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3.ヴィアの夜明け



 一人体育館までの道のりを歩いていると反対側から見知ったトサカ頭が目に入り、途端に心臓がばくばくと暴れ始める。あちらも私に気付いたのか、手を挙げて私のことを呼ぶ姿はいつまでも夢心地だった。

「苗字ちゃん!さっきぶり」
「さっき?」
「えーもう忘れちゃった?」
「もしかして、退場の時ですか?」
「そーそー。俺たちより泣きそうな顔してんだもん。目についたわー」
「それは…涙腺が緩くてお恥ずかしいです」
「女の子はそれぐらいが可愛くていーんじゃん?」
「黒尾先輩が言うなら、誉め言葉として受け取っておきますね」

この素直さを研磨に1mmでも見習って欲しいと笑う先輩を見て、さっきまでの夢心地はどこへやら、心に雲がかかったように私の気持ちは重くなる。私はただの練習見学者でしか無いし、直接的な接点は何も無い。だからこれがきっと先輩と最後の会話だ。考えれば考える程、思考はネガティブに一直線になる。すると黒尾先輩は眉間の間をとんとん、と二回。式の時はジェスチャーだったが、今度は私の眉間をつついたのだ。わっと湧き上がる恥ずかしさと何が起きたのか理解できない驚きで口をぱくぱくとさせる私を見て、黒尾先輩はお腹を抱えて笑い出した。

「い、悪戯成功しました!みたいな顔やめてくださいっ!」
「あ〜悪い悪い。だってもう、は、腹痛い。苗字ちゃん茹ダコみたいだな」
「びっくりしますから!普通!」
「いや会話噛みあってねぇし。あー面白かった」

この人は、分かってはいたけどやっぱりモテる人だ。私が黒尾先輩に憧れるきっかけになったのは球技大会だったけれど、1年生の頃から黒尾先輩の名前はなんとなく聞いたことがあったし、なによりこんな気安く女子に触れられるのがその証拠だと思う。私を女子と認識していないという線も捨てがたいが、それを差し引いてもやっぱりこのこなれた感じはモテ男特有のアレだ、と遅すぎる直感に私は思わず一方後ろにたじろいだ。

「く、黒尾先輩はなんか、手慣れてますね…?」
「えー俺だって内心ドキドキだヨ」
「そんな心こもってない否定あります…?けど孤爪君とはタイプ違いますね」
「何々、俺より研磨のことが気になるって?」
「タイプ違うけど仲良しですねってことです!」
「なんで俺と研磨が仲良しなのか知りたい?」
「へ?」
「知りたい?」

にやにやと今度は意地悪な笑みを浮かべて私を見下ろす先輩はさっきよりもっと楽しそうだ。そんな2人の馴れ初めに秘密があるのか?なんて少しどきりとするも、これはただ私をからかっているだけだと思い直して今度は強気で黒尾先輩に反論する。

「もう!私のことからかってる暇あるんですか…何か用事でもあったんじゃないんですか?」
「そうそう、俺苗字ちゃんを探してたんだけど」

やっぱりただからかっていたのだろう黒尾先輩は、私の一言で本来の目的を思い出したようで、ポケットの中から予想外のものを取り出してこう言った。

「苗字ちゃん、俺と連絡先交換しようぜ」






 卒業式からすぐ春休みに突入し、数日が経った頃。私はいつもより少しだけスマホを意識して生活をしていた。それは黒尾先輩から連絡先の交換を申し出られるという予想外のイベントで幕を閉じた卒業式。しどろもどろに「どうしてですか?」と返事をすると、苗字ちゃんってば案外鈍感?なんておちゃらけた返事が返ってきて思わず怪訝な顔になる。先輩は私のそんな様子を一通り楽しんだ後「なんだか長い付き合いになりそうな気がするから」というやっぱりよく分からない返事を返して、それ以上は結局上手く聞くことはできなかった。その日の会話が最後の会話だと思っていた私からすれば願ったり叶ったりだが、どうにもこうにも腑に落ちない。連絡先を交換してから最後に「研磨達のことよろしくな」と言って体育館に戻っていった先輩だったが、なんとなく、それは本心なのだろうと都合良く考えた。私みたいなただの見学者で宜しく出来ることがあるとはあまり思えないが、見ていることを肯定して貰えるのは嬉しかった。そうして、その日の夜に可愛い猫のスタンプが運んできた”ヨロシクネ”という文字に心躍らせて眠り、その会話は今も細々と続いていたのだった。
話題は主にバレー部の話で、意外と練習を見に来る人の中で長く応援してくれる人は少ないことや、私が教室で思わず孤爪君のことを口にした日、その後のミーティングで山本君が何も知らない孤爪君を問い詰めて大変だったこと。それから卒業式の日に意味深な言い方をしていた孤爪君と黒尾先輩との関係が、小学生からの幼馴染だということもそのやりとりの中で教えてもらった。だから体育館で2人が話していた時にあまり上下関係を感じない様子だったのかと納得し、先輩の返信を眺めながら不機嫌をさらさら隠す気の無い孤爪君を思い出した。孤爪君は嬉しそうなのは分かりにくいけど、嫌そうなのは凄く分かりやすくて面白いな。あれもある意味表情豊かと表現するのだろうか。そんなことを考えているといつの間にか帰ってきていた母から「何々?好きな子と連絡でも取ってるの?」なんて横から楽しそうに声を掛けてきたので、ただの先輩と否定しながら慌てて自分の部屋に避難する。リビングだったことをすっかり忘れていた自分が恥ずかしい。それにしても、孤爪君といい母といい、みんな些細なことを恋愛に結びつけるのはいかがなものだろうか。

「黒尾先輩は、本当にそんなんじゃないんだけどなぁ」

部屋で一人吐いた溜息は、誰に聞こえることもなく消えていく。




 短い春休みはあっという間に過ぎ、私たちは3年生になった。理系文系・進学コースかどうか等々でクラスは絞られてくるし、友人同士は極力3年生では離さない、なんて噂もあったので当日まであまり緊張感は無かったつもりだったのに、やっぱりいざ目の前にすると緊張からか汗がじわりと滲む。校舎の入口前に立てられた大きな掲示板に辿り着くと、そこは毎年のことながらクラスを確認する生徒で溢れかえっていた。人の群れに揉まれながらも背伸びをして、なんとか見える場所に立つ。右上から名前を順繰りに確認していきいくつかのクラスを確認し終えた後、ようやく同じ列に自分と友達、それから孤爪君の名前があるのが目に入った。友達も同じクラスだし、言葉を交わす数少ない男子の孤爪くんも居るという事実にほっと胸を撫でおろす。朝到着した時とは見違える程軽くなった足取りで教室へ向かうと、何やら扉の前に一人の男の子が立っていた。見知ったプリン頭よりも、少しだけ黒い部分の比重が多くなった孤爪君だ。

「孤爪君、おはよう」
「苗字さん」
「また同じクラスだね」
「うん、みたいだね」

私から声を掛けると、孤爪君はいつもより少しだけ私の顔を見てほっとしたような表情になる。もしかして見知った人間を見たからだろうか。だとしたら、ちょっと可愛いな。男の子に可愛いは失礼だろうか。一通り考えたところで、一向に教室に入ろうとする気配の無い孤爪君に段々と疑問が募る。いつもなら私が面白発想をしている間に孤爪くんは確実に居なくなる筈なのに。

「ねぇ、どうして教室入らないの?」
「扉開けた時に視線が集まる感じが嫌…」
「ああ、なるほど」
「毎年本当に嫌」
「そんなに?」
「そんなに」
「....良かったら私、開けましょうか?」
「お願い」


漫画なら顔の隣にうんざり、なんて擬音が飛び出しそうなぐらい不機嫌な顔をした孤爪君は面白い。そして私はそんな繊細な感性を持ち合わせていないので、そういうこともあるのかと感心してしまった。私の申し出を聞いた孤爪君は、お願いと言うのと同時に素早く一歩下がって道を作ってくれたので、私もなんの迷いも無く扉に手を掛けた。ガラガラと学校特有の音と共に一瞬視線は注がれるけれど、もう3年生にもなれば大体知らない人も居なければ物珍しくも無い私たちにそれ以上の意識は向かない。私からすれば春高という大舞台で、しかもテレビに散々映っている時の方がよっぽど視線も集まって緊張するんじゃないのかと思う。あれは大丈夫だったのかな?と素朴な疑問を抱きながら孤爪君をちらりと横目で追うと、いつの間にか既に黒板に書かれた出席番号の席へ向かっていた。うん、非常にマイペースでよろしい。そして「名前!」と声を掛けられて、私も友達の方へと歩き始める。そうして自分の席に着いた孤爪君の横を通ろうとした矢先。小さいけれど、確かに孤爪君の声が聞こえた。

「ありがと」

はっとして一瞬視線を向けるも、孤爪君の視線はスマホへと注がれていて交わることはない。私もあえて何も言わずにそのまま友達の方へと歩いていく。そういえば孤爪君とは視線が合わない会話をすることが多い。けれど何故だか心はぽかぽかとしてくるのだから不思議だ。それから友達のところまで到着しおはようと声を掛けると、友達はなぜだか訝し気な顔で私を見つめた。

「おはよ。名前、…なんか良いことあった?」
「え?なんで?」
「表情筋が緩んでやばい顔になってる」
「失礼だ!3年生も同じクラスになれて嬉しいのが顔に出てるんじゃん?」
「それ私のことー?」
「当たり前だよー」
「えー?なんか誤魔化されてる気がする!」
「なんで!?本心なのに!」

おおよそ見当の付かない不服を申し立てられた私は目を丸くして抗議して、二人でいつものようにけらけらと笑いながら春休みの出来事を報告し合う。ホームルームまでの時間はいつも通りあっという間に過ぎていった。気心の知れた友達、いつもの通りの騒がしい朝。始業式の為に向かった体育館も確かに並びは3年生の立ち位置だったけれど、あんまり特別な感じはしない。黒尾先輩や夜久先輩は、ザ先輩って感じだったのに不公平だな。もう少し時間が経てば、いつか私もあんな風にちょっと大人な雰囲気が出るのだろうか。長々と続く始業式の最中、そんな取り留めの無い期待は頭の中を渦巻いていた。
そしてメッセージを受信したスマホに気付かないまま友達と帰路に着いた頃。時間を確認しようと開いた画面に映る黒尾先輩からの”3年生頑張れよ〜”というメッセージを見て慌てふためいた私は、それを見てやっぱり慌てふためいた友達にファミレスまで有無を言わさず連行された。

「もう勘弁して」
「どうして?」
「恥ずかしくて死んじゃう」

解放されたのは、5杯目のメロンソーダを飲み終えた頃だった。


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