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アネミック・シネマ



「あんた達、帳下ろさずに術式ぶっ放すとか本当イカれてるね」
「"達"で一括りは心外だな」
「でも呪霊問答無用で出してたって歌姫先輩から聞いたよ?」
「自分が任務に呼ばれなかったのまだ拗ねてるのか」
「硝子〜スカした同級生が割とばかだよぉ〜」
「外で話そうか?名前」
「名前、勝てない喧嘩吹っ掛けるのも大概馬鹿だよ。"達"って私も含んでんの?」
「硝子含んでる訳無いじゃん。それに傑君は優しいから女子に手をあげたりしないもんね?」
「はいはーい女子ってどこにいんの?」
「は?悟はアイス買ってきてから死ね」

 年季の入った木造の校舎、万年人気の少ない教室。この夏はやけに暑くて、蝉の声が馬鹿みたいに聞こえてきたのを覚えている。いつだって私達はふざけてばかり。
これが日常。これが平常。これが平和。

 日々の任務、亡骸も残らない仲間の遺体。そんなのは当たり前にあるただの現実で、けれど同級生2名は『最強』を自負することが笑いにならない程度に力を持て余していたし、1名はこの世界に無くてはならない才を持ち、また強かに聡明だった。かくいう私は程々の力と程々の運を使ってなんとなく3人の隣で『同級生』をやっていて、それでもこの世界は結局生きていた奴が勝ちなので、何も持ち合わせない私でも"この学年は豊作だ"と言わせてきたのだ。傑や悟のような身の程をわきまえない強さを求める程向上心は無いし、硝子のように特定のものに対する好奇心も無ければ割り切ることも苦手なので、今が自分にとってのベストだと信じていた。依頼を受ける、生き残る。寮に帰る。誰かが居て「おかえり」を言う。そういう当たり前で生きていた。死ぬのなら私が一番最初だろう。それなら私の日常は誰にも邪魔されない。私は私の世界の完璧の一端だった。


 『最強』の2人が、天元様の任務についてから半年。とりわけ日常に変化は無かった。任務失敗、そんなの誰にだってある。むしろ2人ともちゃんと五体満足で帰ってきたのだから、呪術師としては及第点以上。けれど。どうして、どうしたって。滲んでいるのだ。





違和感が。






ドアをノックすると、扉を開けた部屋の主は少しだけ驚いた顔をして、それから柔かに私を部屋へと招き入れた。

「こんな時間にどうしたんだ?悟に見つかったらきっと派手にからかわれるよ」
「悟は今日出張で九州に居るんじゃなかったけ?」
「それなら安心だな」
「なんかしたら引っ叩くけど」
「名前はいつも怖い」

そう言ってちっとも怖そうでは無い傑の部屋に入ると、取り立てていつもと代り映えのしない景色があった。いつもと違うのは、まるで部屋の主のように他人のベッドで尊大に寝転がる無駄に足の長い馬鹿と、人の部屋のクッションを我が物顔で抱きながらお菓子を食べる美人が居ないことぐらいだ。そういえば、この部屋で2任きりになるのは初めてのような気がする。傑は適当な素振りで私に座るように促すと、自身はまるで当然のようにはちみつ入りのホットミルクを2つ入れてローテーブルの上に置いた。

「あんがと」
「どういたしまして」

ホットミルクに少しだけはちみつを入れるのは、私が前に教えてあげた代物だった。その日は随分と賑やかな夜だったように思う。結局悟は馬鹿みたいにはちみつを入れて最早飲む糖分と化していたし、硝子は勧める私を横目に笑いながらブラックコーヒーを入れていた。結局傑だけが「これいいね」と言って、私は気分を良くして後日スーパーで売っている蜂蜜チューブを一本あげた。そんなに前の話では無い筈なのに、どうしてだか随分と昔のことのように感じる。現に傑がカップに入れていた蜂蜜チューブは、殆ど新品のような量だった。

「蜂蜜ホットミルク、前に名前が教えてくれただろ?気に入ってるよ」
「その割りにははちみつ減って無いじゃん」
「名前がくれたから惜しんでるんだよ」
「そういうのほんとどこで覚えてくんの?お姉さんフクザツ…」
「名前の兄になった覚えは無いな」
「お姉さんだっつってんでしょ」

これはいつもの空気。いつもの会話。けれど、いつもならこれで終わりだ。追及するような曇りは無く、ただそこにあるもの。私達は常に"一定"だった。でもね。ほら。今の傑は違う。

「それで、どうしたんだ?」
「…何が?」
「こんな時間に男の部屋に訪ねてくるなんて、ってことさ」
「女子ってどこにいんの?って前言ってなかったっけ?」
「それは悟だろ。私じゃない」

そんなの分かってるよ。そう言おうとして、けれど声にはならなかった。こんなに冷たい目をする傑を、私は見たことが無かったからだ。カップを持つ手がほんの少しだけ揺れて、ふっと息が漏れる。そこで私は唐突に息をするのを思い出して、平静を保つように傑の入れてくれたホットミルクに口を付けた。

どうしたの、って。それは私が傑に聞きたいことだった。
この半年。皆、日常を生きている。一度任務を失敗したって2人が『最強』であることにはなんの翳りも無かったし、私達が何をしようが何を考えようが呪霊は日々生まれてくる。どれだけ祓おうがこのマラソンゲームに終わりは無いのだ。そんなことは口にしなくたって分かっている。分かって、理解して、そうやって今ここに居る筈なのに。

「…私さ、前の任務も呼ばれなったじゃん」
「なんだ。進路相談か」
「アンタ本当は悟より良い性格してるよね」
「アンタは傷つくからやめてくれないか」
「傑は!」
「ありがとう」

私の知っている顔で笑う傑を見て、その表情とは裏腹に、私は心底腹立たしい気持ちだった。こんな軽口をどれだけ交わしたって傑の本心は見えっこ無いし、そもそもただの同級生である私にそんなことを明かすつもりも毛頭ないだろう。それでも踏み込みたいだなんて、つくづく自分にも呆れてしまう。何も傑のことがトクベツだとか、タイセツだとか。そんな感情では無い。けれどこいつらには、私の『日常』がかかっているから。それを壊されることが酷く腹立たしいだけだ。

「名前はさ、なんだかんだ言って優しいだろう?」
「気付くの遅くない?」
「誰のことも見捨てられない」
「…私は私のことが一番大事だよ」
「名前の周りに居る私達のことも、心底大事だ」
「自惚れないでよ」
「そうかな」

まるで掬うみたいだと、そう思った。頭を打たないように上手に手のひらで私の頭を包むところも、右手首をぐっと握って私に拒否権が無いことを分からせるところも。全て最初から傑の思い通りだったみたいに事が運んで面白くない。全部、面白くない。

「なんのつもり」
「自惚れているんだよ」

反転していく視界を尻目に、傑のごつごつとした手の甲が私の頬を撫でるように伝う。抵抗を見せようと跳ねのければ、掴まれていなかった方の手首も同じように縫い留められた。傑が何を考えているのか、見当もつかない。けれど私が立っていた境界線を傑はとっくに越えていて、その上で、傑の瞳はただ一点の闇を濁していた。それだけが、私に分かること。この世界でただ一つの真実のようだった。

「傑は、私にどうして欲しい?」
「この状況でそれを聞く?」

這い回る。最早言葉はなんの意味も持たず、時間稼ぎにすらならなかった。ひんやりとした空気を切るように、傑に触れられた場所から、馬鹿みたいに熱を帯びる。

「私に慰めて欲しいの?」
「…違うよ、」

たくし上げられるシャツと外気に触れる肌。徐々に早まる呼吸と心音。抗うように身をよじってても、傑の手はびくともしない。それでも私は口を開くことを止めなかった。今ここで『対話』を止めてしまったら、二度とその機会を掴むことは出来ない。それはただの予感で、そして確信だった。

「負けたんだって、罵って欲しい?」
「そうじゃない、私は」

傑の熱を感じる今、この瞬間。どうしたって、このどうしようもない隙間を埋めたかった。そうして閉じた瞳の向こうで、ようやく糸が解れるみたいに。そっと触れられた唇は思いのほかひんやりと冷静で、それが私は堪らなく寂しくて、今度は自分からその頬に手を伸ばした。それが『日常』の為の行為だなんて、とっくに言い訳出来る筈も無い。

「堕ちてあげてもいいよ、一緒に」
「…」
「だって傑、さみしんぼでしょ?」

これは傑が傑自身を認められないことに対する皮肉だ。考えて欲しくなかった。今、私達が私達である矛盾、違和感。そんな疑問は全部無駄だ。けれど傑がどうしたって躓いてしまうのなら、私はそれがどんな理想だって、同じように歩んでみたかった。だって、

「私どうやら、傑のことが好きみたい」
「やっと気付いたの。随分と遅かったね」
「何それ。自分の方が優位みたいに」
「私はずっと前から分かってたよ」
「何を?」
「俺が名前を好きなことを」

背を掻き抱くその腕は、まるで隙間を埋めるように。
やっぱり傑はさみしんぼだ。どっかの馬鹿が言うことも、強ち間違いでは無いのだろう。それならこれを埋める役割だけは、誰にも譲ってなんてやるものか。

 私達は今日も祓う、守る、そして日々自答する。そうする度に摩耗して、けれどこの強さを手放せない。いつだって寂しい私達は、こうして弱さを手に入れて、初めて穏やかに眠るのだ。


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