三月某日の空模様



 ぼんやりとした空模様も、別に嫌いなわけではない。

 しかし、やはり晴れている時の方が好きだな、と。

 まるでこの空を写し取ったような留三郎の顔を見て、文次郎はそんな事を思った。


「もし仮に俺とお前が敵同士になったとして。そしたらお前、俺の事殺して、その後も忍者を続けるか?それとも忍者をやめてでも、俺の傍にいてくれるか?」

 突然、何を言い出すのかと眉間に皺を寄せた文次郎は、一つ溜め息をつく。

 “もし仮に”の意味もその選択肢の意味も分からないけれど。

「どっちも嫌」
「いや、そうじゃなくて…どちらかしか選べないとしたら、だ」

 留三郎は困ったように言うけれど、実際困っているのは文次郎の方だった。

「俺には、忍者として生きていく道しか考えられない」
「……だよな」

 あからさまに悲しげな顔をする留三郎に対し、文次郎は、人の話は最後まで聞け、と続けた。

「でもな。今となっちゃ、お前といない俺なんて想像もつかない。だから…そうだな、お前といて、また忍者として生きていけるように努力する。なんらかの理由でその道を断たれてたとしても、だ」

 留三郎は目を丸くして文次郎の事を見、文次郎は心外だと眉を寄せ留三郎を見た。

「そんな顔するなよ、どうせお前だって同じ考えだろ」
「…でもそれって凄く大変な事だぞ?それでも、いいのか?」
「お前となら構わねぇよ」

 そう言いながら頭を掻こうと伸ばした腕を、思い切り強く引かれて。

 気が付けば、留三郎の顔が目の前だった。

「何だ?」
「もう一回言って」
「…どのあたりを?」
「だから今の、俺の事を大好きだってのを、もう一度言って」
「今の?…俺、そんな事言ったか?」
「言った。“お前となら構わねぇよ”って。それって俺が大好きって事だろ?」
「お前は…いや、まぁ…確かにそうとも言うのかもしれないが…」

 言葉を濁しながら目をさまよわせていると、留三郎の顔が更に近付いてきて。

 あ、と思った瞬間には唇が重なっていた。

 右手で頭を、左手で腰を。

 ガッチリと押さえ込まれて、逃げる事が出来ない。

 弱まる事を知らない口付けに翻弄される。

「んっ、…ちょ、とめっ」

 息継ぎの合間にやっと出た文次郎の言葉が届いたらしく、唇が名残惜しそうに離された。

「何?」
「何?じゃない!ここがどこだか分かってるのか?」
「用具倉庫前」
「…分かってるじゃないか」
「ああ、分かってる。でも、下級生はまだ授業中だから平気だって」
「いや…あのな、下級生だけじゃなくて…教師生徒限らず、いつ誰が来るか分からないだろ?人前ではやめろと言っているのに、なぜお前はそうやって…」
「あーもー分かった、分かったから。じゃあさ」


 ギュウッ


 …………。


「……おい留三郎。俺の言ってる意味、分かってるか」

 肩口に埋もれて喋るので、否応無しに声がくぐもる。

「このくらいなら、大丈夫だって」

 まぁ確かに、口を吸い合っているよりかは良いかもしれないが。

 この状態もあまり変わらない気が…。


 ギュウ、


 文次郎が文句を言おうとした矢先、ますます強まる力。

 耳のすぐ横では、静かな息遣いが聞こえる。

 文次郎は観念して、背中に腕を回した。

 抱き締めてやると、少しだけ留三郎の体がビクリとして、思わず笑ってしまう。

「どうしたんだ、留三郎?」
「…何が?」
「何かあったんだろ?」
「別に…」
「……卒業が、そんなに怖いか?」
「………」
「お前ってヤツは本当に…嘘が下手くそ」

 言いながら、留三郎の背中をポンポンと撫でてやる。


「大丈夫だ、留三郎。何も心配するな。大丈夫、大丈夫、俺達なら大丈夫、」


 文次郎は、手の動きに合わせ、何度も何度も繰り返した。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから、」


 繰り返し、繰り返し、留三郎に、そして自分自身に言い聞かせる。


「絶対、大丈夫にしてみせるから、」


 本当は、未来の事なんて分からないけれど。


「だから……そんな悲しい顔をするな」


 今、お前には笑っていて欲しいんだ。










 その言葉を聞いて、留三郎は思い切りがついたように顔を上げると赤くなった両目を擦り、それから文次郎の頬に軽く口付けた。

「文次郎、」
「ん?」
「ありがと、な」

 そう言って見せた柔和な笑顔に安心して、文次郎は留三郎の頭をグシャリと撫でる。

「俺は何もしてない。ただ、事実を言っただけだ」

 廊下から慌ただしい足音が近付いて来た。

 きっと下級生達の授業が終わったのだろう。

 見上げた空は、少しだけ日が差し出していて。

 嗚呼、やはり晴れている時の方が好きだな、なんて事を思いながら。

 文次郎が留三郎に返した笑みは、まるで春の日差しのように柔らかだった。




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