後悔、先に立たず
※団蔵が五年生。



 ……嗚呼、またやってしまった。

「今日は、用具委員会の後輩達と甘味処に行って来る」
「…ふーん」
「文次郎は何して過ごすんだ?」
「別に…適当に、鍛錬でもする」
「そうか。あんまり無理すんなよ。じゃあ、またな」
「ああ」

 ここのところ留三郎は忙しいらしく、せっかくの恋人同士という関係なのに、文次郎と二人で逢う機会もない。

 別にそれは構わない。
 構わないのだが。

 ただ留三郎の場合、極端すぎて困るのだ。
 来る時はもう毎日のように文次郎の部屋や会計室に来て、何するわけでもなく、ただずっとそこにいる。
 文次郎が勉強をしたり、本を読んだりしようとすると尽く邪魔をするくせに、何をしたいと言うわけでもない。

 そして、来なくなるとこれだ。
 ぱったりとまったく寄り付きもしなくなる。
 顔だけはマメに出すし、日常的に喧嘩もするのだが、二人きりの甘い時間はほぼ無いに等しい。

 来ないなら来ないで別に構わないのだが、出来ることなら徐々に来る回数を減らして、気持ちを慣らさせて欲しい。
 最近の文次郎は留三郎と過ごす時間が長過ぎて、一人で過ごす時間の使い方を忘れてしまった。
 本を開いても一行も頭に入ってこない。
 勉強を開始しても、すぐにやる気がなくなった。
 鍛錬に出かけても良いが、日頃の睡眠不足が祟ってか、今はそういう気分にならない。
 しかも、こんな日に限って、同室の仙蔵も不在。

 ふいに部屋を見回す。

 ……俺の部屋って、こんなに広かったか?

 認めたくはないが、理由は判然としている。

 ズバリ、留三郎がいないから。

 でもまさか、今さら“今すぐ逢いたい”などと言えるはずもなく、まして自分から逢いに行くのも憚られた。
 それに、留三郎の邪魔はしたくない。
 こうなってしまっては、一人でこの部屋にいては留三郎がいないことを実感するだけだ。
 文次郎は意を決して廊下に続く襖を開けた。


 行くべき場所は、ただ一つ。


***


「………で、僕の所に来たんですか?」

 九回目の矢羽音による呼びかけで、ようやく出て来た加藤団蔵の姿に、文次郎は思わず固まった。

 明らかに、今まで寝ていましたという格好。
 ふわふわの髪の毛があちこちに跳ね上がり、何となく可愛いとすら思う。

「お前……頭………ぷっ」

 思わず噴出しながら団蔵を見ると、苦虫を噛み潰したような顔が文次郎の目に映った。

「とりあえず、中にどうぞ」

 団蔵は、未だ笑いが収まらない文次郎の肩を抱くようして自身の部屋に入る。

「もー、何で突然来るんですか!今日は虎若がいないからと思って、この時間まで朝寝坊してて……潮江先輩が来ると知っていたら、もっとちゃんとした格好でお迎えしたのに!」

 どうやら団蔵は、間抜けな寝起き姿を見られてショックを受けたようだ。
 それを軽く無視して、文次郎は団蔵のフワフワの頭に手を伸ばしながら尋ねる。

「どうすれば、こんな頭になるんだ?」

 見た目を裏切らず、団蔵の髪は柔らかくて手触りが良かった。
 団蔵は文次郎の前に胡座をかいて座り、文次郎のされるがままになっている。

「昨晩実習から帰ってきて風呂に入ったんですが、疲れていたのか、髪を乾かさないでそのまま寝ちゃったんです」
「そうか、悪い時に来てしまったな。帰ろうか?」

 文次郎は文次郎なりに、気を使ったつもりである。
 しかし、団蔵は慌てたように文次郎を見上げると、

「ここにいて下さい、僕は先輩で癒されますから」

と言った。

「……そうか?」

 とりあえず文次郎は…よく分からないが、分かったような顔をして頷いておいた。

「それで、どうしたんですか?…また食満先輩に構ってもらえないから僕の所に来たんでしょう?」

 うーん。
 少し違うような気がする。

「僕は潮江先輩にとっての暇潰しですか?」
「まさか!俺をそんな人でなしみたいに言うな」
「………じゃあ用事は?」
「特に無い。暇だから来たまでだ」
「………」

 団蔵が小さな溜息をついたが、文次郎はそれに首をかしげた後、畳の上に寝転がった。

「おい、団蔵。構えー」

 そう言った文次郎が畳の上で寝返りを打つと、団蔵の顔が目の前に現れる。
 少し驚いて上目で見上げると、団蔵は不敵な笑顔でニヤリと笑った。

「じゃあ運動しましょうか?布団の上でする運動」

 ……布団の上でする運動?

 何だろう?
 ……ああ、アレか?

 文次郎には、一つしか思い付かなかった。

「枕投げか?」

 しかし、二人でやったっておもしろくないし、下級生ならともかく、上級生の自分達がそれをやっても寒いし、何より暗いだろ。
 そう言うと、団蔵はがっくり首を折り、仰向けに寝っ転がった文次郎の肩口に顔を埋めた。

「潮江先輩のバカ、鈍感、鈍ちん、天然、ギンギン………」

 何だとっ!
 喧嘩売ってんのかっ!
 買うぞっ!

 少しムッとした文次郎が頭を上げて団蔵の顔を見ると、恨みがましい目でこちらを見ている。

「…何だよ」
「潮江先輩、好きですよ」
「俺も団蔵が好きだぞ。お前は俺の可愛い後輩だからな」

 急に言われた言葉に、文次郎はあっさりとこう返した。

「僕には言えるくせに、何で食満先輩に言わないんですか」
「その謎が解明出来たら、俺はきっと、ここにいない」
「じゃあ、一生謎のままでお願いします」

 団蔵の言葉に、文次郎は思わず噴出した。


***


「加藤、加藤、加藤団蔵!」

 けたたましい程のその声に驚き、文次郎は布団から飛び起きた。
 横を見ると、団蔵が気持ちよさそうに眠ってる。

 ……こんなうるさい中でも眠り続けるとは、忍者として鍛錬が足りんぞ、団蔵。
 いやしかし、いつでもどこでも睡眠を取り続けられるのは、逆に長所か?

 そんな事をまだ少し寝ぼけた頭で考えながら、襖を開ける。

「何だ、うるせぇな…」

 その瞬間、目の前が真っ暗になって息苦しくなった。

「文次郎!」

 状況が分からず目を白黒させてると、尚も“そいつ”は文次郎をギュウギュウと抱き締めて離さない。

「…留三郎?」

 何でここにいるんだ?
 委員会の後輩達と出掛けたはずだろう?

「………というか、何で潮江先輩が僕の所にいるって知ってるんですか…?」

 大きな欠伸をしながら、団蔵がやってきた。

「うるせぇ、加藤このヤロウ!勝手に俺の文次郎を拉致るな!」

 大人気ないことに、留三郎は本気の喧嘩腰である。

「なんですかそりゃ、許可とればオッケーなんですか?それに、今回は僕が拉致ったワケではありません。潮江先輩が、ご自分で来られたんです」

 すると、留三郎の目がどんどん大きくなっていく。
 文次郎は、自身の肩を掴む留三郎の手が震えていることに気がついた。

「まさか…文次郎……」
「ああ、俺が訪ねて来た」
「何で!何でなんだよ文次郎!」

 何でも何も、後輩の部屋に来る事の何が悪いというのか。
 しかし、これはチャンスなのかもしれない。


“だって留三郎がいなくて、寂しかったから”


 そうだ、こう言えばいいんだ!
 素直になるんだ潮江文次郎!
 言うなら今だ!
 今が言うタイミングだっ!!











「お前になんか、構ってらんねーよ」

 あ゛ぁ゛〜〜!俺のバカタレ!
 これじゃあ素直どころか、ただの嫌な奴だろ!
 留三郎泣かせる気か!

 案の定、留三郎は目に一杯の涙を溜めて、ショックを受けたように固まっていた。
 後ろでは団蔵が笑っている。
 …床を叩いて、笑っている。

「も、も、も、文次郎の……人でなしいいいいいいいい!」

 そう叫んだ留三郎が、廊下を走って行ってしまう。
 文次郎は、その後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 ……嗚呼、またやってしまった。

 そう思って項垂れると、まだ肩を震わせて笑っている団蔵が文次郎の肩に手を置いた。

「まぁ、言おうとしていた努力は買いますよ」

 そんなもん買われても、どうしろと言うのだ。

「それはそうと。潮江先輩、寝不足なんでしょう?」
「……気付いていたのか?」
「いつもより隈が濃いですからね。じゃあ、もう一眠りしますか」

 文次郎の肩を抱いた団蔵につれられ、そのまま部屋に戻る。
 そして団蔵のするがままに任せていると、横になった文次郎の上にそっと布団を掛けてくれた。
 そうなると不思議なもので、自然と瞼が降りて来る。

「…団蔵、せっかくの休日だぞ?何か予定は無いのか?」
「他の予定なんて、どうでも良いんです。僕にとって、潮江先輩が最優先ですから」

 まるで内緒話をするような、団蔵の声の色が心地よい。

 嗚呼、このまま眠れそうだ…。




 二人してウトウトしていると、廊下に繋がる襖が急に大きな音と共に開いて、文次郎はビクリと飛び上がった。

「おい、ここは去り行く恋人を追い掛けて来る場面だろ!?追いかけて来いよ!むしろ追いかけて来て下さい、って…おいコラ加藤!!」

 そう叫びながら登場した留三郎が、ズカズカと室内に入ってきて布団をひっぺがす。

「何で一つの布団で一緒に寝てるんだよ!新婚さんか!?」
「……食満先輩うるさいです、あーけまけましい…」

 不機嫌そうな声の団蔵が、剥がされた布団をひっぱって頭からかぶった。
 そうなると、隣にいる文次郎も当然布団を頭から被ることになる。

「……おやすみ…留三郎」
「おやすみじゃないだろ、文次郎!起きろっ!」

 肩を揺さぶられようが、頭をはたかれようが眠いものは眠い。
 珍しくちゃんと寝ようとしているんだから、黙って寝させてくれ。

「もんじろー……」

 留三郎の声がどんどん遠くになって行く。

「もんじ……俺………らな」

 留三郎の声を子守唄に、文次郎は完全に意識を手放した。


***


 それから、二刻程が過ぎただろうか。

 自然と目を覚ました文次郎は、自分の置かれている状況に呆然とした。




 右腕を団蔵。

 左腕を留三郎に。

 それぞれ取られた、この状況は…。









 ―――何これ…気持ち悪ッ!



 いくらなんでも、武闘派の男三人が同じ布団で寝ているこの状況は、絵的に寒過ぎる。

「団蔵……そろそろ起きた方がいいんじゃないか?」

 文次郎が右腕を軽く揺すると、その頭が小さく揺れて団蔵が顔を上げた。

「おはようございます、潮江先輩。……相変わらず可愛くて何よりです」
「寝ぼけてないでさっさと起きろ」

 団蔵は何やらブツブツと文句を言いながら、布団から這い出た。

「おいっ、留三郎。お前も起きろ」

 自由になった右腕で留三郎の肩を揺すると、寝ている留三郎がニヘラっと笑う。

「…文次郎の………」
「ん?寝言か?俺の…何だ?」
「……………………尾てい骨…」
「「………」」

 その発言に、布団を出たばかりの団蔵まで振り返って留三郎を見た。

 ………こいつは一体、何の夢を見てるんだ?

 団蔵は、ウフフ、エヘヘと笑い続ける留三郎の方へ無言で寄って来ると、その手で留三郎の鼻と口を押さえた。
 文次郎が黙って見ていると、留三郎の眉間に深い皺が寄り、顔がだんだん真っ赤になってくるのが分かる。
 最終的には手足をバタバタと動かし布団を蹴飛ばしたが、文次郎の左腕だけは離さなかった。

「殺す気かッ!!」
「…そうなっても構わないと、本気で思いました。どうですか、潮江先輩?」
「ああ、俺も一瞬殺意が沸いた」

 欠伸を噛み殺しながら部屋を出て行く団蔵の背中を睨みつけていた留三郎は、その姿が完全に見えなくなると、途端に切なげな笑顔を浮かべて文次郎を見た。

「こうやって、休みの日に逢うのは久し振りだな」

 文次郎の両手を取って、突然そんな事を言う。

「そうだな…」
「寂しかった?」

 !!!
 ここだっ!
 ここで素直に“うん”と言えばいいのだ!
 難易度は極限に低い!
 行け、行くんだ、潮江文次郎!
 “留三郎がいなくて寂しかった”などと言わなくても、ただ一言“うん”と……











「ううん」

 だぁ〜〜〜!
 緊張しすぎて“う”が一個多くなった!
 俺のバカタレッ!
 これじゃあ否定になっちゃうだろうが!

 留三郎が見る見るうちにしょんぼりした顔になっていく。

「…俺は文次郎と逢えなくて寂しかったのに……」

 いやいや、俺だって寂しかったんだって!お前が勝手に来なくなったんだろうが!

 …と、こんな事は口に出せないので、文次郎は心の中でとりあえず叫んでおく。

「あんまり文次郎にべったりだと愛想尽かされるぞ、って仙蔵が言うから、ちょっと離れてみたのに……大失敗かよ…」

 何?仙蔵が…何だって?

「なぁ、ホントに寂しくなかった?」
「………なかった!!」

 チクショウやられた!
 またもや仙蔵に良いように振り回されて!
 お前も、何でもかんでも素直に聞くな!
 一言俺に相談しろ!
 何だか、仙蔵の手のひらの上で踊らされていたようで、大変おもしろくない。
 今日だけで随分ストレスが溜まった。
 髪が抜けたらどうしてくれる!

「団蔵!鍛錬に行くぞ!付き合え!」

 留三郎を布団に残し、文次郎は部屋の外へと向かった。

「文次郎、文次郎、潮江文次郎!頼むから、お願いだから、俺がいなくて寂しかったって、俺の事が必要だって、そう言ってくれえええええええ!」

 バカタレ!
 俺は言わん!
 一生言わん!
 死んでも言わん!












 以上のように、今日も今日とて大層な虚勢を張ってしまった文次郎は、廊下に足を一歩踏み出した所で早くもこう思った。


 ……嗚呼、またやってしまった、と。


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