四六時間の惚気話



『コイツは俺の恋人です』

 本当は皆の前で、そう叫びたいけれど。



***



 目の前に、次々と食べきれないほどの酒と料理が並んでいる。

 今宵の留三郎と文次郎は、駅前から少し離れた所にある居酒屋で、留三郎の学部の飲み会に参加していた。

「ほら食満!もっと飲めよ!」

 留三郎は、次々とグラスに注がれていくビールに思わず苦笑する。
 だが気になるのは、目の端に映る文次郎の影と転がるビールの空き瓶。

 文次郎は留三郎と別の学部だが、ある科目を履行している縁でこの飲み会に参加している。
 現在文次郎は、留三郎とは別のグループの机に取り込まれていた。
 留三郎は、内心気が気でなかったが、二人の関係を知っているメンバー(某サラスト以下数名)の前ならまだしも、事情を知らない友人達の前で、あからさまに文次郎だけの世話を焼くわけにも行かない。

「食満君、どうかしたの?」

 机を転々としていた女の子の一人が、留三郎の隣に座りながらビールを注ぐ。

「へ?あ、いや…アイツ、飲みすぎかな…って」

 そう言った留三郎の視線の先には、らしくもなくヘラリと笑う文次郎がいた。

 …おいおいおい!顔に出ていないだけで、まさかすでにベロンベロンなのか!?

「あはは!ホント食満君は面倒見が良いよねぇ。そう心配しなくても、潮江君だっていい大人なんだから、限度ぐらい分かってるって!もし潰れても、誰かが面倒見るだろうし!」
「…うん、まぁ、そう…なんだけどなぁ」

 留三郎は曖昧に笑って、歯切れ悪く言葉を飲み込んだ。
 ここで、無闇やたらに世話を焼くわけにはいかない。
 他の友人から見れば、二人の関係は“友達”以外の何者でもないのだから。

「それにしても…潮江君って真面目そうだけど、恋人とかいるのかな?食満君は知ってる?」
「…知らない」

 “実は俺でーす!!”と言ったら、きっと皆ぶっ飛んで驚くだろうな、と思いながらも、留三郎は目を逸らした。

「ふーん…。まあ、いいや。本人に聞いてこよう」

 …えええ、何故そうなる!?

「ちょっ…」
「潮江君ー!潮江君って、恋人とかいるの?」

 その女の子は、止める留三郎の声など無視して、文次郎に不躾な質問を投げかけた。

「んあ?」

 文次郎が顔を上げる。

 …って、おいおいおいおい!焦点合ってねぇじゃん!
 いつの間にそんな飲んだんだよ、文次郎!?

「あに?こいびと?」

 おまけに呂律も回っていない。

「いるっ!」

 …うわぁ…やってしまった…。

 あまりの事態に、留三郎は思わず目をそらす。

 駄目だ…。
 あそこにいるのは文次郎であって、文次郎じゃない。

「えっ本当!?ね、どんな人?」

 頼むからそれ以上、今の文次郎に絡まないでくれ!

 しかし、そんな留三郎の心の叫びなど届くはずもなく、友人達の好奇の目は文次郎に注がれる。

「そーだなぁ、」

 すると、机に肘を突いて、文次郎がヘラリと笑った。









「すげーかっこいーやつ」





 ……え?





「そんで、めちゃくちゃそんけーできて、ばかみたいにやさしくて、いつもいっしょにいてくれて、しかもおれのことむちゃくちゃあいしてくれてる!」






 ……これって俺の事、だよな?

 戸惑いながらも、留三郎は自惚れざるを得なかった。
 なぜなら文次郎が、留三郎のことを見ながら、にこにこと笑っているのだから。

「なんだ潮江君、べた褒めじゃん!」
「そうか?ただのじじつだぞ?」





 ………。



 はあ…。








「…文次郎、帰るぞ!」

 突然の留三郎の声に、辺りがシン、と静まる。
 ただ一人、文次郎だけがポーッとした目で留三郎を見て、しきりに首を傾げていた。

「とめ?」
「ほら、こっち」

 留三郎がしゃがんで背を向けると、文次郎がのろのろと抱きついてきた。
 続いて、ずしっとした重みと、酒のせいで熱くなった身体を、自身の背中に感じる。

「ん…」
「ゴメン、こいつ飲みすぎたみたいだから、帰るわ」

 留三郎が後ろ手に襖を閉めたと同時に、その向こう側からざわめきが聞こえた。



***



 …あーあ。

 明日から俺、一体どんな顔して講義を受ければ良いんだ…。

「絶対バレちゃったぞ、俺達の関係」
「……」
「全く…文次郎のせいだぞー?」
「……」

 しかし、あんなに可愛いことを言われたら、怒るに怒れない。

 非常に複雑な気持ちを抱いたまま歩く留三郎の背中の上から、呟くような声が降ってきた。








「…たまには、」



 ん?

 あれ?

 今までとは打って変わって、妙にはっきりした文次郎の口調に、留三郎の歩みが止まる。


「俺だって、お前の事周りに自慢して、呆れられるくらい惚気たい」
「…文次郎?」
「いつも隠してばっかりで、人の惚気話だけ聞かされて。…たまには俺にも、惚気るぐらいさせろよ」
「おまっ、酔っ払ってなかったのか!?」
「あれっぽっちの酒で酔っ払ってたまるか」
「え、じゃあさっきのあれは…」







「……わざとに決まってんだろ。そのくらい、気付けバカタレ」






 えええええええええ、ちょっとちょっとちょっと!!

 何なの、この殺人級に可愛い人は!?


「バーカバーカ」
「バカなんていう奴には背中貸さないぞー」
「……すまん」

 そう言って、ぎゅっと強くなる肩に回された腕の力に、

 ああ、やっぱり好きだなあ…。

 とか。

 愛しいなあ…。

 とか。



 温かな気持ちで心が満たされる。



「…なあ、留三郎」
「ん?」
「お前も惚気てみろ」
「え、今ここで?」
「おう」
「惚気か…そうだなぁ」



 結構怒りっぽいし、

 手が早いし、

 頑固で意地っ張りだけど、






「俺は文次郎の、全部が大好きだあああああああああっっ!!」





 今すぐ戻って皆の前で、

 とにかく叫んでやりたい。




『コイツは俺の、大事な大事な恋人です』、と。



***



「それ…惚気か?叫んでるだけだろ。お前、本当騒がしいよなぁ」

 クスクスと背中から聞こえる文次郎の笑い声が、留三郎の耳を擽る。

「あー…まぁ、えっと……。つ、続きはベッドの中で言ってやる!」

 さすがに恥ずかしくなってきた留三郎は、わざと気障な台詞を吐いて、その照れを隠そうとする。

 すると耳元で聞こえたのは、






「…楽しみにしてる」





という可愛い返事。

「……俺の惚気話、一晩じゃ終らないかも」

 留三郎が困ったようにそう言うと、文次郎は

「じゃあ、終わるまで何日でも付き合ってやるよ」

と囁いて、留三郎の首筋にそっと顔をうずめた。


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