愛しい貴方に、愛の花束を。




次の日。

疲れ切った一日を終えて今、トボトボと駅を出て家までの道を歩いている。
今朝はいつもより早く家を出たせいで、花屋は誰もいなくて真っ暗だった。
それを見て出るのは、ため息。

それは腑甲斐ない昨日の自分を思ったのと、単純にあの人の姿を見れなかった為だ。
帰る時間に店はいつも閉店してるから、今日はもう会えないって事だし。
本当は今すぐにでもリベンジしたいのに。

「……会いたいなぁ…」

背中を丸めて花屋の前を通り過ぎようとして、気がついた。

いつもは真っ暗な筈の店には明かりが灯り、中には…

「あっ」

俺の恋しいあの人がいた。

その姿を見た途端、勝手に店へ向かう俺の足。
そして勝手にドアを開ける俺の手。

あの人は俺を見て(正確には足元をチラと見ただけで)あしらうようにこう言った。


「すみません、閉店しましたー」

いやいや、こっち見て言えよ。

「あのっ、ごめんなさい…でも少しだけ、いいですか?」

帰ろうとしない客(つまり俺)に向けられた瞳が一瞬丸くなる。

「あっ!!」
「えっ!?」

いきなり指さされたもんだから、情け無いことにビクリと後退りしてしまった。

「お前、昨日の……何だ?花買いたいのか?」
「はい、あの、いいですか?」

つうか普通は花屋に来たら花買いたいって事だろ?(俺はあなたに会いたくて来たんだけど)

「仕方ないな。でも明かりは少し落とすからな。他の客まで迷い込んだら面倒だ」

そう言って店の入り口付近の明かりを消した。

「…なんか昨日と態度がだいぶ違わないですか?」

よく言えばフレンドリー、悪く言えば…横柄?

「だってお前、今日はすでに閉店してるんだぞ?お前はすでに客であって、客ではない」

…はぁ、左様ですか。

「オンとオフがはっきりしてるんですね」

昨日から俺のイメージを次々と壊していく、そんなアナタが大好きですけど。

「それ誉め言葉か?まぁいいや。まだ仕事してるから花見てても良いぞ」

そう言いながら、彼はファイルやらノートやらを並べだした。


「はい、じゃあ見てます」

邪魔にならないようにして花たちを眺める。

すごい。
当たり前なんだけど色々な花がたくさんだ。

端から順に見ていたら、ある花に心が惹かれて立ち止まる。


真っ白で可愛い花。

シンプルだけれども凛としたその姿には、真っ直ぐな芯の強さがあるように見えた。

だけどそのくせ、どこか優しい感じがする。


「これだ…」

思わず呟いたら、いつのまにか俺の後ろにいた彼がヒョイと花を覗き込んできた。

「へぇ、お前の好きな人ってこんな?」

「はい。すごく似合う」

嬉しくなって笑ったら、彼も笑って器用に花を束ねだした。
その無駄ない手の動きに感動を覚える。

「花束、どのくらいの大きさがいい?」

「そうだなぁ…。あまり大きくないほうがいいです。なんか、そんな気がする」

「ああ、俺もこの花はこれぐらいがいいとは思う。お前、いいセンスしてるぞ」

バラ百本なんて言われたらどうしようかと思ったけどな、なんて意地悪な目をして束ねた花を包装台へと持っていくから後をついていく。

「じゃあ、包装紙とリボンの色は?」

「えーと、落ち着いた色がいいです。ピンクにしようものなら受け取ってもらえない気がするんで」

「そうか。…ならこのへんはどうだ?」

取り出されたのは、新緑の色よりも深い、なんとも言えない素敵な色で。

「それっ、いいです!すごくいい!もう最高!」

あまりにも嬉しくて褒めまくったら、彼が少し照れたように俯いて笑った。

こんな顔するんだ…。

「あの」

「ん?」

俺の声に、包装紙を花に合わせてカットしている彼の手が一瞬止まる。

「俺…あの、食満留三郎っていいます」

そして彼は顔を上げて大きな瞳を瞬かせた。

その目にジッと見つめられるだけで、心臓が早鐘のように高鳴る。

「えーと…どうも、潮江文次郎です」

ふぅん。潮江文次郎っていうのか、名前……

「名前…?うへっ?え、」

「“うへっ”ってお前。自分から名乗っといてそりゃないだろ?」

確かに自分から名乗っておいてなんだけど、

「潮江…さん」

どうしよう、名前が分かってしまった。

「変なヤツ」

俺の気持ちなんてお構いなしに(当たり前だけど)潮江さんの手がまた動きだす。

魔法のような手で形作られていく花束。

「…俺、こういうのよく分からないけど、でもあなたの作る花束好きです」

「そうか?…なんか照れるな、面と向かって言われると」

潮江さんは本当に恥ずかしいらしく、耳をほんのり赤く染めた。

俺は幸せな気分でそんな潮江さんを見つめる。

…このまま、時間が止まればいいのに。


「なぁ」

「あ、はいっ」

いけない。
つい見とれてしまった。

「食満サンがこれあげる人って、どこで知り合ったんだ?」

「えぇと、知り合ったっていうか毎朝通る道にあるお店で働いてる人で…見てるうちに好きになってたんです。なんか気付いた時には恋してたって感じで」

自分で言っておいて、これは相当恥ずかしい。

「じゃあ話した事もないのか?」

「はい、あっ!もう話をする事は出来ました。名前も分かったし」

まさに、今。

「少ししか話せてないけど確信しました。好きだって。……おかしいですか?」

「いや、おかしくないと思うぞ。まぁ会って間もない俺が言うのもなんだけど…お前に好きになられた子は幸せなんじゃないか?」

「ほっ、本当に!?」

「え?ああ、俺はそう思うぞ」

言いながら花束を結んだリボンをパチンと切る。
一瞬だけ静まった店内に潮江さんの言葉が続いた。


「だってお前と話すの楽しいし…なんか落ち着く」


うっ。

やられた。

どうしよう。
やっぱり俺、潮江さんの事が好きだ。

俺はもう潮江さんから目が離せなくて、そのくせ言葉が出てこなくて。

本当はいっぱい話したい事あるはずなのに。

あぁ、“想い”ばかりが膨らんでいく一方だ。


「この花、マーガレットっていうんだけど」


突然潮江さんがポソリと呟くから慌てて顔をあげた。

「えっ?」

「お前、これの花言葉知ってるか?」

花言葉…。

「すみません、知らなくて…。どんな花言葉なんですか?」

首を傾げる俺に潮江さんは花束を差出しながら優しく笑って言った。

「“心に秘めた愛”だよ。あとは“誠実”とか。…何となく、お前に似合うなと思って」

ほら、なんて腕の中に渡された花束を俺は見つめる。

その花束は本当に綺麗で。

この気持ちを隠し続けるなんて無理だと。

なぜだかすごく、そう思った。




「…始めは話せるだけで幸せだと思いました」

「ん?あぁ、うん」

「でも話したら、笑顔を見たら…もっと知りたくて、俺の事も知ってほしくて」

だからお願い。

どうか受け取って。

「…食満サン?」

今渡されたばかりの花束を差出す。
そして真っすぐにその目を見つめた。

「あなたの事を考えて、この花を選びました」

「え?」

「好きです。潮江さんの事が、好きなんです」




空には月が出てるのだろうか。
いつか二人で月の輝く夜空を見上げる日が来るのだろうか。

潮江さんの揺れるまつげを見ながら何故だか俺は、そんな事を考えていた。


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