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1.ストレイシープは夢を見る



 同じクラスの狐爪くんは、私の中でちょっと話題の人物だった。
彼は普段、クラスの中で良くも悪くも目立たない存在だ。口数は少なく、昼休みの時間でも年相応の男子のように馬鹿騒ぎをしている姿を見たことは一度も無い。そもそも話している姿をあまり見たことが無い。だから同じクラスの人であっても孤爪くんの声を認識している人はきっと数える程だろう。友達は居るようだけどよく一人でゲームをやっているし、そうでなければ席を外していることが多い。先日の体育祭でも注目を浴びるようなことも無く、そもそも種目決めの時点で簡単に終われそうなものを選んでいた。そういったわけで、今思いつく”孤爪くんデータ”から考えても彼がまさか運動部に所属しているだなんて想像するだろうか。しかもレギュラーで、なんなら春高に出場していて、かつテレビで実況の人がそのプレーを解説する程の人物だなんて。

 私が初めて孤爪くんの存在を認識したのは、黒尾先輩の部活風景を覗きに体育館へ足を運んだ時だった。私も女子高生の端くれなので、黒尾先輩は所謂”憧れの先輩”というやつで、体育祭で周囲とはしゃぎながらもしっかり運動部特有の大活躍をした黒尾先輩を見て簡単に推すことを決めた。恋だとか愛だとか、そういう真剣みを帯びた言葉を使うには余りにも軽々しい感情だが、弾む気持ちを言葉にするにはそれが一番適当であるように思えた。
それはそれとして。その日は丁度練習試合の日だったらしく、私以外にも同じような目的で集まっている女子生徒達が少なからずその場を華やがせていた。私はその子達に混ざって可愛く騒げるタイプでも無いので、点が入る度にギャラリーの隅で息をひそめながら小さく拍手を送っていた。そうこうしているうちに音駒はあれよあれよという間に1セット目を先取。同じような勢いで2セット目も順調に得点し、試合は終盤に差し掛かった頃。私は無意識のうちに黒尾先輩では無く、金髪の人物を目で追っていた。もとより興味があるのはバレー自体よりも黒尾先輩の為そルールに詳しい訳では無いのだが、それでもその存在はひときわ目立っていたように思う。動きが少ないのに、気が付けばゲームの中心に居る。彼の所にはボールが集まり、それを次の選手に繋ぐ時とても綺麗な弧を描いていた。難しいことはよく分からないが、いつの間にか彼の上げるトスに私は夢中になってしまっていたのだった。結局試合は2セット音駒がストレートで取り、終了のホイッスルが鳴った。勿論練習試合なので勝敗にそこまでの熱は無く、部員達も休憩をはさんで2回目の試合を行うようだった。私は黒尾先輩を見れたことと先ほどの金髪の部員のプレーを見れたことに満足して、一人体育館を後にした。そういえば、あの金髪の人を私はどこかで見たことがあった気がする。

 それから金髪のバレー部員を孤爪くんだと結びつけるまでに、私は1週間程かかった。その間もやもやとする気持ちを抱えながら日々を過ごしていたのだが、きっかけというのはどこに転がっているか分からない。それはある昼休み。友達といつものように3人でお弁当を囲んでいると、ふいに大きな声がクラス中に響いた。

「研磨ー!ミーティング忘れてんじゃねえぞ!」
「…今行くから。大きな声出さないで」

その声の大きさにびっくりして原因の方へ顔を向けると、それは1組の山本くんだった。彼は1年生の時に同じクラスで席が近くなれば話すこともあったので、私は彼がバレー部に所属しているのも知っていた。先日見に行った練習試合でも、あの元気いっぱいと言わんばかりの雰囲気に似合う派手なプレーでがんがん得点していたのを覚えている。そして見るからに嫌そうな顔でそんな山本くんをいなして居たのは、確か、…孤爪くん。そうそう、孤爪くんだ。山本くんがミーティングに出向くのに声を掛けるということは孤爪くんもバレー部なのだろうか。正直口数も少な目ではつらつとした印象が皆無な為、そんな孤爪くんがバレー部というのは失礼ながら違和感でいっぱいだった。そういえば、先日強烈な印象を私に植え付けたトスの綺麗なバレー部員。あの人も金髪だった。ん、孤爪くんも金髪だ。あれ、ちょっと待って。

「トスの綺麗な…あの、え…孤爪くん!?」

しまったと思った時にはもう遅い。点と点が予想外過ぎる場所で線になり、あまりの驚きに先ほどの山本君の声に匹敵するようなボリュームの声が教室に響き渡った。ミーティングに誘いに来た山本くんも、張本人である孤爪くんも、なんなら一緒にご飯を食べていた友達も。気が付けばみんながみんな私の突拍子も無い『孤爪くん』発言に注目してしまっていた。山本くんは孤爪くんに苗字と知り合い?なんて聞いているし、孤爪くんに至っては話したこと無い、とちょっと不審な目で私を見ている。友達2人はにやにやと含みのある笑顔を浮かべて私を小突いた。あまりにもいたたまれなくなった私は、友達にお手洗い!と告げて山本くんと孤爪くんが居る扉とは反対側から逃げ出したのであった。

 それからというもの、私は気まずさのあまり追いかけられてもいないのに孤爪くんを静かに避けた。普段から話したことも無いので私が彼を避けようと第三者から見て不自然では無いと思う。しかし流石に本人には伝わっていたようで、孤爪くんも分かりやすく私を避けるようになった。ただやはりお互いに接点がそもそも無いので、誰からも気付かれることのない変化だった。それでも時々バレー部の練習を見ては、私は黒尾先輩に恋心にもならないような小さな燻りを抱いては消火するという不毛なことをしていたし、しかしそれと同時に孤爪くんの柔らかな円弧を描くトスにも熱い視線を送っていたので、もしかするとバレー部全体のストーカーか何かと勘違いされていたかもしれない。
 そんな状態が数か月続いた頃、3年生の引退により転機を迎えることになる。黒尾先輩は春高で引退し、バレー部の練習を見る一番の理由が無くなってしまったのだ。理由を失ってしまうと、途端に練習を見に行くことも気恥ずかしさで勇気が無くなる。そんな臆病な性格も相まって、春高から一ヶ月経った今も私が練習を見に行くことは一度も無かった。そうしてこのまま孤爪くんとも、以前のようなお互い意識にすら無くなる距離感が戻ってくると思ったのだ。思っていたのだけれど。

 日直の仕事で日誌を書く為に居残りをしていた日のことだ。途中スマホで遊び始めたりうたた寝をしているうちに、気が付けば夕暮れも過ぎ辺りは夜の空気になり始めていた。時刻を確認するともう18時を過ぎており、家まで帰るにはそこそこに時間がかかる為、慌てて日誌をまとめ始める。すると突然教室の扉が勢いよく空いて、あまりの驚きに私はぎゃっと女子らしさの欠片もないような声をあげた。涙目になって振り向くと、私よりも更に目を点にさせた人物が1人。部活のジャージに身を包んだ孤爪くんは、唖然とした面持ちでこちらをじっと見つめていた。

「びっくり、した」
「ごめん。でも私もびっくりした...」
「そうみたいだね」

そこから大した会話も無く、どうやら教室に忘れ物を取りにきただけである孤爪くんはゴソゴソと自分の机を漁り出す。ああやって避けてから、いや避ける前から、多分孤爪くんとしっかり会話のキャッチボールをしたのは初めてだと思う。なんだか少し嬉しくなってまた手が止まりそうになるも日誌のことを思い出し慌てて机に向き直ると、交わらない視線の中で口を開いたのは意外にも孤爪くんの方だった。

「最近練習見に来ないね」
「えっあっ…見に行ってるのバレ、てた...?」
「クロと虎が最近来てないって騒いでた」
「黒尾先輩がっ!?」
「うん。クロと虎が」

今日は予想外のことばかりだ。私は黒尾先輩に認識されていることに胸がいっぱいで、思わず大きな声を出して振り向いた。すると孤爪くんは私の勢いに圧倒されながらも、もう一度『クロと虎が』と付け加えた。孤爪くんの妙に頑固な所がおかしくて、「山本くんも」と笑いながら口にすると、孤爪くんは素っ気なく相槌を打つ。そうしてもう一度沈黙が訪れた頃、忘れ物が見つかったのか孤爪くんは部活に戻ろうと教室から出るところだった。

「孤爪くん、部活頑張ってね」
「クロが引退したからもう来ないの」
「ううん、それもちょっとはあるんだけど…でも、というかそもそも行ってもいいの?」
「それを言うなら最初から許可取ってないじゃん」
「うっ確かに...」
「ただの部活だし、好きにすれば」
「あ、ありがとう。またお邪魔させて貰うね」

好きにすれば、と呟いた孤爪くんの横顔が少しだけ笑っているように見えてどきりとする。そのまま体育館へ戻って行った孤爪くんの後ろ姿を、私は見えなくなるまで眺めていた。無口で、何を考えているか分からない同級生。バレーが上手で、綺麗な弧を描く人。そして今日知ったことを付け加えるのなら、分かりにくい優しさを持った人だということだった。

 孤爪くんに来てもいいと許可を貰ったと拡大解釈した私は、翌週さっそく体育館に足を運んだ。一ヶ月ぶりの体育館は2月特有の頬が悲鳴を上げるような寒さで思わず手に持ったカイロをぎゅっと握る。それでも部員達は年中同じ服装をしているので運動は偉大だなぁと馬鹿っぽいことを考えた。その時、頭上から声が響く。少し気だるげな印象の、良く知る声。私は無意識に唇をぎゅっと噛んだ。

「おー寒い中やってるやってる。あれ、研磨と同じクラスの子じゃん久しぶりだな」
「えっあっ黒尾先輩っ、お、お久しぶりで…す?」
「なんで疑問形?」
「え、だって、話したこと無いですし…」
「でも部活の練習よく見に来てくれてるよな?」
「あ、えっと、はい…」
「お互い知ってるんだったら久しぶりだろ!」 

これからもバレー部の応援よろしくと言い残して、黒尾先輩は輪の中に入っていった。寒さのあまり入口でもたもたとしていた自分をこんなにも褒めたい気持ちになるなんて。練習を見続けて数か月、初めて黒尾先輩と会話をしたのだ。しかも黒尾先輩は私のことを認識していた。もしかしたら今私は1cmぐらい浮いているんじゃないだろうか。そう思う程ふわふわと頭の中はお花畑になっていた。

「入り口に立たれるのは迷惑」
「すみませんっ!!」
「通してくれればいいよ」

後ろからかけられた声にはっとして謝ると、そこにいたのは寒そうに長袖のジャージに身を包む孤爪くんだった。黒尾先輩の姿を認識するや否や、「うわ、クロだ…」と嫌そうな素振りを1mmも隠すことの無い姿に、バレー部は上下関係が厳しくないのだろうかという疑問を浮かべつつも、表情が豊かな孤爪くんが少し可愛くてくすくすと笑ってしまう。嫌そうな顔をしながらも輪に入っていく孤爪くんと、そんな孤爪君を待ち構えていた黒尾先輩がにやにやと笑みを浮かべながら絡んでいく様子が仲の良さを物語っていた。

「研磨!今日は同じクラスの子来てるぞ。良かったな〜」
「俺はなんにも言ってないじゃん…」
「まーたまた、そうやってお前は」
「部活の邪魔するなら体育館から今すぐ出てって」
「スミマセンデシタ」

ところどころ聞き取れないが、何やらやっぱり楽しそうだ。私は生憎帰宅部なので、同じ学年の友達以外とはあまり接点がない。こういう姿を見ていると折角だから何か部活に入れば良かったのかもしれないなと、2年の2月にして少しだけ後悔した。もうすぐ卒業式。それを過ぎれば3年生。それはもう目の前の筈なのに、私は未だ実感しきれずにいたのだった。

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