払暁の酔いどれ




 目が覚めると強烈な頭痛に顔をしかめた。
 いや、頭痛の所為で目が覚めたといっていい。


 ―――完全な二日酔いだ………。


 重い頭を抱えて上半身を起こし、隣の布団に寝ているはずの仙蔵を見る。
 …と、そこで昨夜の失態が、確かな記憶として一気に頭の中に流れ込んできて、

「俺、仙蔵に口吸いを………」

文次郎は、思わずそう呟いた。


 困った事に、昨夜の出来事は、はっきりくっきり思い出せる。
 思いっきり、確か舌まで入れて………しかも留三郎の目の前で。
 あの焼もちやきが“あれ”をあっさり見逃してくれるとは思えないし、酔っぱらいのやることだから、と思ってくれたとは到底望めない。
 記憶がなくなってくれていた方がどれだけ良かったことか…。

 しかし、いつまでもこうしているワケにもいかず、そろそろと起き上がった。

 とりあえず、喉が乾いた。
 水が飲みたい。

 そっと目を閉じ、辺りの様子を伺うが、留三郎の気配は無い。

 一先ず安心して一歩足を踏み出したところで、背後から自身の名前を呼ばれて飛び上がった。
 声のした方を見ると、留三郎が天井裏からひょっこりと顔を出し、文次郎を見ていた。


 完全に目が据わっている。
 顔色も悪いし、目の下に自分より濃い隈を飼っている。
 これは…非常にマズイ。


「お、おはよう留三郎」

 文次郎は、留三郎とは対照的に隈が幾分薄れた顔に、にこやかな笑顔を浮かべ挨拶してみた。
 しかし、それに対する留三郎の反応は薄い。

「おはよう」

 留三郎のこの態度に心当たりのありすぎる文次郎は、留三郎の顔をまともに見ることができなかった。

「き、今日はいい天気だな。どこか買い物にでも出掛けようか?」

 後ろ暗すぎて、柄にも無い提案までしてみる。
 とりあえず、なんとかして留三郎の機嫌を治したい。

「お前、前に欲しいって言ってたヤツあっただろう?あれ買いに行こう!」
「文次郎」
「…何?」

 呼び止められて、不覚にもビクついた。
 勢いで乗り切る作戦はやはり失敗だったか……。

「文次郎」
「だから…何だよ?」

 何度も名を呼ばれ、増々恐怖心が募る。


 今日の留三郎は強気で男前。
 だが今は、ときめきに胸焦がす場面では無い。


「俺が今欲しいのは文次郎。だから買いに行く必要ないだろ、目の前にいるんだから」
「………」

 文次郎の背中を嫌な汗が伝っていった。
 留三郎は文次郎の顔を見て、唇の端だけ上げて笑う。

「お、俺は腹減ったなぁ…留三郎も何か食べるだろう?俺が作るからさ、何食べたい?」
「俺も腹は減ったけど気にしなくていい。文次郎食うから」
「………」

 俺を食っても腹いっぱいにはなりません。
 むしろ更に腹減るだろう………イヤイヤ………

 いつもなら文次郎に何か作れとせがむくせに、今日はその提案にも乗ってこない。

「………俺、先に風呂入っていい?」
「夕べ俺が文次郎を風呂に入れてやったし、どうせ後で入るんだから別にいいだろ。それとも風呂場がいいのか?」
「………」
「マニアックだな、文次郎」

 留三郎が天井裏から飛び降り、ゆっくりと文次郎の方に近づいて来た。
 一歩進むと、文次郎が一歩下がる。
 それでも留三郎は表情を変えない。

「あっ、朝だぞ留三郎!良い子達が元気に目覚めて、外を走り回る時間だぞ!」

 壁際に追い詰められて、とうとう文次郎は逃げ場を失った。

「何だ、文次郎?子供が欲しいのか?分かった、一緒に頑張ろう」

 誰もそんな事言ってねーよ!という文次郎の心の叫びに気付くはずも無い留三郎は、文次郎の腕を掴むと、そのまま布団の上へ乱暴に放り投げた。

「お、俺二日酔いで頭が痛いんだ!」

 もう留三郎を止められないという事は分かっている。
 しかし、忍者たる者、悪足掻きも大切だ。

「そんなもん、運動すれば治る」

 そう言うと、留三郎は上に着ていた忍装束を脱ぎ捨てた。
 文次郎は少しずつ、少しずつ布団の上をずり上がって逃げる。

「そ、そんな話は聞いた事が無い…」

 留三郎は文次郎の右足を掴むと、元いた位置まで引っ張って戻した。
 そして、文次郎の顔の横に手を付くと、敷布が微かに音を立てる。
 その音を聞いて、文次郎は思わず両手を胸の前で組んだ。

 …もう神頼みしかない!

「俺に祈ったって、やめねぇよ?」

 バカタレ、お前に祈ってるんじゃない!
 神とか仏とか、とにかくそういうモノに祈ってんだ!

「じゃあ、せめて手加減を………」
「しない」

 ヒ−ッ!一刀両断!?

「夜!夜まで待て!!」
「大丈夫。夜までかかるから」

 怖えぇぇぇ!

「本当に悪かった!もうしない!絶対!」
「そんなの当たり前だろ。もし今度やったら、二度と他人の前に出さねぇ」

 留三郎はそう言うと、文次郎の寝巻きの中にスルリと手を入れてきた。

「約束するから!頼む、勘弁してくれっ!!」
「約束もするけど、オシオキもする」

 そのまま、首筋に顔を埋める。
 留三郎の唇が触れた箇所がチリッ、チリッと痛んだ。

「あんな事をやったらどうなるか、しっかりと身体で憶えてもらわないとな…」

 俺、“優秀ない組”だから、身体に教えていただかなくても言えば十分分かります!

「嫉妬した俺は、ちょっと凄いぜ?」

 もう色々な意味で何が!?

 あたふたしている文次郎を後目に、留三郎は着々と手を進めていった。



←main