水無月、満点日和




「潮江先輩!見てください!」

 文次郎が会計室で算盤を弾いていた暮六つ。突然襖を開けたのは、五年は組、会計委員会所属の加藤団蔵であった。




 大きく肩で息をするその様子を一見し、眉を微かに上げた文次郎は、算盤を弾く手を止め、団蔵に向き合う形で居住まいを正した。

「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「はい!実は、これを見ていただきたくて!」

 満面の笑みで文次郎の前ににじり寄った団蔵は、懐から何やら一枚の紙を取り出した。

「先日、国語のテストがあったんですけど、」
「ああ」
「その結果が今日返って来て…」
「おう」
「なんと!」
「うん」
「六十二点でした!」
「……………………そうか」

 若干の沈黙の後、 困ったように眉を潜め、目をそらした文次郎を見て、団蔵も同じく眉を潜める。
 数秒、何とも言えない雰囲気が会計室を覆い、その間、文次郎の頭の中では、次のような考えが巡っていた。


***


 加藤団蔵は、国語の成績が壊滅的である。

 この自分より一歳年下の男を、同じ委員会の先輩として五年間見てきた立場から言わせてもらえば、国語力皆無の団蔵が、試験で六十二点という数値を叩き出したのは、今回が始めての快挙のはずだ。

 だが、しかし。

 実は先程、同じく会計委員会に所属する五年い組の仁暁左吉が、団蔵と同じ試験用紙を持って会計室に現れ、「簡単な試験でした」と己の答案用紙を文次郎に見せてきたのである。
 そして、その点数は、満点。
 何やら期待に満ちた表情をする左吉に、文次郎は「会計委員たるもの、当然だが」と言いつつも、自分の鼻先と同じ位置にある頭を、ひと撫でしたのであった。


***


「あの、潮江先輩…」

 団蔵が恐る恐るといった表情で、此方の顔を覗きこんでいる。
 文次郎は一つため息をつくと、

「もう少し、近くに寄れ」

と、団蔵を手招いた。

「団蔵、よく聞け」
「はい」
「はっきりと言おう。この試験の点数は、正直、褒められたものではない」
「………」
「会計委員たるもの、いや、忍者たるもの、常日頃から勉学、鍛錬に励み、己を高めなければならない。その試験も一環だ。分かるな?」
「……はい」
「だが、」

 文次郎は自分と同じ目線にある、団蔵の頭に手を置いた。

「俺は、お前がこの試験の為に遅くまで勉強していた事を知っている」

 そして、その形の違う大きな眼が微かに細められた。

「字だって 、以前に比べれば美しくなった。お前が真剣に自分の欠点と向き合い、直そうとする努力をした成果だ」

 団蔵の頭に置かれた手が、緩やかに動く。


「よく頑張ったな、団蔵」


 文次郎はそう言うと、口元を綻ばせ、笑みを作った。
 団蔵は、間近で見る文次郎の笑顔に、身体の郎が、仁王立ちで団蔵を見下ろした。

「会計委員としては失格だ!何だこの点数は!遅くまで勉強したにも関わらず、何故こんな点数を取るんだ!?勉強のやり方がなっとらん証拠だ!」

 先程の優しげな笑みはどこへ行ったのか。文次郎は常のような、地獄の会計委員長の顔に戻ってしまった。




 しかし、この時、団蔵は心の中で歓喜の雄叫びを上げていたのである。




「団蔵!早急に勉強道具を持って来い!一晩かけて、俺がお前の勉強法を叩き直してやる!」






 つまり、今宵の貴方は僕の独り占め。

 …って事ですよね、先輩?


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