卯月の対峙




 乱暴に閉められた保健室の襖を見ながら、善法寺伊作は溜息をついた。それと同時に、自分の隣に座した、同室の男が小さく声を漏らすのを聞き、またもや溜息を吐く。

「留三郎、いいかげん、ウザいよ…」
「な、なんだとぉ!?」

 伊作と同室の男、六年は組の食満留三郎は、心底心外だという表情で振り向いた。

「あのねぇ、留三郎。好きな子の事苛めたくなるのは分かるけど、ここまで派手に喧嘩しなくても良いじゃない。文次郎の手当て、まだ終わってないのに」
「はぁ!?別に、あんな奴の事なんか好きじゃねーし!」

 まるで子供のような反応を見せる留三郎の顔は真っ赤で、その態度と言葉が噛み合っていない事ぐらい、容易に判断がついた。


***


「何だかんだ言って、文次郎に喧嘩を吹っかけるのは、いつも留三郎でしょ?」

 伊作は留三郎の腕を取り、右肘のかすり傷に軟膏薬を塗りこんでいく。留三郎は、ばつが悪いのか、下を向いて、唇を尖らせた。

「毎度毎度、二人して傷をこさえて。あげくの果てに保健室でも口喧嘩するなんて、酷い話だよ。少しは反省しなさい」

 手際良く傷に当て布をした伊作は、

「はい、終わり」

と言って、救急箱の蓋をゆっくりと閉めた。


***


 今日も今日とて留三郎は、六年い組、会計委員長の潮江文次郎と取っ組み合いの喧嘩をし、保健室を訪れた。今日の喧嘩は何が原因だったか。確か、壁の修繕について、文次郎に異議を唱えた事が発端だったと思う。

 しかし、それも外聞上の言い訳でしかない事を一番良く知っているのは、留三郎本人であった。
 ここ最近、文次郎の姿を見ると、どことなく落ち着かず、鼓動が早まる感覚を覚えていた。


 犬猿の仲と称される己と彼は、一年生の頃から何かにつけて喧嘩をし、自分と似た所も多いその男に、苛立ちを感じた事も多々あった。最初は、同種の苛々が再発したものと、たかを括っていたのだが、どうも様子がおかしい。

 伊作にその事を告げると、

「あぁ、留三郎。それは恋だよ。やっと 自覚したの?おめでとう」

さも当然のように、こう言い切られてしまったのである。


***


「馬鹿言うなよ、伊作!俺と文次郎は犬猿の仲だぞ?恋?そんな訳無いだろ!」
「うーん…まぁ、君がそう思うなら、それでも構わないけどね。…じゃあ、僕は文次郎のところに行って来るよ。傷の手当てをしなくちゃ」

 そう言って伊作が保健室から立ち去り、しばらくの時間が過ぎた。
 このまま此処に座していても仕方が無いので、長屋に戻ろうと、留三郎が襖に手をかけた、その時。

「…誰だ」

 未だ閉じられたままの襖の向こうから、微かに人の気配を感じ、留三郎は素早く間合いを取った。そしてしばらくの無言を挟んだのち、襖越しに現れた影が口を開く。

「五年は組の加藤団蔵と申します。食満先輩に用があって参りました」



 加藤団蔵。



 地獄の会計委員会に五年間所属し続け、文次郎に付き従う物好きな男だ。馬借の家の生まれだからか、身体能力が高く、最近では文次郎の鍛錬に同行することもあると聞いている。

 つまり加藤団蔵は、潮江文次郎が可愛がっている、数少ない後輩の一人であった。



「何の用だ?」

 襖越しに対峙した留三郎は、急な来客を怪訝に感じながら、そう問うた。

「はっきりと言わせていただきます」

 団蔵は、その凛とした声で、確かにこう言った。

「食満先輩、僕の潮江先輩に怪我をさせるのは、やめて頂けませんか?」
「………」

 僕の、とは何だ。

「食満先輩が潮江先輩の事を好いているのは、知っています。僕と同じ目をして、潮江先輩を見ていますから。…自覚しているかどうかは、定かではありませんがね」

 途端、襖が勢いよく開かれたと思うと、そこには、不敵な笑みを浮かべる馬借の男が立っているのが見えた、気がした。




「負けませんよ、食満先輩」




 誰もいない軒先に、団蔵の声が響く。その姿はとうに消え、あたりには静けさだけが残っていた。






 虚空を睨んだ留三郎は、何も言い返せなかった己に対し、只ひたすらに自問を繰り返した。


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