限りなう心を尽くし聞こゆる人 ※藤袴の藤波様から頂物 ※年齢操作・四年次 「知ってるか」 問うたのは、小平太である。 夏の陽射しが渇いた土に注ぎ、時折細く吹く風が花を踊らせ、木々を飾る瑞々しい葉を心地よい音を鳴らし揺らしている。 文次郎は鍛練に濡れた肌を上衣の裾で拭うと、真ん丸く黒黒とした眼を小平太へと向けた。 「なにをだ」 そうして、首をうち傾けたのち、木の幹に背を預けるようにしてもたれる小平太に寄り、耳を傾けた。 「留三郎がお前のことを好きだって」 文次郎に負けじと大きな眼を見開いた小平太が、何喰わぬ顔で言った。 文次郎は頬を赤らめもせず小平太を見ると、眉を寄せ、呆れたように、何が言いたいのだ、と嘆息混じりに問い返した。 「おお、とうとう照れもしなくなった」 小平太が囃し立てるように言った。 「近頃じゃ、おれと二人になるとどいつもこいつもそんな話ばかりだ」 文次郎の額の汗はこめかみを伝い、頤を流れると、土の上に落ちた。 「いやなのか」 「なにが」 「この話をされるのが」 「忍とも、」あろうものが、と続くはずであった文次郎のことばの先は、小平太の噛み殺したような笑いに掻き消された。 「おい、小平太」 咎めるような声は、文次郎のものである。 「ごめん、ごめん」 悪びれぬ口振りは小平太のものだ。 「で、忍ともあろうものがなに」 そのうえ、この物言いである。 文次郎はむ、と唇を突き出すと、うなじの辺りを掻いて、 「なんでもない」 そう言うて、腰をおろした。 「留三郎が好きか」 「まだ言うか」 「好きなんだろう」 「やかましいわ」 「好きなくせに」 小平太の眼が文次郎の眼を捕らえ、その互いに真ん丸い様を見やりて、どちらともなく視線を逸らした。 「なんだかこっぱずかしいな」 笑うたのは小平太である。文次郎は不機嫌そうに顔を背けたまま、身じろぎもしない。 「好いた腫れたは野暮ったいか」 「そういうわけではない」 「三禁か」 「三禁の意味ぐらい、理解している」 「わたしには想いは通じ合っているように見えるよ」 背けられた文次郎の顔を覗き込み、不思議そうな態で小平太が言うたのは、いっとう的を射ることばに違いない。 文次郎は、その小平太のことばに本心をえぐられたと見え、ならばそれ以上返すことも出来ぬとばかりに、ばつの悪そうな面持ちで天を仰いだ。 「言ってやればいいのに」 呆れた様子で小平太が言う。 ふん、と荒く息を吐き出したのは文次郎である。 「好きだって伝えてやれよ」 「今日のおまえはやけにあいつの肩を持つのだな」 「そういうわけじゃないけどさ」 べ、と出された小平太の舌は犬のもののようであった。 「あまりにも報われないだろう」 食満がか、と問いたい気持ちを抑え、文次郎の喉元がひゅう、と鳴った。 「忍びに報われるも報われないも、」 「まだ忍びじゃあないよ」 「たまごだろうが」 「そう、まだたまごだ」 ころころと笑う小平太を見、文次郎の眉が更に寄せられた。 「支え合えばいいじゃないか、あいつとお前なら出来るさ」 文次郎の機嫌なんぞ、おのれの気にやるところではないのだろう。 小平太はそう言うと、文次郎の手を掴み、 「わたしだってひとのことに口を出してる暇があるわけじゃない」 眼を覗き込んで、両の手を握り込んだ。 「けどね、お前たちは、……何て言うのかな、やきもき、んん、見ているこっちが焦れったくなるんだ」 「それこそ放っておいてくれた方が幾分楽なのだが……」 「放っておけないほどに焦れったいのはお前たちじゃないか」 文次郎が、むうと唸った。 「一言言えばいいんだよ、」 「なんて」 「悩むほどのことでもない、好きだ、って」 「おい、おれはあいつが好きだなどと一度も口にはしておらんぞ」 「だから、そんなの見てれば分かるって」と大袈裟にかぶりを振ってうなだれた小平太に、 「無理だ」 文次郎は一言そう告げた。 「どうしてもか」 幾分神妙な面持ちで小平太が訊ねた。 こくり、とうなずいた文次郎からは、 「荷は少ないにこしたことはない」 いっとう低い声が飛び出し、なれど、儚い文言は、夏の風に消え入るようであった。 「知っているか」 問うたのは、長次である。 風の少ない日だ。さんさんと注がれる夏の陽射しを避けるべく、縁側に寝そべっていた食満は上体を起こすと、 「なにを」 剥いた肌をあらわに長次の眼をまじまじと見た。長次の手には、恐らく、新しく取り寄せたのであろう書物が、山のように積み重なっている。 「すげえ量、」 「ああ、」 「それ、全部読むのか」 「ああ、」 うへえ、と食満が両の手を上げた。 「で、なに」 ん、と長次が腰をおろした。 「文次郎のことだ」 食満の肩が、ぴくりと跳ねた。 「なに、」 長次の吐いた息が、巻物の紐を揺らした。 「文次郎は、……お前を好いている」 湿った風が吹き抜け、長次の前髪をさらさらと流した。 食満は揺れる長次のその毛先をぼんやりと見つめ、は、と自嘲をこぼした。 「知ってる」 「知っていたか」 食満は前を向き、少しばかり先にある、太く大きな、生命力をみなぎらせている木の、揺れる葉を見ている。 同じように、長次も、食満の方を向かずに、けれど、視線は食満と同じものを捕らえているのであろう、眼の奥に揺れる葉は、忙しなく風に揺らされていた。 「気付かないわけもないさ」 食満ががしがしと頭を掻いた。 常であらばそこを覆う装束と同じ色の頭巾は、今は座した食満の横ほどに、きちんと畳まれ置かれていた。 「だけど、あいつは俺とそうなることをよしとしないんだ」 長次がゆっくりと頷いた。 「俺のことを好きなはずなのに」 そしてこのことばを聞くなり、ふ、と笑うた。 「おい、」 咎める声は食満のものである。肩を叩かれた長次は、すまんと小さく謝ると、 「文次郎も、お前のようにいられたらいいのにな」 困ったように、眼を細めた。 「いいんだ、俺はあれを好いてるんだから」 長次の細められた眼が、次にはそのまま食満に向けられた。 あれ、とは恐らく文次郎を指し、それと同時にあの不器用な、頭の固い、頑なな中身ごとすべてを指しているのだろう。 これほどに愛されているのだ、早いところ文次郎も素直になった方がいいのではないか。 「中々くっつかんなあ」 今朝方の小平太のことばである。 言うにも及ばず、食満は文次郎を好いている。傍目からは分からぬやも知れぬが、文次郎とて食満を好いていると見て違いない。 好いているには違いないが、長次にはくっつく、という意味が中々に解せぬものであった。 恐らく、恋仲として認めあう意味合いを込めて使ったことばであろう。 なれど、二人とも男なのだ。婚姻は結べぬし、例えどちらに注いだとて子種は宿さぬ。更には、ここは忍術学園という、忍を育成する場所に他ならぬ。 ここを出たとて忍にならぬ者もいようが、長次の知る限り、文次郎は忍への道を渇望していた。 ならば、想いが通じ合うたとて、卒業後にそのまま二人が歩幅を、歩みを、道を、生活を共にしようなどとは夢物語としか言えぬ。 長次は食満の横顔を覗いた。 額が、すうと通った鼻筋が、整った頤が、陽の光を受け入れ、この頃めきめきと男らしくなってきた顔つきと、逞しくなってきた身体を照らしているかのようである。 「待てるのか」 長次が問うた。 「どうかな」 食満が笑い、片目を細めてまさなごとのように言った。 その他に問うことはないのだ。ましてや、食満の気持ちというものがこれほどにまっすぐなものであるのなら、おのれに言うことはもうない。 長次は隣に退けておいた書物をすくい上げるように腕の中に抱き込むと、 「もう行くぞ」 そう言うて、食満の隣を離れた。 「ああ」 食満もそれ以上、ことばを紡がぬ。 眺める木は、自分たちがこの学園に入学したその年に植えられたものだった。 夕刻に空が曇り出した。 鍛練中の文次郎の湿った肌が、突如おのが眼に飛び込んできた食満の姿に、にわかに冷えていくようだった。 鍛練を終え、夕餉を摂りに学園に戻ろうとした時分である。 「文次郎、」 そう言うて駆けてくる食満の姿は曇天の下でもなお、眩しく感じられた。 「けま、」 文次郎が紡げたのは、この一言のみである。名を呼ぶだけで胸が詰まってしまいそうになるおのれに、自嘲と切なさとが込み上げた。 「いまから戻るのか」 食満の問いに、文次郎は頷いた。 隣を歩く食満の息遣いさえもが、おのれを包み込んでいるようである。 好きだと伝えられたのはいつであったか。 覚えてもおらぬそれは、喧嘩の最中であったやも知れぬし、喧嘩を終えたあとのまどろみの中であったやも知れぬ。 食満の目はしかとおのれを見つめ、形のよい唇から割って出た好きだということばは随分甘く、おのれの耳を震わせた。 おれも、と言えたならどれだけ良かったことだろう。おれも、て言うておのれを抱き込む食満に腕を回せたら、と幾度思うたか知れぬ。 さりとて、それに至ることのないのは、まったくすべて、おのれの心持ちによるものであるということに、文次郎はとうに気づいていた。 食満の手はいつでも文次郎に向けられていた。熱を孕む眼で見つめられるのも度々である。 不意に口を吸われそうになり拒んだこともあれば、拒み切れずに貪られたこともある。 否、拒み切れずにとは言い訳に他ならぬ。 拒めば拒めるものを、なれど、拒みきれずに受け入れたのは、他の誰でもない、文次郎自身であった。 好きだと言えれば楽であろう。あの腕も、眼もまったくすべてがおのれのものになるのだ。 おのれのものに、と考え文次郎はかぶりを振った。 食満は食満自身のものである。頭の頂から足の爪先まで、あれは間違いなく食満のものなのだ。 とはいえ、食満ものであると同時に、おのれのものになるのだとも思った。 不毛な考えが頭を巡るのは、もうそれだけこの男に心を奪われているのだと認めてしまうに等しい。 「文次郎、」 雲の切れ間から射す光に、食満の身体が柔らかく照らされていた。 今すぐにでも伸ばしてしまいたい腕を、しかしと引っ込めたのは何が故か。 あの腕をつっぱねたとしても、あの腕に包まれたとしても、もうどちらが正しいのかさえ、文次郎には分からぬ。 「おれは、おれのものだ」 文次郎が呟いた。 「ああ」 食満は当然だとばかりに頷いた。 「おまえもおまえのものだろう」 食満は文次郎の問いに頷くと、少しばかり間を空けてから首を振った。 「どうかな」 「なに」 「俺はもう、いっそお前のものになってしまいたいよ」 暖かな笑みを含んだ声である。 文次郎は左右に首を振った。 「おれは卒業と同時に、ここにすべてを置いていくのだ」 ぽつ、と空が一滴落とした。 雨が降りだしたのだ。 文次郎は足早に歩んだが、後ろから食満の手が伸びた。 「離せ」 「いやだ」 「雨が降ってきたぞ」 「見りゃわかる」 「なら、離せ」 「いやだ」 文次郎の掴まれた右手が、食満に引き寄せられた。 瞬きをする間もなく食満の腕に包まれた文次郎の頬に、雨垂れが落ちた。 「離せと言うに、」 文次郎が呟いた。 「いやだと言ってる」 食満が囁いた。 振り切れぬこの腕を、だからと言うて背に回すわけにはいかぬ。 「けま、」 「ん、」 「分からんのだ」 文次郎が食満を見上げた。 「なにが」 食満が文次郎の頬の雫を拭った。 「おまえにこうされると、おれはどうしていいのか分からなくなる」 精一杯の本音であった。 食満は困ったように笑うと、そうか、と言う。 そして、もう文次郎の両の手を揉み込むように握ると、 「まだ時間はあるから」と言うて、ゆっくりと眼を瞑った。 時間というのは何の時間かという問いを、文次郎は飲み込んだ。 卒業までか、とも思った。 返すことばも見つけられずにいると、食満はもう一度文次郎を抱き込んだ。 回すことのできぬ文次郎の腕は、食満の胸とおのれの胸の間に、縫いつけられたように挟まれている。 「ゆっくりでいいよ、俺は待てるから」 打ちつける雨音がにわかにその大きさを増したことよりも、たっぷりと甘みを含んだ食満の声に気が遠のいていくようだった。 「しつこいやつめ」 文次郎の憎まれ口は二人の胸の間にこもり、いつまでもいつまでもくすぶり、こもっているかのようだった。 雨はやむ様子もない。 藤袴・藤波様の30,000hit企画に『じれったい留→←文』をリクエストさせて頂きました。 甘くて切なくてじれったくて、これぞ正に理想の留→←文…! 食満さんが超男前で、こりゃもんじも惚れるわな…と納得せざるを得ませんでした。 この二人には、是非とも幸せになって欲しい…!頑張れ、二人とも頑張れ…! 藤波様、ありがとう御座いました! ←get |