小さな鈴の音にのせて




「ただいまー」

今日が終わろうとしている…そんな時間。
仕事を終えて、ヘトヘトになって帰宅した俺を待っているもの。

「おかえり、とめさぶろうっ」

チリン。

と鈴の音と共に洗面所から顔を出す「猫」の姿に、思わず溢れる笑顔。

ホント動物って癒されるよな、と自分に言い聞かせてみたり。

「ただいま、もんじ。いい子にしてたか?」
「んー…まあ…」

煮えきれない返事。
理由はいつものことなので、すぐに分かった。

「…むぅ……」

後ろめたいのか、ちょこちょことついてくるもんじの姿がものすごく可愛らしい。
正直、にやける顔が抑えきれない。



もんじは正真正銘の「猫」。

名前は潮江文次郎。
「潮江」は前のご主人様の名字で「文次郎」は俺がつけた名前。

特徴は、茶色のブチ模様をした耳としっぽ。
首に結ばれた鈴付きの緑色のリボン。

そして、人間と変わらない、何と無く愛敬のある顔。
中学生くらいの人間と同じような身体つき。

あと、少しおかしなところもあるけれど、ちゃんとした人間語を使う。

それでもれっきとした「猫」。

どう見ても耳としっぽ以外は人間なんだけれど、もんじは自分が「猫」だと言い張るので、多分「猫」なんだと思う。



「…まあ、別にどっちでも構わないけどな」
「ぎん?」

首を傾げるもんじの頭をグリグリと撫でて、リビングのドアを開ける。

「あー……」

想像以上の光景。
さっきの煮えきれない返事にも、思わず納得。

「もんじ…」
「あ、後で片付けようと思ったんだ!」

聞いてもない言い訳をしどろもどろ並べるもんじをジロッと睨む。

「…思ったんだけど」

ボソボソとそんなことを呟きながら俺の後ろに隠れるもんじ。
ご自慢の耳はすっかり垂れてしまっている。
そこまで反省するくせに、どうして片付けられないんだろうと、いつも思うのだが。

「はあ……言い訳は後で聞くから。とりあえず片付けるぞ?」
「おう!」

戦力になりそうにない、だけど無駄に元気なもんじの返事を聞いて、部屋中に広がるゴミを一つ一つ確かめながら袋の中に入れていく。


お菓子の袋と菓子クズ。

ジュースの空き缶。

箱から無意味に引き出されたティッシュ。

そして、

「…あれ?」

ところどころに転がる丸められた落書き帳。

広げてみると、大きく書かれた「う」の文字。

…「う」だよな?

文字の向きが左右逆だけど。

「もんじ、字の練習してたのか?」

片付けに飽きてジュースの空き缶を積んで遊んでいたもんじが、俺の手にある紙を見て目を丸くした。
そして、途端真っ赤になる頬。

「見んなバカタレ!!」

引ったくられるように、紙を取られて唖然としてしまった。もんじはしっぽの毛を逆立てて、完全に威嚇体制。

…何だそれ。

少しムカついて大げさにため息をつくと、まるで合わせたかのようにポケットの携帯が鳴った。

携帯の画面に表示されているのは、最近登録した女の子の名前。
この間の合コンで知り合った可愛い子。
電話番号の交換を頼まれて、二つ返事でOKした。
意外に脈アリ?かもしれない。

…そういえばあの合コンの帰りに、もんじを拾ったんだよな。

「もんじ、ちょっと電話するから静かにしてろよ」
「おー」

念を押してから通話ボタンを押すと、電話の向こうから響く明るくて可愛い声。
やっぱいいなあ…すごく可愛くて癒される。

「〜♪」

もんじはご機嫌に鼻歌なんかを歌いながら、再びジュースの空き缶を積んでいる。

おいおいおい。

そんなに高く積み上げて大丈夫か?
倒れて大きな音を立てたら、また俺に怒られるぞ?

『聞いてる?食満くん』

…しまった。

もんじの行動に気を取られてて、電話のことすっかり忘れてた。

「き…聞いてるよ」
『うそー。上の空だった!』

ゴメンナサイ。
当たりです。

「いや…ちょっとペットがいたずらしてて…」

…間違ってないよな?

『ペット飼ってるの?何?』
「ん?猫なんだけど…」
『猫かあ…私苦手なんだー。犬のほうが可愛くない?』

これには、ちょっとムカついた。
犬も確かに可愛いが、猫だって可愛いじゃないか!
まあ、もんじは猫であって猫じゃないかもしれないけどな。

『あ、ごめんね。気悪くしたかな?』

だけどしっかりフォローも入れられるあたり、やっぱイイ子かも。



結局30分程話しこんで。

デートの約束なんかを取り付けて、結局電話を切った時にはすでに12時を回っていた。
もんじは寝床であるソファで、眠そうに目をこすっている。

「悪い悪い、長くなっちゃったな」

まあ、片付けは明日すればいいか。
どうせ俺もすぐに寝るんだし。

「…おい、とめさぶろー」
「ん?どうした?」

いつもより間延びした声で呼ばれて、ソファの傍に座る。

……随分と眠そうな顔してるな。

「今、話してたのだれだ?」
「え?」
「かのじょ?」

不安げな顔をするもんじの頭を撫でると、イヤイヤと首を振って拒絶された。

…どうしたんだろうか?

さっきまでご機嫌だったのに。

「もんじ?」
「なんでもない」

チリン。

もんじがそっぽを向くと同時に響く鈴の音。

……。

………そういえば。

この鈴は前のご主人様につけてもらったんだ、って言ってたな。
未だ外そうとしないところを見ると、やっぱり前のご主人様に未練があるのだろうか?
そんな風に、勘ぐってしまう。

…って、おいおい。
俺は猫相手に、何を考えているんだ。

「そうか?じゃあ俺風呂入ってくるぞ?」

完全に機嫌を損ねてしまったもんじに、ため息混じりにそう告げて、散らかったままのリビングを後にする。







「どーせ…とめさぶろうだって、おれのこと捨てるんだろ…」





小さなもんじの呟きは、ドアの閉まる音にかき消されて、俺の耳に届くことはなかった。


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