桜隠し ※あざの様宛て捧物 桜の花も随分と綻んで、もうすっかり暖かくなって来たと気を抜いていたのに、今日は突然真冬に戻ったかのような天気。 空は曇り、先程からは、ちらちらと牡丹雪まで降って来た。 季節外れの雪が、桜の木に薄く積もる。 まるで白粉で化粧したかのように、ふんわりとした白を纏う桜の花弁。 そんな光景が珍しくて、俺ですら何となく胸が騒ぐのだから、単純なこいつは、更に興奮しきりなんだろう。 「寒いけど綺麗だな。雪だぞ、文次郎雪だぞー!」 「…留三郎。俺は鍛練帰りだし、たった今お前の隣で同じ物見てるんだから、それは重々承知だ」 「いやお前は判ってない。少年心を判ってない」 これだから文次郎は…と何故か同い年の男に呟かれる俺は憐れだ。 でも判ってるんだ。 だって本当は凄く嬉しいから。 桜に積もる雪に、というか、滅多に見られない美しい物に出会って人知れず興奮する。 そんな少年心を俺はまだ持っているから。 「判ってないのは、留三郎だろ」 「そう?」 「じゃあ、俺が今一番言いたいこと当ててみろよ」 「……文次郎は今鍛練帰りで、ちょうど汗が引き始める頃だから……『寒いな』とか?」 「ほぉ」 「あとは『ひとっ風呂浴びたいな』とか」 「ふんふん」 「『留三郎、抱きしめて!』とか」 「……」 お約束のオチに、お約束の睨みを返してやる。 留三郎は、早速たじろいだ。 「嘘うそ、冗談…あ!待って文次郎!」 俺が留三郎を無視して廊下から部屋の中へ入ると、雪に乗った桜の花弁が一枚だけ、俺の後をついて来る。 そして風呂に入る準備をさっさと終えて、寝間着を抱えたまま後ろを振り返ると。 丁度、遅れて部屋に入ってきた留三郎と視線がかち合った。 「留三郎。俺はイチ、イチ、ハチかな」 「…はい?」 「判ってないなら、もう一回廊下からやり直せー」 「いやいやいや!ちょっと待てよ、文次郎!」 再び廊下に出る手前で呼び留められ、開けた襖に手をかけたまま注意を向ける。 「文次郎、ヒントくれー」 「…少しは考えろよ。そうだな…今の俺は、寒いって気持ちが一割」 「うん」 「それから風呂に入りたい気持ちが一割」 「うん」 「あとの八割は?」 「え?さっきの続きだろ?…『留三郎、抱きしめ』──…あ!!!」 トスン。 彼を遮って締めた襖。 外には無音の雪が降り、桜が静かに首を垂れる。 そのまま廊下を歩き出したところで、騒がしい足音が部屋の中から聞こえて来た。 「も、文次郎ッ!それってさっきの!?なぁっ!」 俺が廊下の角を曲がると同時に、留三郎はやっと襖を開けたようだった。 放心時間、長すぎだろ。 何だかおかしくて、思わず吹き出してしまう。 そんなに慌てなくとも、気持ちはイチ、イチ、ハチのまま、留三郎へと傾いているのに。 「……気付くのが遅いんだよ、バカタレ」 さて。 小さく呟いたそれは、貴方の耳に届いたのでしょうか。 それとも雪に吸い取られ、桜の花に聞かれる事となったのでしょうか。 そして風呂上がり。 俺の気持ちの残り八割が、十分過ぎる程に叶えられたという事は。 多分、雪に乗って部屋の中へと迷い込んだ、一枚の桜の花弁だけが知っている。 ←main |