小さな鈴の音にのせて




「ただいま、もんじ!」
「ぎん?」

リビングのドアを開けると、もんじの驚いた顔。
にっこり笑いかけながら、汗で湿ってしまった紙袋をもんじに渡す。

「何だこれ?」
「ん、開けてみてくれるか?」

急かす俺に首をかしげながら、もんじがビリビリと袋を破る。

…まあ、猫だしな。

テープを剥がして開ける…なんていう考えはないに決まってるんだろうけど。



「あ、」

袋から出てきた一冊の本を手にして、もんじの顔が驚きから、満面の笑顔に変わった。

「とめさぶろう、ありがとう!」

もんじはその『ひらがなれんしゅうちょう』を胸に抱いて、大きな声でお礼を言う。

幼稚園の子供用に作られた、ひらがなドリル。
俺が初めて、もんじにあげたプレゼント。

こんなのであんな笑顔が見せてくれるのなら、何冊だって買ってあげるのに。

さっそくドリル開き、鉛筆を手にしたもんじの隣に座わり、抱いた疑問をぶつけてみる。

「もんじ、文字覚えたいのか?」
「おぼえたい」
「何で?」
「……………」

もんじの返事はない。

「何で文字、覚えたいんだ?」

もう一度。
ゆっくりとした口調で聞いてみると、もんじは息を吸って重い口を開いた。






「…人間に、なりたいから…―」






鉛筆の芯が、ポキっと音を立てて折れる。

「人間に?」

そういえば。
もんじがなぜこんな姿をしているのか…なんて。
今まで聞いたことなかったな。

「おれ、前のごしゅじんさまの時はふつうの猫だったんだよ」
「へ!?」

結構可愛い猫だったんだぞ?と、もんじは茶化したように笑う。
だけど、俺はちっとも笑えなかった。

「だけど捨てられちゃって。…町の中うろついて、気が付いたらこんな姿になってた」
「………」

捨てられた?
脱走してきた…わけじゃなくて?

考えてもいなかった事実に、一瞬呆然となる。

「でもこんな姿、ちゅーとはんぱだろ?だから早く人間になりたいんだ、おれ」

まあ、確かに。
しっぽと耳が生えた人間なんて見たことないけれど。
可愛いからいいんじゃね?…という言葉は、寸でのところで飲み込んだ。

何言ってんだか、俺は。

「何で…人間になりたいんだ?」

聞いてはいけないような気がしたけれど。
どうしても気になって、震えた声で言葉を紡いだ。



「だって人間になったら、だれもおれのこと捨てないだろ?」



にこっと笑って。

別の鉛筆を取り出し、もんじは再びノートに文字を書く。

何度も何度も。

それは左右逆だったり、バランスが全然取れてなかったりするけれど。



「…もんじ…っ」
「なんだ?」

キュ、っと。

自分より一回り小さな身体を、後ろから抱きしめる。

「とめさぶろう、これじゃあ字が書けない」

…あとで、日曜のデートは断ろう。
今は、出来るだけもんじと一緒にいてあげたい。

二度と、もんじが寂しいと思わなくて済むように。


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