塀の向こうの桜が笑う




 学園と外の世界を隔てるのは、一枚の塀。

 この塀の向こう側を、僕はこれから独りで歩いていく。

 塀の外には今、桜が咲いている。






 卒業式が終わり、身支度を整えた留三郎は、自分の部屋から見える景色を目に焼き付けた。
 それから重たい腰を上げて、一人門へと向かう。

 もうすぐ、城から上司が迎えに来る時間だ。

 他の同級生達は、卒業式が終わり、友人や後輩達との別れを暫し惜しんだ後、次々と門を出て行った。
 勿論、文次郎もその中の一人で、留三郎の顔を見るなり、

「じゃあ、またな」

と、いつもと何ら変わらない態度で言い、それから少しだけ笑った。

 結局、文次郎の就職先は分からなかったが、良い城に就職したことだけは確かだった。
 ある教師が「六年い組の潮江文次郎の就職先は、我が学園始まって以来最高のものだ」と言っていたので、間違いない。




 事務室に寄り、出門票にサインをする。

 文次郎の名前は出門票の頁を二枚捲った、前の方に書いてあった。



***



「…なあ、文次郎。俺は、正しかったのか?」


 留三郎はそう呟き、門の前で立ち止まり振り返った。

 そこには、学び舎が静かにそびえ立つ。


「お前にこの気持ちを伝えないままで、本当に良かったのか?」


 留三郎の独り言は、自問へと変わっていく。



 六年間、色々な事があった。

 嬉しいことがあった。

 悲しいこともあった。

 楽しいことも、つらいこともあった。


「幸せって何だ?俺はただ嫌われるのが怖くて、逃げてただけなんじゃないか?」


 仲の良い友達ができた。

 可愛い後輩達に慕われた。

 素晴らしい先生方に恵まれた。


「このままで、後悔はしないか…?」


 そして。

 愛しいと思える人に、出会うことが出来た。


「“俺とお前の幸せのため”だって?…なんだそれ、何格好つけてんだよ…」


 好きだ、好きだ、好きだ、


「後悔しないわけ…ないだろうがッ!」


 だけど、もう、君には届かない。


「…っ、俺の馬鹿野郎ッ!!」


 そう叫んだ留三郎は両腕で顔を覆い、それから気が付いた。


「……雨?」


 自分の頬が、水滴で濡れている。


「…はは、何だよ。何の冗談だよ」


 声が震えていた。


「俺たちは、もう離れ離れなんだ。もう二度と、『仲良く』なんて出来ないんだ」


 手も震えていた。


「アイツの…文次郎の顔を見ることも、言葉を交わすことも、触れ合うことも。…それから、」


 視界が滲んで、世界すら震えていた。



「それから、好きって伝えることも…!」


















「……分かったから、はやく来い、バカタレ…」


 その声に留三郎が顔を上げると、紅い髪結い紐で髷を結いなおしつつ、怒ったような表情を浮かべる文次郎が目の前に立っていた。


「は?え?え?」
「いいからまず、その涙を拭け。雨なんか降っとらんわ。自分の涙を雨と勘違いするバカ、始めて見た」

 文次郎は、自分の着物の裾で留三郎の顔面をこするように拭く。

「全く…いつまで経っても現れないし、現れたと思ったら急に独り言を言い出した挙句、叫びだすし…お前大丈夫なのか?そんなんでプロ忍やっていけるのか?卒業してなお、俺はお前の事を『アホのは組』と言わなければならないのか?」
「ちょ、ちょっと哀愁に浸ってただけだろうが!」
「哀愁に浸るなら、もう少し静かに浸らんか。…ほら、さっさと行くぞ」
「行くって…どこに?」
「どこって…俺とお前の職場に決まっているだろう」





 …は?





「何だ、留三郎。お前知らなかったのか?俺とお前、就職先一緒の城だぞ?」





 …はああああああああああああ!?




「どどどどどどどどどどういう事!?だって、今回新しく採用された下忍は俺だけだって!」
「下忍は確かにお前だけだな。俺、中忍で採用されたから」
「はあ!?中忍って…いきなり幹部補佐クラスじゃねえか!?」
「学園始まって以来の快挙らしい。我ながら、毎日ギンギンに鍛錬した甲斐があったな!」
「じゃ、じゃあ…今日迎えに来る俺の直属の上司って…」
「おう。今日から下忍であるお前の上司になる、潮江文次郎だ。宜しく頼むぞ」

 ニコッと笑う文次郎の隣に、留三郎はへたり込んで座ってしまった。
 あまりに予想外の展開に一瞬頭が混乱したが、次第に嬉しさが沸きあがってくるのが分かった。

「まずは上司として、お前の煩い騒ぎ癖を叩き直す」
「え、これ俺の大事な個性なのに…」
「バカタレ、忍者が静かに出来なくてどうする。全く…門のド真ん前で恥ずかしい事叫びやがって」

 そう言って留三郎を睨みつける文次郎の顔は明らかに赤い。

「…え、あの…そ、そうだ文次郎!お前に言わなきゃならない、大事な話があったんだ!聞こえてたとは思うんだけど、俺、お前の事が好…」
「な、何回も言うな!一回で十分だ!」

 急に慌てふためく文次郎の態度は、あからさまに照れから来るものだった。

「おい、耳塞ぐなよ!」
「じゃあそんな事、何回も言うな!」
「いいや、言う!何回でも、何百回でも、何千回でも、伝わるまで俺は言うからな!俺、お前の事が大好…」
「バ、バカタレ!これからプロの忍者になろうという者が、そんな色恋沙汰に現を抜かすな!そんな暇があるなら、早く一人前になれるように鍛錬しろ!」
「じゃあ、一人前になったら色恋沙汰に現を抜かしても良いってことか?」
「なッ!?」
「それに今の態度、これってもしかしなくても…脈あり?」
「うっ…」

 こんな文次郎の反応が一々嬉しくて、留三郎は笑みを浮かべる。

「俺、お前の為に一所懸命働く」
「俺の為じゃなくて、本当は城の為に働いて欲しいんだがな…」
「そんで、すぐ一人前の、立派な忍者になる」
「…ああ、期待してる」
「そしたら、もう一度、」












“お前のこと好きだって、伝えても良い?”










「…ああ、待ってる」





 文次郎は一瞬目を見開き、そして微かな笑みを浮かべ、確かに頷いた。




「留三郎」
「ん?」
「早く一人前の忍者になれ」
「ああ」
「俺もお前に負けないような、立派な忍者になる」
「どっちが先に一人前になるか、勝負だな」
「ああ、勝負だ」
「よし!俺が勝つ!」
「何言ってんだ、バカタレ!俺の方が勝つに決まってんだろ!」



 そうやっていつものように、口喧嘩をしながら、二人揃って門をくぐる。












 学園と外の世界を隔てるのは一枚の塀。

 それを君と二人、隣り合って越えられた事が、何よりも嬉しい。



 塀の外には今。

 祝福の桜がこんなにも美しく咲き乱れ、僕らに優しく笑いかけている。







END.



←Fifty-Fifty