急げ、明日になる前に




会計室で一人帳簿を整理しているうちに、日付が変わっていたことに気付いた。
“昨日”から“今日”になって、既に四半刻が過ぎている。

え、俺ってもう十五歳?

少し吃驚した。
だからって何が変わるわけでもないんだけど。
既に十五年の月日を生きて来たことに少しだけ感慨を覚えたり、相変わらず帳簿を付け続けている自分に呆れてみたり。
俺、一年の時から何も変わっちゃいないな。
何だかおかしく思えて、自然に笑いがこみ上げてきた。

…それにしても。

てっきり来ると思ってたあのバカが姿を見せないってのはどうしたことだろう?
わざわざ仙蔵に頼んで別の部屋に寝てもらって(だが残念ながら俺は会計室にいる、ざまあみろ)、こそこそプレゼント用意して(バレバレなんだけどな)、そのくせなぜか学園に現れた“クセモノ”を追いかけて学園を飛び出していってしまって(俺はその時風呂に入っていた…ちょっと悔しい)。
今ごろまだ“クセモノ”と対峙しているのだろうか?
いや、だがそれにしても時間が長すぎる…じゃあ、一体何してるんだ?

「…別に来なくたっていいけど」

思わず口に出して顔が熱くなる。
我ながら、そんなに良くもない口振りじゃないか?
まるで拗ねているみたいな…。

「…今日はもう寝るか…」

これ以上考えるのは止めて、とりあえず廊下へ。
そう思い会計室の襖を開けると、ガコン、と変な手応えがあった。

「何…うわっ!!?」

心臓止まるかと思った。
襖の前にうずくまる物体。
どんより暗い影。
それがもぞりと動いた。
そして、喋った。

「も…もんじろ……」
「オマ…留三郎!?何やってんだ!?」

見上げてきた瞳は溢れんばかりの涙でいっぱいだった。
唇がわなわなと震えて、への字に歪んだ。

「“クセモノ”に遊ばれて…伊作が邪魔して…でも大丈夫だと思ったら、あ、綾部が『最高傑作です』って自慢してた超ド級の穴に〜〜〜〜っ」
「………落ちたのか?」
「落ちたああああああああああああ!」

泥だらけの顔を拭きもせず、オイオイと泣き出す俺の恋人。
恥も外聞もなく大泣きするその姿に少しだけ羨望、かなりの眩暈。
長屋から離れているとはいえ、廊下に響き渡る男の泣き声に誰かが気付くのは時間の問題か。

「…分かった。分かったから、中に入れ」

尚も泣き叫ぶ留三郎を無理矢理立ち上がらせて。
会計室の中に引き摺り込んだ。
 
 

***


 
「…裏山からの下り坂で物凄く加速が付いてさ…“食満選手、今なら音速越え!”って感じだったんだよ…もうメダル狙えるくらい…」

…相変わらず中ニ病こじらせてるな、おい。

「よおし、このまま突っ走るぞーって地面を蹴って…そしたら目の前に綾部渾身の力作・スーパートシちゃんが…って、ちょっと聞いてんのかよ!?」

欠伸を見咎められて怒られた。
俺は仕方なく頷いた。
どちらかといえば、留三郎の話を聞くよりは眠りたい。

「絶対に…絶対に昨日の内にここに着きたかったのに…みんな揃いも揃って、俺を四半刻も遅刻させて…」
「別に構わないだろ?四半刻ぐらい遅れたからって」

とたんに留三郎の顔色が変わった。

「良くない!全然良くないんだ!」
「俺は気にしてないのに」
「気にするとかの問題じゃなくって!俺が言いたいのは、失われた十四歳の責任は誰が取ってくれんのかってことだよ!!」

はあ?
また訳分からないこと言い出したぞ、コイツ…。

「あああ、畜生!」

留三郎は頭を掻き毟った。

「最後だったのに…十四歳の文次郎は二度と戻らないのに…」
「何が言いたいんだ?」
「だから、日付が変わる前に!」
「前に?」
「十四歳のお前を!」
「俺を?」
「思う存分抱くはずだったんだよぉ―――っ!!」

!!!

「…っ、俺に“抱く”とか使うな、このバカタレ!」

思わずカッとなって叫んだら、又も留三郎の口元がへの字に歪んだ。

「う…」
「な、泣くなって!」
「十五歳の文次郎には分からないんだ…」
「誰にも分かんないだろ、お前の言うことなんて」
「十四歳の文次郎はもっと素直だった」
「や、錯覚だろ」
「こうして勝負褌まで穿いて来たのに…」
「見せなくていいから」

留三郎は立ち上がり、虚空に向かって叫んだ。


「俺の…俺の初々しい十四歳の文次郎を返せよぉぉ!」


………鳴呼、何と愛すべきバカ。



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