如月の寒空に響く声




 六年生が野外実習に出かけて十数日。
 団蔵が『嗚呼、潮江先輩早く帰ってこないかな』と呟いた数日後の夜半。

 鍛錬を終えて風呂から戻る途中の団蔵は、学園の門で入門票にサインをする文次郎を見つけ、我が目を疑った。

「し、潮江先輩!?どうしたんですか!?」

 本来の実習期間はあと十日。
 その十日間を残し、学園に帰還したとなると、これは何かあったに違いない。

 団蔵が文次郎に駆け寄ると、文次郎は苦々しい顔をして、

「………………………怪我をした」

とだけ言った。

「え!?怪我!?大丈夫ですか!?痛くないですか!?一体どこを!?何が原因で!?」
「……おい、あまり大声を出すな」
「そうだよ、団蔵君。下級生達を起こしちゃうでしょ?」
「こ、小松田さん?」
「むー、僕がいちゃ悪いの?」

 先輩の姿に気をとられて、小松田さんの存在が目に入っていませんでした、等とは言えず、団蔵はただ曖昧に首を振ってみせた。



***



 入門票へのサインを入手して満足したのか、あくびをしながら自室に戻っていく小松田の後姿を見送ながら、文次郎が重々しく口を開いた。

「実習中に、崖から落ちた」
「はあ!?一体全体なんで!?そんなに危険な実習だったんですか!?」
「喧嘩…じゃなくて、組み手をしていたら、夢中になって、つい…」

 珍しくも弱まる語尾に、団蔵はピンと来た。


 その組み手の相手は、多分…。


「で、崖から落ちたときに右足首を捻ってしまったんだ。大したことは無い」
「……見せて下さい」

 文次郎が答える前に、団蔵は文次郎の前に片膝をついて座り、右足に優しく触れた。

「…んっ」

 そっとなぞると、顔をゆがめる。

「……腫れてますね」

 袴のすそを捲ると、丁寧に巻かれた包帯が現れた。

「実習先からここまで、どうやって来たんですか?」
「………」
「だいぶ痛んだはずです。一人じゃ来れないでしょう?」

 文次郎はしばらく押し黙っていたが、ついに根負けしたのか、渋々といった様子で口を開く。

「組み手の相手に背負われて、ここまで連れてきてもらった。“怪我させた償い”だとよ」
「組み手の相手……食満先輩にですか」

 文次郎は、首を横に振ることも、頷くこともしなかった。
 しかし、ほぼ間違いないだろう。



 潮江先輩に怪我をさせた原因は、食満先輩。
 潮江先輩をここまで連れてきたのも、食満先輩。
 しかもこの長い道中。
 潮江先輩を背中に負って。



「……こんなつまらないことで妬いても、仕方ないですね」
「は?」
「いいえ、何でもありません。ところで、潮江先輩?」
「うん?」
「自室までは、僕がお送りします」

 そう言って、団蔵はにっこりと笑った。



***



「…ん?」

 深夜の会計室で算盤を弾いていた仁暁左吉は、そのかすかな音に気が付き、耳をすませた。
 誰かが小声で口論するような声と、地面を駆け抜ける音。
 忍者のたまご達が生活するこの学園内では珍しい音では無いが、これらの声には聞き覚えがある。

「団蔵と…潮江先輩の声…?」

 不思議に思って襖を開けると、その声がより鮮明に聞こえてきた。



「おい団蔵!やめろ!」
「やめません」
「肩を貸してくれるだけで良いと言っているだろう!」
「それより、こっちの方がラクでしょう?」
「だからって、よ、横抱きで運ばれるなど…!」
「僕の鍛錬にもなりますし、一石二鳥です」
「誰かに見られたら…!」
「見せ付けてやれば良いじゃないですか。…それより先輩」
「な、何だ?」
「結構軽いですね。いつの間にか、僕より背も小さくなってるし」
「う、うるさい!馬鹿にするな!」
「馬鹿になんてしていません。……可愛いなあって思ってるだけで」
「はあ!?」
「ちょ、潮江先輩!?どうしたんですか、突然!?暴れないで下さい!」
「下ろせ!俺を下ろせ!」
「聞く耳持ちません!」



「……何やってるんだ、あの二人…」

 左吉は痛くなる頭を抱えて、のそのそと会計室に戻った。





 ちなみに。

 翌日、学園中に広がった『加藤先輩が潮江先輩をお姫様だっこして愛の逃避行未遂』の噂を聞いて、左吉の頭痛が更に増した事をここに追記しておく。



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