長月の二ツ星 五年い組の仁暁左吉の元に、四年ろ組の田村三木ヱ門が現れたのは、昼食を知らせる鐘が鳴った直後であった。 三木ヱ門によると、来月に控えた予算会議の為、会計委員会の臨時会議を開催すると、会計委員長からの御達しがあったそうだ。 「あれ、でも確か…」 その話を聞いた時、左吉には疑問に思うことがあったのだが……『あの』何でも有りの会計委員長の事だから、気にするまでも無いだろう。左吉は自らの抱いた疑問について閉口し、放課後の臨時会議に備えた。 *** 「どうした、左吉?眠いなら自室に戻れ」 まばたきの回数が増えた事を察したのか、文次郎は左吉の目を覗き込みながらこう言った。 夜半を過ぎ、随分と時間が経った。文次郎から「お前らはもう自室に戻って休め」と命じられた三木ヱ門が、既に『僕は寝ていない状態』の左門を連れて会計室を出たのが、つい先程。 本日は、左吉と同じく会計委員会の五年生である加藤団蔵が学園長のおつかいに出ている都合で、会計室には文次郎と左吉の二人だけが残っていた。 「自室に戻れって…」 左吉は、文次郎の言葉に驚きを隠せず、お言葉を返すようですが、と前置きをしてこう続けた。 「しかし、潮江先輩。まだ夜明けまでには、だいぶ時間がありますが?」 「だが、明日も授業があるだろう?」 「しかし、帳簿の整理があまり進んでいませんよ?」 「だが、予算会議は来月だ。今から徹夜するまでも無い」 「しかし、いつもなら四徹…いや、五徹は当り前なのに?」 「だが…」 「しかし…」 「だが…」 不毛な言い合いがしばし続き、お互いに少し疲れてきた頃、やっと左吉が「しかし」以外の言葉を発した。 「潮江先輩、忍務から帰ってきたばかりで疲れているのではありませんか?先程から、先輩らしくない言葉ばかりが目立つように思えます」 そうなのだ。 自分にも他人にも厳しいこの会計委員長は、平素なら帳簿の整理が終わるまで徹夜を強いるような男である。しかし、今日の委員長の態度はどうしたものか。普段なら考えられないようなこの態度には、何か理由があるに違いない。 「六年い組の先輩方は、一週間前、忍務のため某城に出かけたと聞いています。もしかして、今日帰ってきたばかりにも関わらず、無理をして帳簿をつけていらっしゃるのではありませんか?」 左吉はこの臨時会議を行うと聞かされた時、『潮江先輩は現在忍務中のはずなのに、なぜ学園内にいるのか』という疑問を抱いた。その忍務は難しいもので、少なくとも十日かかると聞いていたのだが、学園一忍者している会計委員長は、その難しい忍務を最速で片付けたに違いない。 五年間付き従ってきた先輩の、あまりに『らしくない』態度。その原因を左吉は、文次郎が無理を押してこの場にいるせいだろうと推理した。 いくら身心共に屈強なこの先輩でも、忍務明けのきつい身体は休めたいはずだ。しかし、後輩がいる手前、自分が先に音を上げる訳にはいかないと思っているのではあるまいか。そう考えれば、すべて辻褄が合う。 それならば…。 「……潮江先輩。折角ですので、お言葉に甘えて、今日は休ませて頂きます」 ここは、自分が引くべきだろう。 左吉は、敬愛する委員長のため、早々に帳簿を片付けると、それでは先に失礼します、と一礼して会計室の襖を閉めた。 *** 後輩達のいなくなった後の会計室で、文次郎は正座を崩した後、ひっそりとガッツポーズを作った。 「…おっしゃ!まさか会計委員達にまでバレないとはな……ふふふ、完璧だ!よぉし、このままいけば…」 「『このままいけば』どうなるんだ?…………俺に変装中の、食満留三郎?」 「!?」 驚いて振り向くと、大きく放たれた会計室の襖の外に、学園一忍者している男こと潮江文次郎の姿があった。 たった今忍務から帰ってきたであろう、薄汚れた忍装束の隙間から見えるその口元には不敵な笑み。しかし、目が笑っていない。むしろ血走っている。正直、これはかなりマズイ。恐らく、いや、確実に怒っている。 それを目の当たりにした会計室内の文次郎…もとい、文次郎に変装していた六年は組の食満留三郎は、引きつった笑顔を浮かべた。 「ち、違うんだ、文次郎!これには、その、深い訳が!」 「ほお?不在中を狙って、勝手に俺の変装をした挙句、後輩達まで巻き込みやがった奴が、一丁前に言い訳する気か?この俺がそんなもん聞くと思うか、このバカタレェエエエエエエエエエエエエエイ!!」 「ひ、ひいいいいいいいいい!!」 夜半過ぎの会計室に、留三郎の叫び声が木霊した。 *** 「いやぁ…しかし、災難だったね、留三郎」 翌日。 伊作は呆れと同情の気持ちを半々に持ちながら、留三郎の左手に包帯を巻いていた。 「うわぁ、こことか特に酷い傷。こりゃ文次郎、全くの手加減無しだ。相当怒ってたんだろうね」 「でも、これは名誉の負傷だからな。俺に後悔は無いぞ!」 「名誉の負傷?大体、何で文次郎の変装なんかしたのさ?」 そんな伊作の問いに、留三郎は傷だらけの腫れた頬を目一杯綻ばせた。 「俺が文次郎に変装できれば、鉢屋と不破みたいな“双忍”が出来るなと思って。そしたら、一緒の城に就職し易くなるだろ?」 「…あのね留三郎、勿論知っているとは思うけど“双忍”とは本来“二人の忍者が連携して作戦行動をすること”を指すのであって、決して変装を指す訳ではないし、むしろそこまでやっておきながら、未だに自分の気持ちを認めたがらないのは…」 不運なことに伊作の解説件恋愛講義は、会計室の方から聞こえる文次郎の「お前ら弛んどる!算盤持って外に出ろ!」という声にかき消されてしまったのである。 ←Fifty-Fifty |