それは可愛いレヴィアタン

※藤波様宛て捧物



「ただいまー…って、あれ?伊作いないのか」

 委員会の仕事が終わり自室に戻った留三郎は、もぬけの殻になった室内を見回した。
 今の今まで後輩達と騒いでいた分、誰もいない無機質な部屋の雰囲気に少しだけ虚しさが募る。

 とりあえず着替えを、と思い室内に足を踏み入れると、

「?」

足元の畳の上に、筆が落ちている事に気が付いた。
 しかも筆先には墨汁がついている。

 何故畳の上にこんなものが?
 伊作が落としたのだろうか?

 とりあえず、畳が汚れてしまうので拾っておく。



 そのまま衝立で作った『通路』を歩き、部屋の奥へ向かうと、

「?」

今度畳に落ちていたのは、白い紙。

 筆と紙?

 これまた原因不明だが、滑ったら危ないのでとりあえず拾っておく。



 そして部屋の奥側、自分の居住区に辿り着いた。
 そこで次に目に飛込んで来たのは、

「あれ?」

机の上の、小さな紙。
 その紙には、ある女性の名前と、簡単な地図が書かれていた。



 この名前は確か、先日委員会の買い出しに行った際、露店で団子を売っていた女性のもの。

“普段は隣町に構えた本店で団子を売っているのですが、今日は出張販売中なんです。”

 その女性は、確かそんな事を言っていた。
 そう言えばあの時、彼女が売っていた団子が美味しかったので、本店の所在を聞いたのだった。

“俺の恋人、見かけによらず甘いものが大好きなんです。今度そいつを連れて、店まで団子を買いに行きますね。”

 留三郎がそう言うと、それならば店の場所をお教えします、と渡された紙がこれだ。



 しかしこの紙は、先程まで別の位置に置いていた筈…それが何故こんな所に?

 暫く考えて、留三郎は手の中の筆と紙の存在を思い出した。
 よくよく見ると、この筆には見覚えがある。

 …。

 ……。

 …――もしかしたら?



***



 留三郎は急いで踵を返し、六年い組の部屋の前までやって来た。
 そして、その襖をゆっくりと開ける。

 其処には予想通り、

「文次郎…?」

こちらに背を向けて布団に丸まる、恋人の姿。

 拗ねたようなそれが厭に滑稽で、留三郎は口元に笑みを浮かべたままゆっくりと近付いた。

「もーんじ」

 留三郎の部屋に落ちていた筆は、文次郎愛用の筆。
 恐らく文次郎は、留三郎の不在中に六年は組の部屋に来たのだろう。

「せっかく来てくれたのに、ごめんな?委員会活動中だったんだ」

 留三郎はそう優しく声を掛ける。
 だが文次郎の背中は、そんな留三郎の様子にピクリとも反応しなかった。

「文次郎?」

 寝ているのかとも思ったが、覗き込もうとするとあからさまに顔をそらす。

 本当に拗ねている?
 何故?



 …とりあえず、これまでの流れを整理しようか。

 まず部屋に入ると、目の前には文次郎愛用の筆と紙が落ちていた。

 つまりこれ等は文次郎が置いたもの。

 そして机には、女性の名前が書かれた紙が………あれ、これって、もしかして、まさか。





「……嫉妬?」





 あの文次郎が?

「…で、これで説明しろって事?」

 この筆と紙は、女に現を抜かしているお前なんかとは口もききたくない!という事か?





 ……可愛いやつめ。





 誤解であることの余裕から、留三郎はからかうように笑いながら横向きの文次郎の腰に跨った。

「アレ、この前話した美味い団子屋の地図だぞ。ほら、次の休みに一緒に行こうって言ってるトコ」

 反応無し。

「まさか俺が浮気したとでも?」

 今度は少しの反応。
 どうやら図星らしい。

「なぁ、ちゃんと話したぞ?これでも駄目か?」

 そこで文次郎の瞳が初めて留三郎の方を向いた。
 次に、留三郎の手に握られた筆と紙に視線を移す。
 しかし、すぐに目は元に戻されてしまった。

「…どうしてもこれで書けってか」

 留三郎は文次郎の強情さに呆れ苦笑し、仕方なくその紙に、その筆で、不安定な文字を書き殴った。



「はい」

 文次郎が留三郎の掲げた紙を見遣る。

「……っ」

 瞬間、文次郎の目がほんの少し見開かれた。
 赤い顔を隠すようにしながら何か呟いて、そのまま瞼を下ろしてしまう。
 恐らく“バカタレ”とでも言ったのだろう。

「相変わらず、素直じゃねぇなあ」

 そう言うと、更に耳まで朱に染まる。


 …それを誤魔化す仕草の、なんと愛しいことか。


 留三郎は目を細め、紙に書かれたガタガタの“大好き”ごと、文次郎の体をきつく抱き締めた。



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