プロミス




「文次郎、文次郎」
「ん?留三郎か?」
「新年、あ食満しておめでとう。初詣に行こうぜ」
「……はぁ?」

 正月一日、草木も眠る丑三つ時。
 得意げな表情でその溢れるユーモアセンスを披露した食満留三郎は、不思議そうに首を傾げる潮江文次郎の仕草に、今年初の『可愛い』を口走った。


***


 外の空気は思いの外冷たくて、無意識に肩を縮めた。
 留三郎は、隣で白い息を吐き出す文次郎の右腕を掴んで、自分の左腕に絡める。

「何してんだ、甘ったれ」
「だって、寒ぃだろ」

 文次郎は、自身の腕に戯れる留三郎を半ば引き摺るようにして鳥居をくぐり、そのまま境内の方へと進んでいく。

「歩きづらい」

 ブツブツ文句を言いながらも、組んだ腕が振り解かれる事はない。
 その事実が、留三郎を上機嫌にさせた。





 拝殿まで辿り着くと、留三郎は文次郎の右腕を独占したまま軽く頭を下げ、鈴の緒に手を伸ばす。

「おい…神社では二礼二拍手一礼が基本だろうが」
「俺的に、この体勢の方が効力高いと思う」
「……この罰当たりめ」

 留三郎は懐から銭を取り出すと、賽銭箱に投げ入れ、深く二回御辞儀をした。
 その後二回、拍手を打って目を瞑る。



 ―――…いつまでも文次郎が俺を想い続けてくれますように。



 もう一度、深く御辞儀をしていると、もう良いだろ、と言った文次郎が留三郎の腕から逃れた。突然出来た隙間に、冬の空気は冷たすぎる。

「随分熱心だったな。何を願ったんだ?」
「ん?『今年も文次郎とラブラブでいられますように』とか、そんな感じ」

 文次郎は片眉を少し上げた後、「年を跨いでも馬鹿は馬鹿か」と言って、留三郎に背中を向けた。
 そして、一歩だけ踏み出した足をすぐに止めたかと思うと、

「ほら、帰るぞ」

 と、後ろ手にその手を差し伸べた。

 いつもの文次郎らしくない行動に驚き、その後姿を凝視すると、耳まで真っ赤になっている。
 留三郎は文次郎の手に飛びつくと、その冷たい指同士を絡ませて繋いだ。

 そのまま手を大きく振ると、文次郎は留三郎に引っ張られるようにして、少しだけよろめいた。

「そういえば、文次郎は願い事しないのか?」
「…だって、ここの神様、学問の神様だろ。願うことなんて、今さら無い」
「えぇ!?そうなの!?」
「あれ?知らなかったのか?」

 与えられた事実の衝撃の大きさに、留三郎はとかく立ち止まった。繋いだ手に引っ張られる形で振り返った文次郎が、留三郎の顔を覗きこむ。

「知らなかった!っつーか、来る前に教えろよ!むしろ来てからでも遅くないから教えろよ!」
「いやぁ、物凄く熱心に願ってるから、お前卒業危ないのかと。知った上でここ選んだと思ってた」

 そう言う文次郎は、あからさまに笑いを堪えている。
 お世辞でも成績優秀とまでは言い難い留三郎だが、卒業まで危うくは無い、と思う。
 留三郎は、文次郎に『阿呆』として認識されている事にも少なからずショックを受けたが、今回の問題点は、学問の神様に恋愛の願い事をしたという点だ。
 怒った神様に、とんでもない試練を課せられては困る。

「じゃあ今から恋愛専門の神様のところに行こう」
「なに?お前、俺と別れたいのか?」
「……何でそうなるんだ?」
「恋愛成就の神様の所に恋人同士で行くと別れる、ってジンクスがあるんだよ」
「マジかよ」
「…まぁ、そのジンクスが男女以外にも有効なジンクスなのかは知らないけどな」
「………」
「しかもお前、願う相手を間違ってるし」
「…分かってるよ、学問の神様に恋愛の願い事したって叶えてくれる訳…」
「違う、そうじゃ無い」
「何だよ、さっきから違う違うって!じゃあ一体…」






「留三郎が願い事をする相手は神様じゃなくて俺。俺にちゃんと言わないと、叶えてやれないだろ?」






 瞬時動きを止めた留三郎は、真っ赤な顔をしているくせに、どこまでも強気な文次郎の目を見て、今年初の『ズルい』を口走った。

 そうだ、この男はズルい。
 いつもはこちらが欲しい台詞なんて一つも吐かないくせして、時折こんな大層な言葉を紡ぐ。
 だから。

 こんなにも、夢中になってしまうじゃないか。
 どうしても、離れられないじゃないか。
 今以上に、お前を好きになってしまうじゃないか。






「そんな事は神様に願って叶えてもらうんじゃなくて、自分の努力で何とかする。自分の意志と責任で、留三郎と一緒にいるかどうかは俺が決める。だからお前も一杯考えて、一杯努力をしろ」
「……うん」
「……で、どうすんだ?」


 問いかける文次郎の声には、溢れるような自信と共に、隠しきれない不安の色が混じっていた。
 微かに震えるその声色さえ、こんなにも愛しい。




「………俺、食満留三郎は、潮江文次郎に誓います」



 留三郎は、文次郎の両手を掴み、それを合わせて包み込んだ。



「今年も、来年も、その先も、ずーっと。俺、いつまでもお前を想い続けるから。だからお前も、」






“いつまでも俺を想い続けて下さい”











 手のぬくもりだけでは物足りず、留三郎が文次郎を抱き締める。
 文次郎は真っ赤になった頬を満足そうに緩め、留三郎の耳元にこう囁いた。




“―――…その願い、叶えてやるよ”



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