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お好みで



その日、男子寮のキッチンには珍しい人物達がその大柄な躯体を鎮座させていた。
ボウルには鮮やかな赤が映えた、林檎が三つ。そうして一つは、まな板の上で今まさに包丁の切先を突きつけられようとしているところだった。

「お助けください真っ二つだけはぁ〜」
「悟。変な声出すのやめてくれる?」
「い、い、痛い…っそんな!酷いよ…ボクに一体なんの恨みがあるっていうのさ…」
「代わりに悟がやってくれても良いんだけど」
「林檎の気持ちを代弁してみた!」
「犬猫の気持ちも分からない悟に、林檎の気持ちはまだ早いんじゃない?」
「はぁ、喧嘩なら買うぜ」
「大安売りしているのはそっちだろ?」

キッチンに立っていたのは傑で、すぐ側で椅子の背もたれを前に向け、行儀の悪い風態で茶々を入れていたのが悟だった。悟は口こそ出すものの自らが動く気は毛頭無いようで、楽しげに作業をする傑を眺め、眺めては口を出す。最初は呆れた様子でそれを受け流していた傑だったが、“林檎を切る“というミッションが進むにつれて、言葉少なになってくる。相手をしてもらえない悟は徐々に不満を募らせて口をへの字に曲げていたが、傑の手元から生まれる林檎がただの真っ二つで無いことに気付いてからは、食い入るようにその包丁さばきを見つめていた。
そうして皿に盛られた可愛らしいそれに、悟の視線は釘付けになる。食べ物で遊ぶなど考えも付かない環境で育った悟にとって、それはちょっとした魔法のような出来事だった。

「はい。どうぞ」
「こ、こ、これは…!」
「うさぎです」
「……傑。最強の称号は、お前に譲ろうと思う」
「称号はいらないけど、悟のそういうところは嫌いじゃないよ」
「これ食っていいの?」
「切り替え早いな」
「いやだってこんな林檎見たことねぇし。どんな味すんのかなーって」
「食べるのは構わないけど。あ、でもその前に」

うさぎの気持ちを教えて貰っても良いかな?

にっこりと、それこそ菩薩のような笑みを浮かべながら、傑はフォークを手渡した。受け取る悟の手は、少しだけ震えている。ただの果物から愛らしいうさぎに変貌を遂げたそれに、フォークを突き立てることの悍ましさと、けれど先ほどまでは楽しみにしていた甘い誘惑。生まれて初めて感じる罪悪感に心の天秤は悟の中で面白い程に揺れていた。そうしてそれを眺める傑もまた、その見えない天秤に嬉々として猶予を与えるのだから、存外タチが悪い。
結局、悟が「ごめん」と呟きながらそのきらきらと揺れる瞳を濡らしたところで、傑は今日一番の微笑みを向け、悟に召し上がれと囁いたのだった。


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