よるをこえる




 最低気温がマイナスだなんて、そんな、俺に凍えろとでも言うのだろうか。
 そりゃ俺の部屋にだって暖房設備がないことはないけれど、寒いもんは寒い。
 布団にもぐって、びっちり空気を通さないようにして寝ようとしても、どうしたって寒い。
 静まり返った部屋の空気が、余計寒々しく感じられた。

 一人分の体温じゃ寒くて、極寒の冬の夜を越えられない。



***



 寒い、寒い!

 ぬくい布団を飛び出したら、外の寒さが余計身に染みて、首をすくめて身を震わせた。
 同室の仙蔵がチラリとこちらを見た気配がしたので、襖を必要最低限だけ開け、それからすぐに閉めた。
 廊下を歩くとき、真夜中なので気持ち静かに歩いたけど、古い板が軋む音は容赦なく響いて、人々の安眠なんて完全無視のように思えた。
 お目当ての部屋の前に立ち、控えめに襖の隅を叩く。

 ………出ない。

 あの野郎。
 なぜすぐに顔を出さない。
 お前の可愛い俺(日本語変だ)が、わざわざここまで来てやってんのに。
 二秒で出ろよ。
 根性が足りない。
 忍びとしての自覚も足りない。
 油断してると寝首カッ切るぞ!
 死を選ぶか!

 もう一回襖の隅を叩いて、これで出なかったら襖ごと蹴っ飛ばそうかと思っていた。
 今日、伊作がこの部屋にいない事は確認済みだ。
 部屋にはお前しかいないはずだから、襖が破壊され、寒い思いをするのはお前だけだ、ざまあみろ。

 そんな事を考えていると、緩慢な動作で布団がずれる音、次いでギシッと床が軋む音、そして襖がすーっと開いた。
 つーかお前、不用心だな。
 外確認した?


「よう」
「……………へぇ?」


 およそこの時間帯にはふさわしくない笑顔を見せてみた。
 おっと、目が半分しか開いていない。
 俺のこと見えているんだろか。
 着古した寝巻きの合わせから脛が覗いていて、ほんと、モロ寝てました、っていう感じ。


「…なんだよ?」


 なんだよ、とは随分とご挨拶じゃないか。
 いつもは、こっちが終始嫌味を吐き出しても、ちっとも堪えてません、みたいな顔して、人の部屋に上がりこんでくるくせに。
 人の部屋に縄張り作って、自分の湯呑なんか置いちゃって、俺と仙蔵より、俺の机の引き出しに何入っているのか知っている可能性すらある。
 勝手知ったる他人の部屋の極みみたいなことを平気でするくせに。
 そのくせ、人がわざわざ寒い思いしてやってくりゃあそれか。
 何だ、俺はお前の部屋に急に来るのも駄目なのか。
 お前は二十四時間常に俺の部屋や会計室に襲撃してくるのに。
 おねむの気分を邪魔されるのが嫌いなのは知ってるけどな、いい気になるなよバカタレめ。


「ぶっ」


 心の中で怒涛の毒舌を吐きながら、脱いだドテラを思いっきり顔に投げつけてやった。
 それでも反撃してくる元気はないらしく、もごもご何かを言っているのを尻目にさっさと部屋の中に突入した。

 口をでっかく開けて、「ふああ〜」と、みっともない顔であくびを連発する。


「なに、どしたんだよぉ……」


 語尾を伸ばすのはやめろ、お前がやっても可愛くない。
 そして、腹も掻くな。


「悪いけど、俺、実習明けですっごく眠い…」
「見りゃ分かる」
「今だって寝てたし」
「見りゃ分かるってば」
「夢だって最高潮にいいとこだったし」
「…………」


そりゃ、悪うござんしたね。


「……つーか、寝てていいぞお前」
「え?…何?何しにきたんだ?」


 まだ頭がぐらぐらしている留三郎に背中を向けてから、先ほど投げつけたドテラを拾う。
 それを軽く畳みながら、何でもないことのように、ポツリと呟いた。


「いっしょに寝に来た」
「あ〜……そう……、」


 間伸びした声は、それ以上続かなかった。
 留三郎は黙ったまま、考え込むように突っ立っている。

 まだ状況を理解していないらしい。
 バカめ。

 そんなバカは放っておいて、一人で奴の寝床に向かった。
 起き上がったままの形になってる布団にもぐりこむと、まだ温かい。
 勢いよく枕に顔を埋めたら、留三郎の匂いがした。





「ちょっ、ちょ、文次郎ーっ!」

 いきなりさっきとは打って変わって、でっかい声で俺のことを呼びながら、此方に駆け込んでくる。
 おいおい、うるさいな。
 足音ですら響くんだから、そんな声出したら隣室の奴に迷惑だろ。


「文次郎、なあっ!」
「うるせーな、」
「えっ、え、何、何?」


 べろっと布団をめくられて、せっかく得た温かさがすーっと抜けていく。
 奪われた布団を取り返しながら、そっぽを向いて再び寝に入る。


「いやっ、何?何て言った今!」


 必死だ、必死。
 さっきまで眠さ第一で俺のことなんか気にも留めてなかったくせに、この変貌振り。
 面白すぎるぞ、留三郎。
 単純すぎて笑えてくる。


「だーかーらー、」
「何しに来たって、」
「寝に来たんだよ」


 布団をめいっぱい引っ張る力が、ふっと止んだ。

 思い通りすぎる反応に、胸がいっぱいになりそうだよ、俺。
 なんてバカで、単純で、愛しいんだ、お前は。

 最高に気分が良いから、追い討ちをかけるように言ってやった。


「一人じゃ、寒くて寝てらんねーの」


 分かったら、早く寝ようぜ、俺の高温抱き枕さん。
 いや、それとも湯たんぽか?

 この布団も温かくて寝心地は確かにいいけれど、これだけじゃ、寒い夜を越えるのには不安が残る。
 だから、さっさと俺のために働けよ。
 そんで、一緒に朝を迎えよう。


 何の反応も見受けられないと思って、そーっと後ろを振り返ると、間抜けな顔した留三郎と目が合った。
 思わず、噴出してしまう。
 ちらっと布団の端をめくってみせて、笑みを含んだまま、わざとらしく手招きをした。


「おいで」
「…………!」


 あ、目の色変わった。


「もんじぃぃぃぃいーっ!」


 勢いよく布団の中に飛びこんで来て、見事に押しつぶされる、俺。


「ぐぎゃっ」
「うおーー、何だそれ可愛いぞクソーー!!」
「重いぞお前、自重しろ」
「うっせー筋肉達磨!」
「ほっとけ」
「もーマジ可愛い!」


 反抗する気はさらさらないので、絡んできた腕の中にすっぽり納まった。
 途中、ごそごそ動いてるヤツの所々がくすぐったくて、アッヒャッヒャと笑いが出た。
 おー、これだよこれ、滅茶苦茶あったけぇ。
 ちょっと力いっぱい過ぎる気がしないでもないけれど。


「呼んでくれればいつでも一緒に寝るのに!」
「うわっお前尻触んな、こら。っていうか、寝ろよお前」
「目ぇ覚めた、もうギンギン」
「じゃあお前起きててもいいから。俺は寝る」
「なんでここまで来て、そんな寂しいこと言うかな」
「寂しくないだろ。一緒に寝るし」
「……二人で温めあわない?」
「………ぶっ」
「なんで笑うんだよ」
「だって、超お約束なんだもんお前」
「だよな、俺、自分で言ってちょっと恥ずかしかった」
「くくく…」
「なんだよ、そんな笑うなよー」


 何から何まで思い通りで、思わず笑いが止まらない。
 お前はホントに、俺のことが好きなんだな。
 まぁ、逆も然り、なんだけど。


「おいこら文次郎、責任とれ」
「なんの」
「目ぇ覚めた」
「下半身が?ギンギンに?」
「そういうこと言うか」
「ケモノめ」


 お互いさまだろうが、と言われて、思いっきり抱き締められる。
 苦しかったし、くすぐったかったので、背中をつねってやったら、少しだけ拘束が緩んだ。

 あぁ、温かい。

 あまりの心地良さに、目を閉じる。

 そうそう、これだよ。
 これが欲しかったんだ。

 実は最近、お前がいないと満足に眠れないんだよ、俺。






 空は無駄に澄んでいて、たぶん明日も最低気温は氷点下。

 凍える夜も、お前と過ごせば寒くない。



 さて、それじゃあ早速。

 二人で夜を、越えようか。



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