、と言う伊作の姿にも、雑渡の中にかすめる感情というのは「いとおしい」のに変わりはない。
いつも突然で申し訳ないね、と告げれば伊作は笑うのだ。
申し訳ない、という言葉は、そうそう会いに来られなくてすまないね、という意味合いであって、その中に「驚かせて」という意は込められていないが、それでも伊作はゆるりと微笑むのである。
そして、それから手を伸ばし
「お待ちしていましたよ」
と、雑渡の衣の裾をくいと掴むのだ。


「ああもう伊作くん、その君の姿のどれだけ可愛らしいことか」

雑渡は言った。
そう言われ、抱き締められた伊作は顔を真っ赤に染め上げて、どこぞの娘かのように口元に手を当ててはにかむ素振りを見せている。
留三郎はふるふると身を震わせている。
なに、悲しい訳ではない。楽しい訳でもない。笑いを堪えている訳でもない。
単に怒りに震えているのだ。
「出てけ」
留三郎は言った。
鬼のような形相である。否、鬼に違いないが、常ならば、鬼、と呼ばれるのは、どちらかといえば地獄の会計委員会の長を務める文次郎であって、武闘派、と呼ばれる留三郎ではない。
ならば文次郎は、というと、鬼と呼ばれるに相応しい会計委員長は、留三郎の布団にくるまって、何やら伊作以上の頬の赤さでもって震えている。
はて、留三郎の身震いが怒りから来るものであるならば、文次郎のこれは何から来るものであろうか。
留三郎の布団の中の文次郎、といえば、今この時、確かに顔を赤らめて、それはもう、こぼれ落ちんばかりの大きな眼には、うっすら涙さえも浮かべているのは、その文次郎の身体の、肩が大きく上下に揺れている様と、何故だか半裸に近い状態であるその姿が、まさに身をもって示しているのだから、それが羞恥に悶える中での身震いだと瞬時に理解したのであれば、それ以上に茶々を入れることなど無粋であろう。
「お前らもう本当に出ていけよ」
留三郎は二度言った。
しかし、声は先程のように、怒り心頭、という訳でもなく、どちらかと言えば抑揚のない、ともすれば諦観をも含んだようにうなだれた声色に近い。

夜半の保健室が伊作にとって居城のようなものであるならば、夜半の己の部屋というのは、自然と留三郎の居城といえるに違いない。
まさしく、留三郎は伊作の居らぬ己の座敷に文次郎を呼び寄せ、耳元に口を寄せ、不意に誰かが通り過ぎようものならば、その甘さに、ぎょ、としてしまうくらいに低く、愛とやらを囁き、文次郎の腕を掴み、首を吸い上げ、さあ、ここから、という、まぐわいの最中にいたのだ。
蒸気する文次郎の頬は留三郎の熱を余すことなく伝えられ、それが如何に扇情的な態をもって留三郎の雄を刺激したかなどは、留三郎のみぞ知るところであるが、どちらにせよ、そのまぐわいが雑渡と伊作の二人によって邪魔をされた現状に変わりはない。

「出てけって、なんだいいきなり、ひどいじゃないか」

伊作の言い分も尤もらしい。

伊作は夜半の保健室で、ぼんやりとした月明かりに照らされ、薬を煎じていた。
そこにやって来たのは、やはり雑渡である。
二人は久々の再会を喜び合いながら、口を吸い合い、今にもしなだれてしまいそうな身体を支えながら、暫しの間、抱き合っていたのだが、雑渡がそうっと組み倒そうとした途端、伊作ははた、と動きを止め、なにを考えたか
『ぼくの部屋へ行きませんか』
と雑渡の手を握ったのである。
今夜仙蔵は任務に立っている。
仙蔵がいない、ということは、文次郎は一人きり。
そうであれば、留三郎が文次郎に夜這いをかけに行かぬ訳がない。
というのが、伊作の見込みであったが、さて、一体なにをどう間違えたのやら。
伊作の座敷には留三郎一人分の布団が既に敷かれていて、その上で暗中うごめく二つの人影を見やったとき、伊作はつい
『ああ、僕ってやっぱり不運』
と、力なく呟いた。
これに怒りを露にしたのが、身を震わす留三郎で、瞬時に、留三郎を蹴り飛ばし、ばふ、という音を鳴らして、布団をすっぽりとかぶってしまった文次郎を背にして
『どちらかといえば、この場合、不運なのは俺だろう』
と叫んだのである。
少なくとも向こう三軒に聞こえていたとて何等可笑しくない大きさであるが、最早巻き込まれるのは勘弁、とばかりに、それを咎めに来る者さえいないというのは、物悲しい、という言葉以上に何と言おう。
そこですかさず、宥めるように二人の間に入ったのは「まあまあまあまあ」と、包帯越しでも分かるほどににやつく雑渡であるのだから、留三郎はまったく面白くもない。
まして、『実はね』と、事の顛末を説明しはじめた雑渡の行き着く先が、前述の『ああ、もう、伊作くん』という、ともすれば聞く者を腹立たせかねぬ甘言なのだから、留三郎の怒りが昇華しきれず下火にくすぶられる思いだというのも、分からぬ話でもないだろう。伊作は笑った。
『不運ってうつってしまうのかねえ』
雑渡も笑った。
『六年も一緒にいる訳だからね』
そう笑い合って、『じゃあ、お邪魔してしまったね』と、伊作の肩を抱いて障子を閉めた雑渡は、もういっそのこと気持ちがよいくらいにいやらしい笑いを浮かべていた。

以上が昨晩の留三郎に降りかかった出来事の一部始終である。
未だ布団から身を起こさずに目を瞑り続ける留三郎は、苦々しい表情でもって己の脇腹辺りをそっと押さえた。
昨晩の出来事ののち、怒りと羞恥とでわなわなと震える文次郎から
『お前はもう、いっぺん死ね』
と、渾身の力を込めたであろう蹴りを喰らわされたのだ。
『伊作なら大丈夫だ、奴は今夜保健室から戻ってくるまい』
いくら、そう思っていた留三郎が言うたこととはいえ、文次郎からすれば、それは嘘以外の何者でもない。
だからこそ、あばらに亀裂さえ入れかねぬ足を甘んじて受け止めたのではあるが、これではあまりにも悲惨すぎる。

早朝の長屋に響くばたばたと五月蝿い足音は、恐らく今もまた不運に見舞われている伊作のものだろう。

果たして不運は感染するのか否か。
知っているのは恐らく天のみに違いない。



藤袴の藤波様の10000hit企画に「伊作不運ネタ」を雑伊か留文でリクエストさせて頂きました。
いやはや、まさか何と両カプ共絡めて頂けるとは…!
犬猿も雑伊もそれぞれ夫婦過ぎてたまらん(じゅるり)

藤波様、ありがとう御座いました!





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