雨上がりの花




 嗚呼、神様。
 俺は何か、貴方に嫌われる事でもしたのでしょうかコノヤロウ。


 雨の粒が落ちる度に、留三郎は心の中で悪態をついた。


***


「しっかし、よく降るなぁ。ね、留三郎」

 己の後ろから、同室である善法寺伊作が覗き込むように外を見てこう言ったのが、頭の裏側に反響する。

「今日は折角の秋祭りだったのにね。この雨じゃあ中止になるだろうって、下級生達が残念がっていたよ。あれ?そういえば留三郎、どこかに出かけるって言ってなかった?」

 何も言わず、沈んだ表情のまま空を睨む留三郎を見て、まさか…と眉を潜めた伊作は、留三郎の言葉を待った。

「……今日、」

 嗚呼、伊作。

「文次郎と秋祭りに行って…」

 俺の親友よ。

「一緒に花火見る約束をしてた…。なのに、」

 喜べ、しかし同室のよしみで哀れんでくれてもかまわない。

「なのに何で!何で雨が降るんだ、ちくしょおおおおおおおおお!!!」

 不運委員長と言われるお前以上に、不運な男が此処にいる。


***


 食満留三郎は、潮江文次郎に恋をしている。
 何がどうしてそうなったのか、留三郎自身にもよく分からないが、好きだと自覚してしまったのだから仕方ない。
 意中の相手を振り向かせるため、様々なアプローチを試みるのだが、これまたどうして、毎度毎度喧嘩に発展してしまい、恋仲に進展するどころか、犬猿の仲が絶賛継続中である。

 そんな中、学園から程近い町で秋祭りが行われるという事を小耳に挟んだ。そして、祭りの最後には特大の花火が打ち上げられ、夜空を彩るというのだ。
 文次郎はああ見えて祭り騒ぎが好きだし、花火もきっと喜んでくれるだろう。だが、自分が誘っても承諾してくれないのではないか。でも、でも、でも。

 三日三晩悩み続けた末、決死の覚悟で「俺と祭り見物にいかないか」と言った留三郎に、

「別にいいぞ」

と文次郎が答えたのは、祭りの一週間前の事である。

 留三郎は舞い上がり、一週間かけて秋祭りデート(?)のプランを練った。
 しかし、彼は忘れていたのである。自分達が少しでも「仲良く」すると、雨が降るという事実を。


***


「何で俺は食満留三郎で、あいつは潮江文次郎なんだ…」
「留三郎、大丈夫かい?ダメージが強すぎて、言ってることすら訳分からなくなってるよ」

 結局、花火が打ちあがる予定時間を過ぎ、それを見計らったかのように雨は止んだ。そして留三郎は、まるで自分の恋路を邪魔するかのような仕打ちに疲弊し、完全に気力を失っていた。
 一度部屋から退室し、その後戻ってきた伊作が声を掛けようとも、留三郎は枕に顔をうっ潰し、微動だにしない状態である。伊作は保健委員長として、同室として、そして何より親友として、留三郎の事を心配していた。すると、


「おい、留三郎、いるか?」

 襖の向こうから声がし、

「今から一刻後、池の東側で待つ」

その気配はすぐに消えた。そして、うっすらと笑いを浮かべる伊作の横を、布団を跳ね飛ばした留三郎が走ってすり抜けるのに、そう時間は掛からなかったのである。


***


「おう、来たか。早かったな」

 池の東側に現れた留三郎を一瞥すると、文次郎は戯れのため手に持っていたであろう亀を、池の中にそっと戻した。

「伊作が『留三郎が部屋の中に茸生やしそうな勢いでイジけてるから、どうにかして』と煩く言ってきた。…本当にお子様だな、お前。そんなに花火見るのが楽しみだったのか?」

 呆れた、という顔で文次郎が話しかけてくる。嗚呼、その表情は喧嘩開始の合図に成り得る。
 伊作め、余計な事を言いやがって。折角の秋祭りが、特大の花火が、俺の初デートが、またいつもの喧嘩に変更してしまうじゃないか。
 ああ、結局このパターンかよ、と留三郎が文次郎を仰ぎ見ると、

「ほれ、お前の分」

文次郎は留三郎に、何か細長い棒状の物を手渡してきた。

「文次郎、これ…」
「ん?花火だが?」

 さも当然、と言わんばかりの文次郎は、唖然とする留三郎を尻目に、自分の持つ花火の先に火をつけた。

「火薬委員会から貰って来た。手持ちサイズで悪いが、花火には違いないだろ?…ほお、なかなか綺麗だな」

 そう言いながら、ふわりと笑った文次郎を見て、留三郎は、自分の中に何とも言えない愛しさが込み上げてくるのを感じた。



 俺のために、花火を用意してくれたのか?

 俺がイジけていると聞いて、心配してくれたのか?

 お前も、俺と出かける事を、少しでも楽しみにしていてくれたのか?






「……?おい、どうした?」

 目の前に、少し驚いた表情の文次郎の顔がある。
 自分の感情を抑えきれなくなった留三郎は、無意識のうちに文次郎を正面から抱き締めていた。

「おーい、とめさぶろー?」

 すでに終わってしまった花火を右手に持った文次郎は、空いた左手で留三郎の背中をあやす様に軽く叩く。

「何だ何だ、ホントどうした。えらい弱ってるな。大丈夫か?」

 そう言いながらほぼ同じ目線で真っ直ぐ見詰められると、





「………口を吸いたくなっちまいそう」






 思わず本音が口をついたが、冗談だと思ったのか、文次郎は「誰がするか、このアヒル野郎め」と軽く笑った。









「ほら、折角だから持ってきた花火、全部するぞ」
「…お、おう!…って、何で焙烙火矢まであるんだよ!?」
「仙蔵が『留三郎ごと打ち上げたら良いのではないか』と言って渡してきた」
「何それ、あぶねぇ!……おっ、見ろよ俺の花火、青色だぞ」
「ん、それもなかなか綺麗だな。あ、また色が変わった」


 こうして留三郎は、花火の光に照らされる文次郎の横顔を見ながら、先程悪態をついた事も忘れて『神様』と『伊作様』に心からの感謝を捧げたのである。



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