紅い糸、結ぶ霜月




 早朝、留三郎が眠い目を擦りながら顔を洗うため井戸に向かうと、その途中で私服姿の文次郎が、学園の名物事務員小松田秀作と何やら言い合いをしている様子が目に飛び込んできた。

「だ〜か〜ら〜、駄目なものは駄目なんだよぉ」
「ですから、そこを何とか…」

 小松田の腕には、例の如く出門票が抱かれているから、文次郎がそれにサインをせず勝手に外出しようとして捕まったというわけではあるまい。

「おい、どうしたんだ?」

 不思議に思った留三郎が文次郎に声を掛けると、文次郎は、それが…と口を開いた。

「留三郎。お前、最近裏山に山賊が出るのは知っているか?」
「ああ」
「昨日その山賊が再び現れたらしいのだが、人数が十人程いたそうだ」
「そりゃ、結構な数だな」
「で、危険だからという理由で、現在生徒達に対する外出制限が掛かっているらしい」
「外出制限?」
「『学園の外に出る場合、六年生は最低二人以上で外出すること』」
「ちなみに、五年生は三人以上、四年生は四人以上…って感じで、人数が増えるよ」

 隣から小松田がひょこりと顔を出して付け加える。
 そこまで話を聞き、おおよその予想がついた留三郎は、文次郎に向かって笑いかけた。

「ちょっと待ってろ、着替えてくるから」
「はあ?」
「『二人以上』なら出ても良いんだろ?俺と一緒に出掛けようぜ」


***


 見事学園から一歩外に出た所で、留三郎が、どこに行くんだ?と訊くと、文次郎は、

「町」

とだけ答えた。


「町?何しに行くんだ?」
「買い物」
「何を買うんだ?」
「お前には関係ない」
「刀?」
「違う」
「委員会の備品か?」
「それも違う」
「じゃあ、甘味だろ」
「……………違う」
「ホントに?」
「…………」
「……お前、実は結構分かりやすいよなぁ」
「う、うるさい!!」

 本日の“お出掛け”の目的は、どうやら甘味の購入らしい。

「何の甘味を買うんだ?」
「砂糖菓子」
「砂糖菓子?」
「金平糖だ」
「へえ、コンペイトウか」

 文次郎の口から、珍しい南蛮菓子の名前が出た。留三郎は、食べたことが無い未知の甘味の味を想像し、楽しみだな、と目を細めた。


***


 天高く、馬肥ゆる秋。

「秋だなぁ」
「ああ、紛うこと無き秋だ」

 文次郎と留三郎は、綾錦でめかし込んだ山々を見て、感嘆の溜息をついた。


 金平糖を買ったついでに購入した団子を頬張り歩きながら、二人は夕焼けに染まる秋の絶景と、町のざわめきの名残を楽しむ。目指す学園は、もう目と鼻の先だ。
 留三郎はふと、金平糖の入った紙袋を大事そうに抱える文次郎を見ながら、

「食べないのか?」

と尋ねた。

「ん?金平糖をか?」
「ああ。せっかく行列に並んでまで買ったんだから、食べれば良いのに」
「俺が並んでいる最中、勝手に一人行動していたお前に“お裾分け”は無いぞ。第一、これは土産だから俺は食べない」
「土産?」
「ああ。会計委員の後輩にやる」
「ええええええええええええええええええええええ」
「…何だよ、その反応は。俺が後輩に何か買っちゃ駄目なのか」
「いやいや、だって!」

 留三郎は、急に慌てた様子で、早口に捲くし立てる。

「会計委員の後輩って言ったら、加藤団蔵だろ!?」
「まぁ、団蔵もいるが、左吉だって田村だって神崎だっているぞ」
「後半三人は可愛い後輩だけど、前者一名は俺にとって……まぁ、言って見れば敵なんだよ!」
「…え、そもそもお前と団蔵って接点あったの?」
「大有りだ!お前を含んで大有りだ!」
「俺?俺が何かしたか?」
「や、やめろ!首傾げるな!」

 それ可愛いから!という言葉を、すんでのところで飲み込み、留三郎は深呼吸をして己を落ち着かせた。

「変な奴。これは、先月の予算会議が終わった労いで渡すだけだぞ」
「そうかも知れないけど…」
「あーもー、面倒な奴だな。………ほれ」

 紙袋の中へおもむろに手を入れた文次郎は、その中から小袋を取り出し、留三郎の方に突き出した。

「え、もしかして俺にくれる、のか?でもさっき“お裾分け”は無しって…」
「これは、今日付いてきてくれた事に対する“お礼”だ」
「“お礼”…」
「何だよ、俺だって人並みの礼儀ぐらい持っているぞ」

 留三郎は、その小さな小さな袋に入った金平糖を受け取り、中を覗き込んだ。すると、小さくとも色鮮やかな星屑達が、甘い匂いとともにふわりと瞬く。

「……文次郎。お前、ちょっと止まれ」
「はあ?もう学園に着くのに、何でこんな所で?」
「いいから、ほら」
「?」
「それから、手ェ出して」
「何するつもりだ、このアヒル野郎」
「なにもしねぇよ、この鍛錬馬鹿」
「…ほれ」

 文次郎は、投げ遣りな様子で右手を差し出した。留三郎は自身の懐を探り何かを掴むと、文次郎の手に、自分のそれを重ねる。



「これ、お前にやる」



 文次郎が手を広げると、そこには鮮やかな紅色をした髪結い紐が一本。
 まるで今日の山々の、燃える楓のような色だと思いながら、文次郎はその髪結い紐を持ち上げる。

「…何のつもりだ?」
「“お礼のお礼”……というのは後付けで、本当は“ぷれぜんと”のつもり」
「“ぷれぜんと”?」
「さっき、町でお前が金平糖を買うために並んでる時に、別の店で買ったんだ」
「…随分、小洒落ているな。これって女物じゃないのか?」

 髪結い紐は、控えめではあるが飾りもついており、一見して男が使うようなものではない。


「そうかもしれないけど、お前に似合うと思って買った」

「え?」






「お前がこれで髪を結ったら綺麗だろうと思って、買ったんだ」








 ――…“馬鹿にしているのか”

 そう言おうとした文次郎が、その視線を髪結い紐から留三郎へと移すと、思いのほか優しげな瞳にぶつかった。



 それはまるで、慈しむような、いや、愛しむような瞳で。









「………………一応、貰っといてやる」

 耐え切れなくなって、先に眼を逸らしたのは文次郎。

 眼を逸らした先の空には、何の味もしないであろう紅い星が、一つ瞬いていた。















「…今日はお前のお陰で外出できた。感謝する、ありがとう」
「いーや、こちらこそ。金平糖、ありがたく頂きます」
「しかし、“お礼のお礼”まで貰っては、どうも割が合わないな。俺ばかり得をしているだろう、どう考えても」
「いや、あの、だからその髪結い紐は“ぷれぜんと”なんですけど…」
「ああ、そうか。良い事を思いついたぞ!」
「無視ですかそうですか、まあそうだろうな、お前だもんな」
「また二人で出掛けて、俺が“お礼のお礼のお礼”をお前に買ってやれば貸し借り無しだ!」
「え、それってもしかして…」





 “でぇと”のお誘いって奴?





 次の外出では、文次郎に“お礼のお礼のお礼のお礼”を買ってやろうと目論む、留三郎であった。


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